「もうたくさんだ」と、ついに見切りをつけた日のことをよく覚えている。グライド・メモリアル教会で人種問題をテーマにしたディスカッションが開催されると聞き、米国に住む黒人として自分の経験を話したくなったのだ。

 だが、話したいことがたくさんあったにもかかわらず、口を開こうとした瞬間、私は怖気付いた。「また吃音が出たらどうしよう」

 その瞬間、自分を止めているのは自分以外の何ものでもないことに気づいた。「変に聞こえたらどうしよう」「変な話し方になったらどうしよう」という不安が、頭の中を駆けめぐった。

 もうごめんだった。決めた。そんなことはもうどうでもいい。私には話すべきことがあり、それは貴重な声のはずだ。時間を割いて聞いてもらうだけの価値がある話なのだから。

 それから、私は職場の同僚にも心を開くようになり、頑張ってチームの前で発表もした。社内会議では手を挙げ、質問をしたり答えたりするようにもなった。相変わらず緊張していたし、いつも簡単にできるわけではなかったが、やっていくうちに少しずつ慣れていった。

 やる気が戻ってきた私は、オープンマイクイベントで詩の朗読をしたいと思えるほど前向きになり、実際に聴衆の前に立って、自分で書いた詩を朗読した。時折、言葉に詰まったり、自分の名前を言うのに時間がかかったり、文章を終える前に黙ったりした。だが、それも自分自身の一部だと受け入れ、その場に立ち会った人たちも受け入れてくれた。

 自分のことを大勢の人に知ってもらうにつれて、自分自身も常に「最良の自分」に変化していった。

 これが、いまの自分が語るストーリーだ。吃音を抱えている人にもそうでない人にも、このハンディキャップはその人のほんの小さな一部でしかないということを知ってほしい。この原稿も、その思いで書いている。「自分が何者か」は、吃音によって定義されるものではないのだ。

 2018年には、TEDxWilsonParkで80人の聴衆を前に話をした。それから、たくさんの励ましのメッセージが届いている。

 いまでもほぼ毎日、言葉に詰まる。だが、人の反応を恐れることはなくなった。話している途中で吃音があっても気にせず、そのまま話し続ける。ハンディキャップがあるからといって、自分が目指すことを邪魔されたくない。自分は作家、著述家、講演家、そしてネットワークエンジニアであり、たまたま吃音があるだけなのだ。

 自分の人生は、それにこだわって足踏みなどしない。なぜなら、私自身がそうはさせないからだ。


HBR.org原文:My Secret, Not My Stutter, Was Limiting My Life, November 09, 2020.