未来への新しい道

 自由市場が繁栄と自由の源として比類ないものであることは確かだが、自由市場が適切に役割を果たすためには、温室効果ガス排出などの外部性の責任が正しく問われて、真に機会の平等が確保され、自由で公正な競争が行われる必要がある。

 問題は、市場がみずからを取り締まれないことだ。そこで、市場の力を抑制するために、透明性があって、有能で、民主的な説明責任を果たせる政府が存在しなくてはならない。

 いま、株主の地位の強化、政治におけるカネの影響力の増大、政府の必要性や有効性を執拗に批判する発想の拡大などが原因で、市場の力と政府の力のバランスがかなり失われている。その結果、往々にして、企業が手っ取り早く利益を得るためには、政治家に働き掛けて自社に有利なルールつくらせることが、きわめて有効な方法になっている。

 たとえば、企業は、温室効果ガス排出規制に反対するためのロビー活動莫大な資金をつぎ込むことで、莫大な量の温室効果ガスを大気中に吐き出すことを許され続けている。同様の図式は、米国政府の新型コロナ対策でも見られている。コロナ禍における景気対策は、恩恵のかなりの割合が超大手企業超富裕層のものになっていることが次第にわかってきたのだ。

 企業が株主に対する義務をないがしろにすべきだと言うつもりはない。今日の競争が激しい市場で生き延びるためには、利益の追求に集中することが不可欠だ。

 とはいえ、利益の最大化は、あくまでも目的のための手段にすぎない。利益の追求が正当な行為と見なされるのは、真に自由で公正な市場が確保されていれば、利益を追求することを通じて繁栄と自由がもたらされると考えられているからだ。

 この前提が崩れて、政府が市場を抑制できなくなり、企業にルールを守らせたり、外部性を適切にコントロールしたり、真の意味での機会をつくり出すために必要な公共財を提供したりといった役割を果たせなくなれば、市場の力が強まりすぎて、企業はみずからの利益ばかり追求するようになる。

 新型コロナウイルス感染症に対する政府の対応が混乱を極めていて、一貫性を欠いているのは、この30年間にわたり、政府を「バスタブで溺れさせる」べき存在として扱い続けてきたことの直接の結果なのだ。

 企業はそのような態度を取り続けるのではなく、強靭な社会と、自由で公正な資本主義システムを守る仕組みの健全性を保つよう努めなくてはならない。いま、その必要性はかつてなく高まっている。それは、企業にとって道徳上の義務というだけではない。経済的利益の面でも、その重要性が増しているのだ。

 私たちは民主主義を立て直し、事実と敬意によって立つ社会的議論を行わなくてはならない。そして、すべての人を包摂する社会を築くために全力を尽くすこと、また、民主的な説明責任を果たす姿勢があり、国民のニーズに敏感で、高い能力を備えた政府の価値を思い出すことも重要だ。

 なぜ、それが必要なのか。政府が化石燃料の消費を規制し、温室効果ガス排出量の少ない選択肢の普及を促すインセンティブを設けない限り、世界のエネルギー供給の脱炭素化を推し進めることは不可能だ。

 また、個別の企業がこれまでよりも良質の雇用を提供することはできるにしても(さまざまな措置が必要とされるが、たとえば企業は十分な給料を支払い、継続的な研修を提供することなどができる)、不平等と人種差別の解消を大々的に推し進めようと思えば、政府の力による構造改革が避けて通れない。

 親の所得に関係なく、誰もが良質の教育と医療を受けられるようにしたり、法定最低賃金を引き上げたり、企業が力を強めるなかで社員の交渉力を強めたりする必要がある。

 しかし、カネが政治に及ぼす影響を排除し、ビジネス界が政府を攻撃するのをやめさせない限り、政治システムへの信頼は取り戻せず、ふつうの人たちのニーズに敏感な政府も生まれない。政府に対する攻撃は、表向きは自由市場の擁護という形を取ることが多いが、ほとんどの場合、社会の公平性を高めるための措置を妨害することを目的にしている。

 企業が足並みを揃えて粘り強く努力することにより、必要な制度上の変化を大きく推進できる面はありそうだ。実際、企業はすでに、世界の手ごわい問題を解決するために協力始めている。それに、世界で投資されている資金の3分の1は、投資先企業に気候変動対策を促す目的で投資されている。

 それだけではない。世界中の企業は、長期の経済的健全性を保つうえで、民主的な説明責任を果たし、自由な選挙で選ばれていて、高い能力を持った政府がきわめて重要だと気づき始めている。そして、そのようなことを公然と主張するようにもなった。

 しかし、これだけではまだ十分とは言えない。