複雑性悲嘆とは

 悲しみは、個人的な喪失の経験だ。そして追悼は、人の助けを借りて、喪失に向かい合うことを学び、何とか乗り越え、少しずつ日常に戻るプロセスだ。

 私は昨年、英国の心理療法士ジュリア・サミュエルの著書『大切な人を亡くしたあなたに』にひどく感銘を受け、サミュエルにインタビューした。オックスフォード大学のサリー・マイトリス教授と執筆した論文「大切な人の死を悼む社員にマネジャーができること」のためだった。

 サミュエルは、「喪失の経験は実のところ、とても肉体的なものだ」ということを教えてくれた。私たちは互いに、体全体で嘆き悲しむのだ。それにはスタミナと時間を必要とする。

 サミュエルはまた、私にとってそうであったように、多くの人にとっても、仕事(と職場)は嘆き悲しむ時間を提供してくれる場合があると強調した。

 仕事は、安定と予測可能という感覚を与えてくれる。そしてオフィスは、一定の慰めと、感情の嵐に一時休止を与えてくれる。ルーチンワークは心を落ち着けてくれる。

 気にかけてくれる同僚は、家族よりも貴重な存在になることがあるし、家族よりも要求は控えめなことがある。私たちは、愛する人を失った同僚にハグをし、仲間を失ったときは互いに身を寄せ合う。あるいは、隣に座って何も言わずに仕事をし、悲しみから一時休止する。

 では、チームが何カ月も離れ離れで仕事をし、生活をしているいま、悲しみに襲われたら何が起こるのか。「多くの嘆きや悲しみは、凍結したままになるだろう」と、サミュエルは言う。「なぜなら多くの人が、嘆くために必要なサポートや儀式を持てないからだ」

 このような場合、通常の健全な嘆きの経験が、「複雑性悲嘆」と呼ばれる症状に変わる可能性がある。これは家族などとの死別後、激しい痛みや無気力、見当識障害が続く症状をいう。

 いま、極度の疲労や不安、手足のしびれが職場で起こり始めているという。こうした症状は、コロナ禍初期は、パニック的な仕事のやり方に伴う燃え尽き症状と見なされることが多かった。しかし、多くの喪失と大きな距離を強いられた1年を考えると、こうした症状は燃え尽きではなく、複雑性悲嘆の集団発生という可能性は十分ある。

 バーチャルワークにうまく適応した人でも、バーチャルな追悼には苦労しているのではないか。リンクトインのデータは、人々の習慣が変化していることを示しているという。2020年は、死別の経験を自分のネットワークで話題にする人が著しく増えたというのだ。

 こうしたバーチャルな哀悼のやり取りは、感動的かもしれないが、対面で慰めるような機能はないと、人間関係や死別を専門とする心理療法士で著述家のビル・コーネルは言う。コーネルは、「バーチャルワーク」ではなく「リモートワーク」という表現を使うことを推奨する。リモート(遠距離)という言葉を使うことで、この働き方が、身体的近接性の喪失を伴うことを忘れないようにするためだ。

 ひとたび互いの距離に気がつくと、そのインパクトを理解しようという意識が芽生えると、コーネルは言う。たとえば、ビデオ会議の後にぐったり疲れるのは、画面の中の同僚がどんなに元気でも、ある意味で互いを失ったのだということを、毎回さりげなくリマインドされているからかもしれない。

 それと同時に、会社生活の仲間感覚やルーチンが失われても、仕事や仲間との関係が終わるわけではないとも、サミュエルは言う。ただし、プレゼンスと根気とサポートを確保する新しい方法を見つけるためには、喪失を受け入れる時間が必要だ。