『ハーバード・ビジネス・レビュー』を支える豪華執筆陣の中で、特に注目すべき著者を毎月一人ずつ、東京都立大学名誉教授である森本博行氏と編集部が厳選して、ご紹介します。彼らはいかにして現在の思考にたどり着いたのか。それを体系的に学ぶ機会としてご活用ください。2020年11月の注目著者は、ハーバード・ビジネス・スクール教授のサンドラ J. サッチャー氏です。

豊富な実務経験を活かして
ビジネススクールの教壇に立つ

 サンドラ J. サッチャー(Sandra Jane Sucher)は1948年、ミシガン州デトロイトに生まれた。現在72歳。ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)のゼネラルマネジメント・ユニットに所属する1966年MBAクラス記念講座経営実務教授であり、また、MBA学生の相談役である。ジョセフ L. ライス3世記念講座ファカルティフェローも務める。

 HBSではこれまで、MBAプログラムの1年生が通年で受講する必修科目「リーダーシップと企業の説明責任(Leadership and Corporate Accountability)」を担当する教員チームの一人であった。また、選択科目の「道徳的リーダー(The Moral Leader)」も担当してきた。

 サッチャーはミシガン大学で英文学を専攻し、1969年に優秀な成績(Phi Beta Kappa)で卒業したのち、ハーバード大学教育大学院に進学。1970年、同大学院で教育学の修士号を取得した。その後、1974年にHBSのMBAプログラムに入学し、1976年にMBAを取得すると、ボストンの百貨店フィーリンズで働き始めた。

 フィーリンズは地階にオフプライス・ストアの「フィリーンズ・ベースメント(以下FB)」を展開していた。オフプライス・ストアとは、シーズンを過ぎた有名ブランド品を20%から70%引きで販売する業態である。米国の有名百貨店の多くは、店舗在庫を整理するためにオフプライスの店舗を展開することが一般的である。

 FBは1908年に開業した米国で最も古いオフプライス・ストアであり、一定期間を過ぎると自動的に価格を引き下げる、独特のマークダウン・システムを採用していることで知られている。FBは単一の店舗から全米の小売チェーンに発展し、サッチャーはFBの顧客サービス担当バイスプレジデントとして14の地区でサービス改善に努めた。

 1986年、サッチャーは投資信託の運用・販売会社フィデリティ・インベストメンツに入社した。同社ではリテールサービス品質担当バイスプレジデントとして、投資信託の販売を担当するリテール部門の顧客サービスの信頼性改善に勤しんだ。また、ボストン地区のベタービジネスビューローの委員長として、雇用問題にも取り組んでいる。

 その後、1998年にHBSの上級講師として採用され、ファカルティ・メンバーとなる。以降はHBSでのキャリアを積み重ね、現在に至る。

安易な人員削減は利益を損なう

 今日、デジタルトランスフォーメーション(DX)が急速に進んでいる。米国では、レイオフ(一時解雇)が企業の労働力の構造転換(workforce transitions)を行ううえで有効な手段であった。

 サッチャーは、"Layoffs That Don't Break Your Company: Better Approaches to Workforce Transition, " with Shalene Gupta, HBR, May–June 2018.(邦訳「安易な人員削減では目先の効果すら得られない」DHBR2018年12月号)を通じて、レイオフの有効性の有無について論じた。

 レイオフの実態に関するサッチャーの調査によると、目先のコストを削減するために行われたレイオフのほとんどが、当初の目標に寄与しないことがわかった。収益性を低下させるばかりでなく、企業に対する信頼の喪失をもたらし、長期的な利益を損なうことすらある。

 一方、レイオフに代わる対応策で成功した企業を調べると、「人事労務政策の理念」「目標と指標の設定」「経済状況に応じた代替案」が明確に検討されていることが判明した。そのうえでサッチャーは、安易なレイオフは従業員の信頼を失うことになるので慎重に行うべきであると主張する。

信頼される経営とは何か

 DHBR誌の2019年12月号特集は「信頼される経営」がテーマであり、企業経営の信頼に関して、サッチャーがHBR.org(『ハーバード・ビジネス・レビュー』〈Harvard Business Review、以下HBR〉誌のウェブサイト)に寄稿した3編の論文を取り上げた。そこでは、第1に信頼の危機に対処することの意義について、第2にリーダーシップの信頼について、第3に信頼の維持ないし回復するための謝罪の方法が論じられている。

