吃音の子どもにとっては、毎日が戦いだ。それを隠すために、友だちとの会話を避けるようになる。

 小学校に上がると、授業中、たとえ自分が答えられる質問でも、当てられないように手を挙げない。高校では、歴史や英文学の授業で発表させられるのが、何より恐ろしい。大学時代は、卒業論文の審査会前日、絨毯に穴が開くほど部屋の中を行ったり来たりして、自分を落ち着かせるためにゆっくりと話しながら深呼吸した。

 思春期を過ぎて、大人になれば「よくなる」という話が、慰めになることも少なくない。私は青少年期の間、ずっとからかわれてきた。言葉がつかえると、鼻で笑われた。だが、成長して学ぶ人もいる。なかには、思いやりのある大人に育つ子もいる。教養があり、偏見のない大人に囲まれて生きればよいのだ。

 それでも、自己表現やコミュニケーションの方法が教えられてきた「ふつう」と違うと、帰属コミュニティを見つけるのは難しい。人生の新しい局面に入るたび、新たな壁に直面する。

 学校を卒業後、就職を前にまた一つ、面接という克服すべきハードルが現れた。面接官を務めるマネジャーの前に座ると、私は緊張した。それは、ほかの応募者も同じだった。緊張の表れ方は人それぞれだが、自分の場合は同じ言葉を繰り返したり、早口になったり、すべての受け答えの前に「えー」と言ったりした。

 それが面接官の目には準備不足、あるいは口下手と映った。ある面接のあと、間に入っていた人材紹介会社は、先方からこう告げられた。「経営陣の前で、ルロンに話をさせようとは思わない」

 だからといって、仕事に就けなかったわけではない。落ち着いて上手に対応できる時もあった。質問には思慮深く答え、にっこりと笑い、自信に満ちた態度で面接に臨むこともできたのだ。

 ただし、それはしょっちゅうあることではなかった。そして、採用されたとしても、同僚とはなるべく話さないようにしていたから、職場では孤立していた。吃音症であることが知られたら、私を見る目が変わり、腫れ物に触るように接するだろう。それが嫌だったのだ。

 仕事の前に、鏡の前で人と話す練習をすることもあった。言葉をゆっくりと発音し、アイコンタクトを維持して、自信があるように振る舞う努力をした。プレゼンテーションを行う際に用いる手法と、よく似ている。

 これはあまり理解されないことだが、吃音症の治療法は確立されていないため、いろいろなことを避けて生活していることが多い。特定の言葉を使わないようにして、人前で話さなければならない状況であっても、それをしないこともある。

 私の場合は、そのせいで職場にいる時間に大きな苦痛を感じていた。もともと、調子がよい時には人と話すのが好きだし、質問したり教えてもらったりすることも好きだ。自分は、社交的なほうだと思っているし、人とのつながりを感じるのは、世界で一番好きなことの一つだ。だから、常に不安を抱えながら喋らずにいるのは、本当の自分を偽っている状態だった。

 あなたが、これまでに何か隠し事をしたことがあるかどうかはわからないが、あるという人は、それを檻のように感じたかもしれない。私は、みずから「牢獄」に入っていた。怖かったからだ。

 たくさんの機会があったのに、みずからチャンスを見送っていた。自分の人生に限界をつくっていたのは、吃音ではなく、それを人に知られないように隠していたことだった。