主観的解釈を伴わない
客観的時間は存在しない

 第1に、時間の客観的性質は主観的時間と完全に結びついている。しかし、私たちはこの事実を認識していない。

 たいていの人は、会議は正時か30分単位で予定され、仕事は8時から17時までと考えるが、これらは社会的構成であり、状況によって緩和できる。20分間の会議が必要なら、なぜスケジュールを30分確保するのだろう。リフレッシュのために午後に長めの休憩が必要なら、典型的な昼休みの時間内にとらないことを誰が気にするだろうか。

 こうした問いは、時間管理に対する過度に制限された私の考え方に疑問を投げかけ、時間スキーマや「時間のルール」、すなわち物事がいつ起こるべきか、どれくらい続くべきかという固定観念から解放させた。

 締め切りも、客観的時間に対する主観的解釈の一例だ。私たちが「実在のもの」として認識している締め切りの多くは、実際にはそうではない。締め切りは、自分の仕事を計画したり、人と合わせたりするために社会的につくられた日付だ。

 ある日までにタスクを完了したり、ある時間枠内で要求に応えたりするのは、たいてい恣意的な締め切りが動機となっていることに私は気がついた。「落としてもいいのはどのボールか、跳ね返ってくるのはどのボールか」という古くからある例えのように、私は他の物事に対するコミットメントを欠くことなく、締め切りを動かしたり、あるいはなくしたりすることで、迅速に自分のエンゲージメントのレベルを高めることができるようになった。

 重要なのは、時間は私たちが思っているほど客観的ではないということだ。時間とは元来、主観的な解釈であり、私たちが過ごし、つくり出す、時間の主観的構成に目を向けなければ、時間管理は不十分なものになる。