 サッチャーは最初の論文、“The Trust Crisis,” with Shalene Gupta, HBR.org, July 16, 2019.(邦訳「企業は信頼をマネジメントせよ」DHBR2019年12月号)の中で、企業がステークホルダーの信頼を失う危機的状況が続いていることを問題視し、企業への信頼度を見極めるための4つの評価方法と、信頼を維持ないし再構築する5つの手段を提示した。

 そもそも、組織論における信頼とは何か。サッチャーは、「相手は善意であり、こちらの不利益になるような行動は取らないはずだ」と信じて、他者の行動に影響される状況を受け入れることだと定義した。

 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)教授であり、信頼に関する研究で著名なリーン G. ザッカーなどに代表されるように、信頼を相手に対する「期待」と同義に捉えるのは一般的である。企業が健全な行動を取ることに対する期待を信頼とすると、企業は従業員や株主などステークホルダーからのさまざまな期待に対して、経済的責任、法的責任、誠実な行為者としての道義的責任を負っている。

 サッチャーはこの論文の中で、信頼度を見極めるためには、(1)変化に対して技術的・社会的に革新する力を持つこと、(2)利益に奉仕すべきステークホルダーの優先順位を明確化すること、(3)公平性を確保すること、(4)意図しない影響に対する責任を取ること、を挙げた。

 また、リクルート事件におけるリクルートの対応を事例として、信頼を維持ないし再構築するには、第1に顧客に期待される行動を取ることによる関係性の維持、第2に顧客からの主観的な期待に応えること、第3に従業員の信頼に値する行動を生み出す組織文化、第4に事件が及ぼした影響を理解し責任を取ること、第5に信頼を回復するために社員一人ひとりが行動すること、を挙げている。

 そのうえでサッチャーは、信頼を築けるかどうかは巧みな広報活動ではなく、明快な理念、優れた戦略、そして決然とした行動によるものだと主張した。

 また、“Leading with Trust,” with Shalene Gupta, HBR.org, July 17, 2019.(邦訳「リーダーの信頼性をどう見極めるか」DHBR2019年12月号)では、信頼されるリーダーのあり方を論じている。

 企業への信頼は、経営者のリーダーシップに依存する場合が少なくない。リーダーシップへの信頼は、経営トップに就くまでの正統性の確保(legitimacy)、経営トップに至るまでに発揮してきた能力(competence)、行動に対する明確な動機(motive)、企業目標を実現させる手段(means)、影響力(impact)に対する責任の明確化、という4つ要素で決まる。

 経営トップは自社の競争力を維持して利益を上げるために、これらに注力すべきだと、サッチャーは主張した。

謝罪の場面で何を伝えれば
失った信頼を取り戻せるのか

 サッチャーは、“The Elements of a Good Company Apology,” with Shalene Gupta, HBR.org, July 23, 2019(邦訳「良い謝罪、悪い謝罪」DHBR2019年12月号)を通して、企業が不祥事を起こした際に謝罪で何を実践すべきか、その要点に言及している。

 企業の謝罪は難しい。自社の信頼を損なうような不祥事が明らかになった時、信頼の喪失を避けるために経営トップが謝罪に臨むことになる。しかし、経営トップの謝罪で信頼を回避できるとは限らず、謝罪の内容次第ではかえって信頼を失う場合もある。

 サッチャーは謝罪について、まず謝罪すべきか否か、謝罪することの意義について理解が必要であると言う。謝罪が最善の方法でないケースもあるためだ。謝罪が必要だと判断した場合、説得力ある有効な謝罪を行うために、以下の点を考慮する必要がある。

(1)謝罪の内容について、すでに公になっている情報に加えて、不祥事の事実について全面的に情報を公開して、真実を語る。

(2)誰に対しての謝罪なのか、誰よりも被害者に焦点を絞って、起きてしまった被害を企業として認識していることを、心から遺憾に思っていることを示す。

(3)会社としてどのような対応策を用意しているのか、信頼を寄せてくれる人たちに役立つような再発防止の行動計画を盛り込む。

 謝罪にどれほど言葉を尽くしたとしても、被害を償う具体的な行動計画がなければ、謝罪を裏付けることも、再発防止を図ることもできない。また、たとえ完璧な謝罪をしても、経営トップはそれが第一歩にすぎないことを認識しておくべきだと、サッチャーは主張する。

