『ハーバード・ビジネス・レビュー』を支える豪華執筆陣の中で、特に注目すべき著者を毎月一人ずつ、東京都立大学名誉教授である森本博行氏と編集部が厳選して、ご紹介します。彼らはいかにして現在の思考にたどり着いたのか。それを体系的に学ぶ機会としてご活用ください。2020年9月の注目著者は、スタンフォード大学教授のキャサリン・アイゼンハート氏です。

自身が卓越した業績を上げるだけでなく
有能な研究者を育成する優れた指導者

 キャサリン M. アイゼンハート(Kathleen Marie Eisenhardt)は1947年生まれ、現在73歳。スタンフォード大学工学部・大学院経営科学研究科(以下スタンフォード)のS. W. アッシャーマン医学博士記念講座教授、およびスタンフォード・テクノロジー・ベンチャー・プログラムのファカルティメンバーを務める。

 アイゼンハートは、1969年にブラウン大学工学部で機械工学の学士課程を最優秀の成績(cum laude with honors)で卒業した。同年秋には、ブラウン大学工学部の先輩であるポール・アイゼンハート(Paul Eisenhardt)と結婚し、夫が当時講師として勤務していた米国海軍大学院のスタッフとして働いた。

 アイゼンハートはその後、同校でコンピュータシステムの修士号を取得している。1978年にスタンフォード大学経営大学院に進学すると、1982年に組織行動論のPh.D.を授与された。アイゼンハートはそのときすでに35歳になっていたが、スタンフォードの助教授として採用された。

 アイゼンハートの博士論文は、“Organizational Control from the Perspective of Agency Theory: A Field Setting Example.(エージェンシー理論の視点からの組織コントロール:現場での事例)”である。この論文は、経済学の理論であるエージェンシー理論の「市場」の視点を援用し、組織をコントロールできる説明変数の検討を行う内容であった。

 組織には、目標、計画、調整、命令、コントロール、動機付けのためのプロセスを実行する管理システムがあり、組織のコントロールには、タスクの設計、業績評価、および報酬などの相互に影響する要因が含まれる。

 しかし、タスクの遂行において、従業員(エージェント)はプリンシパル(上級管理職)の意を受けたタスクを達成するために、常に最善の努力を払うとは限らない。アイゼンハートは論文において、管理システムは、エージェントの目標とプリンシパルの目標を一致させるよう努力する必要があると主張した。

 アイゼンハートは教育研究者としての活動を始めて以来、学会誌に多数の研究論文を寄稿している。

 経営戦略論と経営組織論を専門分野とし、劇的に変化する事業環境における技術関連企業、特にベンチャー企業のツーサイド・マーケットプレイスやビジネス・エコシステムなどの戦略的意思決定プロセスを研究対象としてきた。また、不確実性の高い業界や新規市場における戦略や組織を対象とする複数の詳細なケーススタディとデータ・シミュレーション手法から、帰納的に理論を構築する方法論にも関心を持っていた。

 アイゼンハートが学界から最初に注目を浴びた論文は、“Building Theories from Case Study Research(ケーススタディ研究からの理論構築),” Academy of Management Review, October 1989. である。この論文は、Academy of Management Review, 2007.において、過去10年間の最優秀論文を表彰する栄誉ある“Best Paper of the Decade”の受賞候補(Finalist)になった。

 アイゼンハートは、複数のケーススタディから理論を構築する手法を研究指導することで、スタンフォードの博士課程で多くの有能な研究者と優れた理論を生んだ。後述する通り、『ハーバード・ビジネス・レビュー』(Harvard Business Review、以下HBR)誌に共著で寄稿した論文は、スタンフォードの博士課程での一連の研究指導から生まれた研究成果である。

予測困難な事業環境に適応する
戦略策定プロセスとは何か

 企業は戦略的にも組織的にも、たえずさまざまな経営課題に直面している。マネジメントチ-ム内で課題解決に対する意見の相違が存在するのは当然で、それは回避できないことだと理解されてきた。

 アイゼンハートがHBR誌に寄稿した“How Management Teams Can Have a Good Fight,” with Jean L. Kahwajy and L. J. Bourgeois III, HBR, July-August 1997.(邦訳「成功するマネジメントチーム6つの戦術」DHBR1998年1月号)は、個人的な意見対立をどのようにして建設的で有益なものにすべきかという問題意識から書かれている。

 この論文では、環境変化が激しく、不確実性の高い事業環境に直面している技術関連企業のマネジメントチームを対象に、戦略的意思決定における「対立の存在」「社内政治」「時間」の相互作用に関する調査結果をまとめたものだ。

 調査によると、健全な対立が起きるマネジメントチームでは、問題点を深く理解し、優れた決定を短時間で行っているが、マネジメントチーム内での対立が少ない企業では、戦略的課題の重要な要素を見落とす傾向にあることが判明した。アインゼンハートはそれらの事実を踏まえて、非建設的な個人間の対立を回避する方法を提言している。

