日本企業が問い直すべき3つのこと

 本稿の最後に、筆者の気づきを3点ほど述べたい。

 1つは「教育」についてである。ネットフリックにせよアマゾンにせよ、企業文化に関する記述はホームページの「採用」に関して記載されているが、日本企業はおおむね「企業紹介」欄にある。これは些末な違いではあるが、欧米企業と日本企業に関する採用と教育の比重のかけ方が大きく違うことを物語っているように思う。

 米国のクレジットカード業界で後発ながら急成長をする、キャピタル・ワンの創業者の一人リチャード・フェアバンクは、「ほとんどの会社は採用にはたった2%の労力しか払わないで、残り98%を採用の失敗の手当てに費やしている。われわれはまったく逆だ」[注18]と指摘する。

「誰をバスに乗せるかが大切だ」は世界的ベストセラー“Good to Great”(邦訳『ビジョナリーカンパニー2』)の最大のメッセージである。それと関連して、次のような指摘もある。「『人材こそが最も重要な資産だ』という格言は間違っている。人材は最重要の資産ではない。適切な人材こそが、もっとも重要な資産なのだ」

 リクルートの江副氏、日本電産の永守重信会長、DeNAの南場智子会長などは人材の採用に膨大な時間とエネルギーをかけているが、多くの企業では経営者の仕事というより人事部(と外部のエージェント)の仕事となっている。ネットフリックスのように、各部門に専門のリクルーティング部隊を持つ必要はないかもしれないが、経営者にとって、採用の強化と改革は重要な検討項目と思われる。

 さらに、教育には「教える」と「育つ」の両面がある。河合隼雄氏は前者を動物のしつけ、後者を植物の成長に例えたが、この2つを混同して「教えることによって育てる」ことが人材育成であると思い込んでいる企業がまま見られる。人も植物も「育つ」のであり、「育てる」のは「型にはめる」と同義である場合が多い。結果として、個人の持つ多様な能力が発揮されずに、量産型のサラリーマンが生まれる状況をつくっていないだろうか。

 2つ目は、日本に限らず多くの企業で「ルール」が蔓延していることである。自主性といいながらさまざまなルールで型にはめることを当然のこととされ、意味のないルールであってもそれに従わないことが悪とされることが多い。

 ルールが自己目的化することが多いことに加えて、そもそもの目的を考えることなく「ルールの番人」であることを既得権益のようにふるまう管理者も生まれる。自主性がないからルールをつくる、ルールをつくるから考えなくなってますます自主性がなくなるという悪循環から抜け出せない。

 1つ目との関連でいえば、ほとんどの企業は、ごく少数、バスに紛れ込んだ不適切な人たちを管理するために、官僚的な規則をつくる。すると、適切な人たちがバスを降りるようになり、不適切な人たちの比率が高まる。その結果、規律の欠如と無能力という問題を補うために、官僚制度を強化しなければならなくなる。そうして、適切な人たちがさらに去っていく。

 日本で特に多いと思われるのは「自分で考えたくない」「自分で責任を取りたくない」「お上が決めるべきだ」といった「こども社員」によるルール待望論である。コロナ問題で「明確なルールを」をいい年をした「こども」がマスコミで堂々と言うのはまさにそういうことだ。ネットフリックスのように「常識を使え、終わり」といかないのだ。

 我々は、企業人として、あるいは一市民として、こうした現実を踏まえて、自主性が育つ環境をつくらなくてはならない。「いらないルールは廃止」というのもいいが、行動心理学の知見から言えば、一旦すべてのルールを廃止して、どうしても必要なものだけ新たにルール化するのはどうだろうか。

 最後に、もし社員が自主性をもって「経営者のつもり」で仕事に取り組めるのであれば、必然的に上司は必要なくなる。もちろん、専門知識などの問題はあるし、目的や戦略方向性の設定はトップがやらなくてはならないが、その場合に係長、課長、部長補佐など、ミドルマネジメントの価値は何だろうか。

 意思決定のスピードを落とす役割しかないように見える稟議書は、いったい何のためにあるのか。部下のアイデアを小姑的にダブルチェック、トリプルチェックをし、叱責することが役割であるとすればマイナスでしかない。「管理職」は本当に必要なのか。それが過剰な人員、コストアップ、さらには部下のモチベーション低下につながっていないだろうか。