 なお、組織が不祥事を起こした時に謝罪することは、マネジメント層にとって避けることのできない役割の一つである。そのため、その方法論については、これまでも熱心な議論が交わされてきた。

 たとえばHBR誌には、“When Should a Leader Apologize and When not?” HBR, April 2006.(邦訳「CEOの公式謝罪はいかにあるべきか」DHBR2006年8月号)や、“The Organizational Apology.” With Alison Wood Brooks and Adam D.Galinsky, HBR, September 2015.(邦訳「企業が正しく謝罪する方法」DHBR2016年3月号)などの興味深い論考が掲載されており、参照いただきたい。

ケースを通じて学生に倫理を問う

 サッチャーはこれまで、リクルートホールディングスなど100以上のケース教材の作成に携わってきた。サッチャーのケース教材に目を向けると、彼女の問題意識として大きく4つを挙げることができる。

 1つ目は、企業は信頼をいかにして獲得すべきか、また喪失を防ぐためにどう対処し、失った時にどのように回復すべきかである。そこでは企業はステークホルダーからなぜ信頼されるのかを考え、企業の「信頼のマネジメント」のベストプラクティスを検討している。

 2つ目は、雇用問題だ。DXの波の到来により、人間の仕事が機械に取って代わられる時代が本格化する中、企業には労働力の転換が必要となる。その際、レイオフなどの従来手法が本当に有効なのかと、問題を投げかけている。

 3つ目は、リーダーのあり方だ。道徳的リーダーシップとは何か、経営トップはどうすれば道徳的・倫理的な意思決定を下し、行動として実践できるのかを研究している。

 なお、サッチャーは道徳的リーダーに関する学生向けテキストとして、The Moral Leader: Challenges, Insight and Tools(道徳的リーダー:課題、洞察、ツール)を、また教員向けテキストとしてTeaching the Moral Leader: A Literature-Based Leadership Course(道徳的リーダー教育:文献に基づいたリーダーシップ・コース)を2007年に上梓している。

 4つ目は、職場の多様性のマネジメントである。職場の中には、宗教や文化、民族など、社会的なアイデンティティの違いが存在する。それらの多様性を活かすリーダーシップはどうあるべきかを問題提起している。

 たとえば、HBR誌に掲載されたケース教材として、"Case Study: Follow Dubious Orders or Speak Up?(ケーススタデイ:理不尽な要求にも従うか、問題を直訴すべきか?)," with Matthew Preble, HBR, July–August 2017.(未訳)がある。ここでは「インターンのジレンマ(Intern's Dilemma)」として、企業の非倫理的な行為や多様性のマネジメントを問うた。

 このケースの中で、韓国人の父を持つ米国人のスーザンは、ビジネススクールに通いながら、オランダに本社を置くサイバーセキュリティ企業のソウル・オフィスでサマーインターンシップに参加することになった。彼女はこの会社への就職を強く希望しており、インターンシップはそのための大きなチャンスである。

 スーザンはソウル・オフィスの代表者から、同社のインターンであることを隠し、学生という身分を利用して、競合各社の製品、販売、サービス、顧客などに関する情報を聞き取る市場調査を求められた。しかし、スーザンはその仕事に対して倫理的な懸念を抱かざるをえなかった。

 父親に相談すると、上司の意向に従うべきであり、アジアの文化では意見対立は嫌われると言われた。このケースでは、スーザンは問題を会社に直訴すべきか、ソウル・オフィスの要求に従うべきかが課題であった。

 このケースを討議した教室では、多様なバックグラウドを持つ学生たちが、それぞれの国や文化の倫理観の違いをもとに活発な議論を交わしたに違いない。いかなる文化であっても、企業は顧客ばかりでなく、従業員の信頼を失わせるような非倫理的行動はけっしてすべきではないと、意見が一致した可能性もあるだろう。

 経営実務教授であるサッチャーは、論文を発表する機会はそれほど多くない。しかし、ケース教材の作成を通して、問題意識である企業の信頼性を損なう非倫理的行為と多様性のマネジメントの問題を常に提起し、学生にキャリアを築くうえで重要な気づきを与え続けている。