 なお、共著者のジーン・カフハジ(Jean L. Kahwajy)は、スタンフォードでアイゼンハートの研究指導を受け、Ph.D.を授与された博士課程の修了生であった。現在はコンサルタントと活躍するほか、IMDでも教鞭を執る。

 アイゼンハートが最も関心を持つ研究課題は、競争の激しさと変化のスピードが激変(high velocity)する予測困難な事業環境において、企業が成功するにはどのような戦略が求められるのか、である。

 “Time Pacing: Competing in Markets that Won't Stand Still,” with Shona L. Brown, HBR, March-April 1998.(邦訳「タイム・ペーシング」DHBR1998年7月号)では、不連続で急速に変化する市場における戦略のあり方を論じた。

 企業は一般に、技術の変化、業績の悪化、競合企業の戦略変更などの出来事にその都度反応し、自社の戦略をそれから変更しようとする「イベント・ペーシング」を行う。その際、自社の戦略を革新すべきか否かというジレンマを抱えるものである。

 それに対してタイム・ペーシングとは、不確実性の高い市場に対して、先見性のある予見により、自社の戦略を革新するタイミングを一定にスケジューリングすることでジレンマから逃れ、競争優位を実現することである。この論文では、競争の激しい業界で成功を収めたインテルやジレットなどの企業事例から「タイム・ペーシング戦略」を提言し、その策定方法と戦略実行での課題に言及した。

 アイゼンハートはその後、論文の共著者ショーナ(ショナ)・ブラウンとともに、Competing on the Edge, With Shona L. Brown, 1998. (邦訳『変化に勝つ経営』トッパン、1999年)を上梓している。ブラウンもスタンフォードの博士課程でアイゼンハートの研究指導を受けており、1995年にPh.D.を授与された。

 ブラウンはカナダの大学を卒業後、ローズ奨学生としてオックスフォード大学で経済学の修士号を修得し、1995年にスタンフォードの博士課程を修了した。同年、マッキンゼー・アンド・カンパニーのロサンゼルス・オフィスのコンサルタントとして採用されると、2000年にはパートナーに昇進している。2003年にはグーグルに転職し、2006年には上級副社長に就任するなど、有能な女性実務家の一人として注目を浴びた人物である。

 アイゼンハートはブラウンとの共著として、“Patching: Restitching Businesses to Market Opportunities,”, with Shona L. Brown, HBR, May-June 1999.(邦訳「パッチング:俊敏な組織改編の新手法」DHBR1999年9月号)も寄稿している。

 激変する事業環境に直面した企業は、変化がもたらすビジネスチャンスと事業ユニットの間に断層があり、軋(きし)みを生じている。この論文では、事業環境の変化がもたらすビジネスチャンスに照準を合わせて、戦略的かつ組織的に自社事業の選択と集中を柔軟に行う戦略プロセスである「パッチング戦略」を提言した。

 バッチャー(パッチングの実践者)はマネジャーと異なり、組織構造を流動的なものとして捉える点に特徴がある。戦略に合わせて組織を小刻みに改編(パッチング)することが必要であり、マネジャーはパッチングを学習し、何においてもパッチングを使いこなすべきだと、アイゼンハートらは主張した。

 アイゼンハートはパッチングに加えて、激変する事業環境への適応戦略として、“Coevolving: At Last, A Way to Make Synergies Work.” with Charles Galunic, HBR, December 2000.(邦訳「共進化のシナジー創造経営」DHBR2001年8月号)の中で「共進化(coevolving)」を提言している。

 共進化とは元来、生物学の用語である。生物が他の生物に適応していく過程で、両方の生物が互いに影響し合いながら進化することを意味する。

 自然界での共進化は、企業内で複数の事業部が力を合わせて大きなシナジーを生み出そうとする活動に酷似している。生物がどのような知恵によって複雑な環境に対処しているのかを考えると、共進化が企業戦略として浮かび上がるという。

 企業が共進化を効果的に行うためには、事業部の規模を小さく抑え、事業部長に大きな権限を与え、事業間での相互学習や協働することにより、範囲の経済が生み出す利益に目を向ける必要があると、アインゼンハートは主張した。

 なお、共著者のシャルル・ゴルニック(Charles Galunic)は現在、INSEADで組織行動論を担当する教授である。前述のブラウンと同様、カナダの大学を卒業後、ローズ奨学生としてオックスフォード大学で学んだのち、スタンフォードの博士課程でアイゼンハートから研究指導を受け、1994年にPh.D.を授与されている。

シンプル・ルール戦略とは何か
どうすれば実践できるのか

 アイゼンハートは、“The New-Market Conundrum.” with Rory McDonald, HBR, May-June 2020.(邦訳「新たな市場の開拓に差別化戦略はいらない」DHBR2020年9月号)を通じて、新規市場に参入する際の不確実性の課題に着目した。

