主観的な意味は
客観的なスケジュールを上回る

 最後に、人が主観的時間を認識し、解釈し、メンタルタイムトラベルをする時は、主として意味を探していることが研究で明らかになっている。

 人はしばしば過去の経験を思い出したり、起こりうる未来のイベントを予測したりして、現在の視点からそれらの経験を理解するストーリーを探す。たとえば、自分が仕事にどう「適合」しているかというストーリーは、過去の仕事から得た教訓を振り返ったり、将来の仕事に就くことを予測したりして、自分のキャリアの軌跡を理解するのに役立つ。

 こうした意味は、時間を一定で不変のものとして捉える客観的時間に見出すことはできない。すべての時間の単位が同じなら、ある期間が意味するものは、他の期間以上でもなければ以下でもない。

 一方、主観的時間の意味は、目的や意義のある活動に時間や日々を費やす中で得ることができる。私が将来の読者のために過去の経験について記事を書くように、自分の永続的なアイデンティティにつながる活動に時間を費やすことは、経費報告書を書くといった目的のない作業に費やす時間よりも有益だ。

 どちらもやるべき活動であることは明らかだ。しかし、後者がエネルギーを消費するのに対して、前者のようにより意味のある活動は、意味のある仕事をした経験をよみがえらせることでエネルギーを生み出す。そのため私は、自分のエネルギーが少ない時や会議の合間時間に意味の乏しい活動をするように計画し、最も重要で意味のある仕事を優先することができている。

 しかし、個人が時間の使い方を選択する際には、意味を見過ごし、時間の経済的価値を考えてしまうことが多い。このように時間を商品として重視すると、時間がいっそう不足しているという認識になり、ボランティア活動のような意味のある活動から遠ざかってしまう。

 管理すべき活動として仕事のタスクに厳しく重きを置くと、時間管理は作業量や働くことで得られる定量的な利益を優先させる。さらに悪いことに、このような選択は、成功を収めた人々によって悪化している。

 しかし、意味のあるものとないもののどちらを取るかという象徴的な選択として時間を捉えることで、最もインパクトがあり活力に満ちた時間の使い方ができる。