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先行き不透明な状況が続くと、言いようのない不安に襲われるものだ。そんな時は、無理やり心を奮い立たせて、前を向く必要などない。「トキシック・ポジティビティ(有害なポジティブさ)」という言葉があるように、前向きになろうという気持ちが行き過ぎると、精神的にも肉体的にも感情的にも消耗してしまう。本稿では、トキシック・ポジティビティがもたらす影響について紹介する。


 8月のある日、いつもと変わらない平日だった。

 その頃には家族も私も在宅勤務に多少は慣れていたが、「落ち着いた」とはまだ言えなかった。食事や仕事、オンライン学習をマネジメントして、家の中でも子どもを飽きさせないようにしながら、親の私たちが精神的に健全でいなければならない。

 それでも足りないとでも言うのか、私の母から電話がかかってきた──両親がそろって新型コロナウイルス感染症の検査で陽性になったのだ。

 状況を説明する母は、冷静そうだった。自分の気持ちを話すというより、私を慰めようとしているように感じた。私たちは400マイル離れたところに暮らしている。ロックダウンの最中で、両親を訪ねたくても無理だった。

 電話を切る前に母が言った。「大丈夫よ。心配しないで」

 私の世界は崩壊した。父には基礎疾患があり、両親とも感染したのだ。心配しないはずがない。両親は必要な治療を受けられるだろうか。私は絶望を感じずにいられなかった。

 その日はずっと、両親の地元に住んでいる親戚と連絡を取り、私の心の内の不安に耳を傾けてくれそうな友人たちに電話をかけて訴えた。彼らに励まされ、ポジティブな肯定の言葉をもらった。

「ポジティブなエネルギーだけを送り込もう」
「人生のいいことだけを考えよう」
「このくらいで済んでよかったんだ──感謝しなくちゃ」
「物事には必ず終わりがある」

 その中で、ある返事が心に刺さった。「いまはそんなふうに思ってかまわない。あなたの両親なのだから」

 そう言われて、私はようやく一息つくことができた。いま感じていることを、そのまま感じていいのだ──自分の感情を封じ込めて、存在しないというふりをするのではなく。

 両親が検査で陰性になったのは28日後のこと。私は精神的にも、肉体的にも、感情的にも消耗した。それでも私が自分の本当の状態を隠さなかった唯一の相手は、私のネガティブな感情を本質的に悪いと思わない友人だ。ほかの人に対しては平然を装い、うまくやっていると話していた。

 ある夜、気分転換をしようとネットフリックスをながめていて、「大丈夫じゃなくても大丈夫(It's Okay to Not Be Okay)」[編注1]という韓国ドラマを見つけた。そのタイトルに、私はストレスフルだった数週間を思い返した。ずっと大丈夫なふりをしていた日々を。

 私はカモミールティーを飲みたいだけなのに、どうしてみんなキャンディを差し出すのだろう。「明るい気持ちで」「ポジティブなことだけ考えよう」といったあの激励は、いったい何だったのだろう。

 私はネットを検索した。そして「トキシック・ポジティビティ(有害なポジティブさ)」という言葉に遭遇した。