 マイケル・ポーターの競争戦略論によれば、戦略とは競合企業と異なる活動を選択することにあるとする。しかし、新規市場で成功した企業を観察すると、必ずしも独自の戦略を持っていたとは言えないことがわかった。

 それでは、新規市場で成功している企業行動の共通性について、どのような戦略策定プロセスを経てきたのだろうか。この論文では、幼児の「並行遊び(parallel play)」にヒントを得て説明している。

 並行遊びとは、幼児の成長過程において、周囲の幼児の行動の影響を受けるために自然に取る行動である。企業でいえば、先行企業や競合企業の行動を借用ないし模倣して、その行動を検証し、さらに成果を確認する活動である。

 共著者でハーバード・ビジネス・スクール(HBS)准教授を務めるロリー・マクドナルドも、アイゼンハートの研究指導を受けたスタンフォード博士課程の修了者であり、2012年にPh.D.を授与されている。マクドナルドの博士論文は、“Competition and Strategic Interaction in New Markets.(新規市場における競争と企業間の戦略的相互作用)“であった。

 安定した市場では一般に、綿密な予測に基づき、持続可能な競争優位を獲得する経営戦略を立案し、堅実に実行することができるかもしれない。しかし、ダイナミックかつ迅速に変化し、不確実性が高く複雑な市場環境では、それに対応する戦略はさまざまな条件設定を必要とする。

 すると必然的に、戦略策定プロセスは多岐に渡り、戦略の目的である競争優位の持続性を保つ可能性が不明瞭であるために、戦略の実効性が低くならざるをえないという問題が生じるのだ。

 アイゼンハートは、“Strategy as Simple Rules,” with Donald N. Sull, HBR, January 2001.(邦訳「シンプル・ルール戦略」DHBR2001年5月号)の中で、戦略がシンプルなほど組織メンバーがそれを認識でき、戦略の実効性が高まると主張した。

 この論文では多数の企業事例を通して、戦略策定プロセスを自社にとって最も重要だと認識される課題、たとえばブランディングや商品開発に集中するような課題に対して、成功している企業は戦略として理解容易な「シンプル・ルール」を採用していることを例示し、その戦略の有効性を示している。

 アイゼンハートが10年後にHBR誌に寄稿した “Simple Rules for a Complex World,” HBR, September 2012.(邦訳「複雑な時代のシンプル・ルール」DHBR2013年1月号)では、「シンプル・ルール」戦略を発表してからの10年間を振り返り、当時主張したことが実際にはどのように採用されたのかを論じた。

 戦略がシンプルであることによるマネジメントの価値は、組織メンバーの足並みの一致、事業環境への適応、部門間調整という戦略の実効性の3つの側面を同時に実現することであり、マネジメントチームが取りうる数少ない手段の一つであると、アイゼンハートは主張する。そして、追加調査に基づく企業の導入例を示しながら、シンプル・ルールを策定するための5つのアプローチを示している。

 アイゼンハートはこのテーマを書籍にまとめ、Simple Rules, with Donald Sull, 2015.(邦訳『SIMPLE RULES』三笠書房、2017年)を上梓した。

 冒頭の通り、アイゼンハートは大学卒業直後の22歳で結婚し、旧姓のケネディからアイゼンハートになった。夫であるポール・アイゼンハートは1967年にブラウン大学工学部卒業後、HBSに進学して1969年にMBAを取得したのち、海軍予備役中尉として米国海軍大学院の講師を務めた。その後、カリフォルニア州サンマテオのエンバイロテック・オペレーティング・サービスの社長などを務めている[注]

 その後、アイゼンハートは2人の子どもを育てながら31歳でスタンフォードの大学院に進学して学究生活を始め、1982年、35歳でPh.D.を授与された。博士論文の巻頭、アイゼンハートは夫のポールと2人の子どもに感謝の言葉を述べている。

 “This dissertation is dedicated most especially to Paul, who has given me so much love, support, and understanding throughout this endeavor and throughout our life together. It is also dedicated to Eric and Alison. Both Paul’s and their understanding meant so much during those long hours when “Mommy was working on her big paper”. I appreciate all that they did to support me, and all that they sacrificed to do so.”

(この論文を誰よりもまず、努力とともに過ごした日々を通じて、深い愛情と支援、そして理解を示してくれた夫のポールに捧げたい。また、エリックとアリソンにも捧げたい。ポールと2人の子どもたちは、「ママはすごく大切な論文を書いている」と理解を示し続けてくれた。家族から受けたあらゆるサポート、そのために家族が払った犠牲に対して、心からの感謝を伝える)

[注]https://prabook.com/web/paul.eisenhardt/1687904を参照。