多くの米国民は、表現の自由はさておき、こうした措置は主流メディアが保守派の意見に対して抱いている固有バイアスを明確に示していると指摘している。ドイツのアンゲラ・メルケル首相でさえもこの懸念の正当性を認め、首相報道官は「言論の自由は重要な基本的人権」とし、「大統領のアカウントが恒久的に停止されたことは問題だ」と述べた。

 アカウント停止が適切だったと感じている人でさえ、1つのアカウントを停止するだけでは、1月6日の連邦議会議事堂襲撃事件につながった根深い問題に対処するうえで、適した解決策ではないと認識している。トランプの暴力を煽る投稿が重大な要因だったことは間違いないが、ソーシャルメディアが陰謀論や過激派など、問題のあるコンテンツを喧伝し、増幅させる傾向があることにも対処しなければならない。

 これらの問題の解決が困難である主な理由の1つは、ソーシャルメディアが伝統メディア(新聞、ラジオ、テレビ)とは根本的に異なることで、それゆえに規制に対する伝統的なアプローチがほぼ通用しないことだ。

 考えるべき重要な側面がいくつかある。

 第1に、伝統的なケーブルニュース局は限られた帯域幅に規定されている(他の伝統的なニュースメディアも程度は低いが同じことが言える)。ニュースメディアのネットワーク数や、多くの視聴者に影響を与えるゴールデンタイムやトップニュースの枠も限られている。対照的に、ソーシャルメディアのプラットフォームは基本的に無限の帯域幅を提供し、何百万というアカウントそれぞれが非常に絞ったオーディエンスをターゲットにすることができる。

 第2に、伝統的なニュースコンテンツは編集上の監督の下で制作される。上層部とプロデューサー陣が、放送あるいは紙面に掲載する人物や見解を決定する。つまり、企業にとっては自社のプラットフォームで共有されるコンテンツを監督しやすく、第三者が企業の責任を問うことも容易だ。ソーシャルメディアはそれとは対照的で、プラットフォームはユーザーがつくるコンテンツを媒介するだけで、規制の対象となることはほぼない。

 最後に、一般的に伝統的なニュースメディアの視聴者や読者は、視聴する番組や購読する記事など、消費するコンテンツを積極的に選択しなければならない。一方、ソーシャルメディアのユーザーは、目にするコンテンツをほとんどコントロールすることができない。プラットフォームは複雑なアルゴリズムを使って、ユーザーが閲覧し続けると思われるコンテンツを提供し、ユーザーが自分では探すことがけっしてないような過激な投稿に彼らをさらすことも少なくない。

 重要なことは、ソーシャルメディアプラットフォームと伝統メディア企業の多くは、どちらも利益を追求していることだ。それは当然のことで、本質的に問題ではない。しかし、利益を最大化するための戦略は根本的に異なり、両者に同じ規制の枠組みを適用してもうまくいかない。

 具体的には、伝統メディアのビジネスモデルは重大な二極化につながる可能性がある一方で、帯域幅が限られ、編集上の監督体制があることで企業は幅広い市場にリーチしようとし、極端に過激なコンテンツを控える。

 だが、ソーシャルメディアのビジネスモデルは、個々のユーザーのデータを活用して、閲覧時間を最大化するために高度にパーソナライズされたコンテンツを勧めることに依存している。そのため、よりカスタマイズされた、したがってより過激な可能性のあるコンテンツを推奨する。

 メディアの政治的な偏向は新しい問題ではないが、現在のソーシャルメディアのモデルが可能(実際には不可避)にした過度に個別化した分極化といえるものは、特有の危険をもたらしている。議会議事堂で起きた暴力は、その危険性を鮮明に示した。

 しかし、こうした恐ろしい出来事の中の明るい兆しと考えられるのが、進行している問題を非常に明確に浮き彫りにし、解決に乗り出すうえで真の転換点になる可能性があることだ。