 ネットフリックスを鏡として、この点を改めて考えていただければと思う。

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 本稿で取り上げた企業は、いずれも創業者のカラーが色濃く出ている。こうした創業者たちは「型破り」「ユニーク」と形容されることが多いが、現実には、自分の信念に正直だけだったのではないかという気がしてならない。それを勇気という人もいるが、大組織につきものである有形無形の非合理性を受け入れるほうがはるかに我慢強く意志が固いという気もする。

 ネットフリックスをはじめとする企業文化が示唆するのは、「万人にとってよい会社」はないという当たり前の事実である。合わない人から、あるいは無責任なマスコミから非難されるほどでなければ差別性は生まれず、「誰もがそこそこやっていける会社」が今後の厳しい環境で生き残れるとは思われない。

 第3回で触れたネットフリックスのカルチャーデックの最後にある、サン・テクジュペリの言葉で本稿を締めくくりたい。「船をつくるのなら、材木の切り方や鉋(かんな)のかけ方を教える前に、海への情熱を伝えよ」。あなた(の会社)が提案する「海への情熱」とは何だろうか。

【注】
1)アイリスオーヤマ株式会社(A)〜(D) 慶應ビジネススクール(2018年、2020年)
2)青野慶久『チームのことだけ考えた』(ダイヤモンド社、2015年)、山田理『最軽量のマネジメント』(サイボウズブックス、2019年)を参照。
3)「大山健太郎の経営道」(『日経トップリーダー』、2017年1月号)を参照。
4)筆者らが2020年3月3日に実施したインタビューに基づく。
5)筆者らが2018年7月24日に実施したインタビューに基づく。
6)注2と同じ。
7)グーグルも同様の方針を採用している(エリック・シュミットほか『How Google Works』〈日本経済新聞出版、2014年〉、ラズロ・ブック『Work Rules』〈東洋経済新報社、2015年〉)。情報漏洩は年に1件のペースで起きるが、それでも情報共有を続けるのは、そのプラスのほうがはるかに大きいからだという。
8)同社は「かんてんぱぱ」ブランドで48年間増収増益を達成し、トヨタ自動車の豊田章男社長はじめ多くの経営者が視察に訪れるという。
9)「塚越寛の永続するいい会社のつくり方」(『日経トップリーダー』2017年6月~9月号)を参照。
10)『日経ビジネス』2014年12月1日号を参照。
11)たとえば、稲盛和夫『稲盛和夫のガキの自叙伝』(日本経済新聞出版、2004年)、日経トップリーダー編『経営者とは:稲盛和夫とその門下生たち』(日経BP社、2013年)を参照。
12)「リクルートが人材輩出企業と呼ばれる理由」『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2015年5月号を参照。
13)江副浩正『リクルートのDNA』(角川書店、2007年)を参照。
14)アマゾンのベゾスがいう“We are genuinely customer-centric, we are genuinely long-term oriented and we are genuinely like to invent(我々は本気で顧客中心であり、本気で長期志向であり、本気でイノベーションを起こしたいと考えている)”の“genuinely”(本気)もこれに当てはまる。
15)1998年、アマゾンと買収がらみの最初のミーティングでも、スタートアップの苦労で盛り上がるベゾスとランドルフの横にいて、ヘイスティングスは「あからさまに退屈そうだった」という。マーク・ランドルフ『不可能を可能にせよ! NETFLIX 成功の流儀』(サンマーク出版、2020年)を参照。
16)リクルート事件当時「社章にデザインされたカモメはその優雅な飛び姿とは裏腹に肉食で獰猛だから、商業的合理主義を掲げて暴走するリクルートを暗示していた」と評された江副について、藤原和博元フェローは「商業的合理性の追求とは利益の飽くなき追求という意味ではなく、人間の動機付け合理性の追求という意味」で徹底していたと述べている。藤原和博『リクルートという奇跡』(文藝春秋、2002年)を参照。
17)1982年に犯罪学者のジェイムズ・ウィルソンとジョージ・ケリングによって発表されたこの理論は、「空きビルなどの窓の1つが割られてそのまま放置されていると、そのうちにそのビルすべての窓が割られる」現象をもとに、小さな油断がやがて大きな問題に発展することを示す。
18)Christopher H. Paige, 2000, Capital One Financial Corp, Harvard Business School.