好奇心
相手から強く主張された時、人は心を閉ざすか、ボルテージを上げるかの誘惑に駆られる。押し黙り、相手を判断し、憤懣を抱えながら聞いているふりをする。あるいは、相手に匹敵するかそれ以上の確信を持って挑み、自分の価値観を守ろうとする。どちらのアプローチも熱くなるばかりで、光は生まれない。
対立を対話に変える第一歩は、好奇心である。好奇心は示すだけで、相手に伝わる美徳だ。一方が他方の考えを真摯に知ろうとすれば、議論は驚くほど速やかに沈静化する。そして、心から話を聞いてもらっている側が思わず同じ態度を返してくれる瞬間が、必ずと言っていいほどやってくる。
たとえば、ズーム会議が終了したら、ネッドには接続を切らずに少し残ってもらおう。そして、このように切り出す。「ネッド、会議中に4回、政治的見解の表明のような発言があったね。そういう話をしたいのなら、耳を貸すよ」
好奇心を示すのに、自分の意見を捨てる必要はない。脇に置くだけだ。心配無用、会話が終わり次第、持ち直せばよい。
相手の見解について話すことと、自分の意見にしがみつくことの両方を同時にやろうとすると、共倒れになる。
自分の好奇心が満たされたと考えてよいのは、相手の見解の整合性、つまりその経験、視点、情報が相手の抱いている結論にきちんとつながっていることが理解できた時である。