リーダーシップ研究とアバターイン

 ヒル教授のケース作成プロジェクトは、アバターインがANAの社内プロジェクトだった時から始まっている。2019年の夏に富士通が主催したカンファレンスにヒル教授と深堀氏がパネリストとして登壇し、深堀氏の話に興味を持ったヒル教授がその後のパーティーで「もっと詳しく聞かせてほしい」と声をかけたのがきっかけだった。

 深堀氏はその時のことをこう振り返る。「たまたまカンファレンスで一緒だっただけの、会社も立ち上げていない状態の僕たちに対して、リンダは『興味があるわ』と言ってくれた。社交辞令かと思ったら、本当にその後連絡をくれて、ケース作成が始まりました。初めて外部に向けて話をするためのスライドを作って、それを発表したところにリンダがいた、という偶然です」。

 深堀氏と共に走ってきた梶谷氏も、ヒル教授が自分たちの取り組みについてケースを書くという話について、「興奮しました。でも、まさか、という気持ちもありました。その後何回かリンダと話すうちに少しずつ、本当なんだ、と実感していきました」と言う。

 なぜヒル教授は、深堀氏と梶谷氏の挑戦に興味を持ったのか。そこには彼女の長年の研究テーマ、興味の変遷が関係してくる。ヒル教授はご自身の博士課程において、人がなぜその行動を取るのか、という行動科学を研究した。そこで、組織の環境が人々の行動に及ぼす影響が大きいことに気づき、個々人を超えて組織を見るようになる。しかし、組織を深く見ていくと、今度はリーダーという個人が組織に及ぼす影響の大きさを知り、リーダーシップについて研究するようになっていく。

 ヒル教授のリーダーシップ研究は、大きく分けて3つのフェーズがある。第一に、リーダーがどのようにリーダーとなったのか、リーダーがリーダーシップをどう学び身につけるのかについての研究だ(著書としてはBeing the Boss、邦訳『ハーバード流ボス養成講座』)。

 第二に、リーダーシップとイノベーションの関係についての研究である。イノベーションを継続的に生み出す組織、環境をつくるリーダーシップとはどのようなものか。この研究は、Collective Genius(邦訳『ハーバード流逆転のリーダーシップ』)という本にまとめられている。リーダーはビジョンを示しチームを率いるという従来型のリーダーシップに対して、組織メンバーの知恵をうまく引き出し、集合として天才になる組織・環境づくりに徹するリーダーの姿が描かれている。

 そして、第三フェーズ、現在進行形の研究テーマは、組織をイノベーティブ、アジャイル(敏捷)に変容させるリーダーシップとそこにおけるテクノロジーの役割、である。第二のCollective Geniusでは、ピクサーやグーグルのストレージ部門など単体の組織をイノベーティブにするリーダーシップが描かれたが、第三フェーズのリーダーは、異なる様々なプレイヤーと連携し自分の組織を超えたより大きなエコシステムをつくっていること、そこには単独の組織をイノベーティブするのとはまた異なるリーダーシップがあることにリンダ教授は気づく。ここがアバターインとつながるのである。ヒル教授はこう語った。

「『世界75億人のモビリティ』というアキラとケビンがやりたいことを実現するには、一つの組織をつくるだけではできません。彼らは様々なセクターのたくさんの異なる組織と連携しなければいけないですよね。自分の組織の外に出なければ、必要な人材と能力は手に入らない。そのために自分の組織が、境界を超えていろいろなプレイヤーと連携できるようにしていかなければいけない。
 彼らはじっとせず、誰とでも話して、このビジョンの実現に参画しないか声をかけ続けています。しかも、自分たちはこういう人たちとだけやりたい、と閉鎖的にならず、訪ねてきた人とはとにかく対話する。そして、やる気があれば一緒にやりましょう、というスタンスです。自分たちと他、という境界があまりない。
 一緒にやるとなったあとは、弁護士を入れて契約をどうするなどということはせず、『私たちが必要なことはこれです。あなたにとってもよい形で一緒にできる方法はあるでしょうか』と言って対話を続ける。こういうボーダーレスなマインドセットは、まさに未来のリーダーが持つマインドセットだと思います」

 ヒル教授は自らを「エスノグラファー」と呼ぶ。エスノグラフィーとは主に文化人類学で使われてきた手法で、研究者が研究対象者と一緒に生活しながら長期間にわたり対象について観察し学ぶというものだ。つまり、ヒル教授はこれまで世界中の優れたリーダーと長い時間を共にし、彼ら彼女らがどう行動するのか、それがどう組織に影響するのか、組織の他のメンバーがどう行動し感じているのか、ということをひたすら観察してきている。

 しかも、ヒル教授が見てきたのは、ピクサーCEOのエド・キャットマル氏、グーグルストレージ部門の変革をリードしたビル・コーラン氏、インドのIT企業HCLテクノロジーズCEOビニート・ナヤール氏など、錚々たるリーダーだらけだ(各肩書きは当時)。リーダーに対して世界で最も目が肥えている人の一人であるヒル教授が、深堀氏と梶谷氏のあり方の中に、リーダーのあり方の未来を見た、ということである。

 また、ヒル教授は、アバターインというイノベーションがANAという日本の大企業から生まれていることもケースにしたいと思った理由の一つだ、と述べている。

「大企業も成長し、新しい事業をつくらなければいけません。そのヒントとして、航空会社のANAがなぜ(航空機がいらなくなる)アバター事業をやるのだろう、と興味を持ったのです。実際、CEOや戦略のトップなどANAの経営幹部とも話しました。彼らがアキラとケビンという若い二人がビジョンを追うことを励ましサポートしている姿、ANAの取締役会に対してCEO自ら説得をしている姿に、すごく感銘を受けました」