接触者追跡用モバイルアプリは、ユーザーが誰と近くにいたかを追跡でき、そのうちの一人の感染が確認されたら、濃厚接触したと見なされるユーザーに通知する。接触者追跡アプリの中には、感染者が近くにいると警告を発して感染を防ぐことができたり、感染しているユーザーがソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)のガイドラインに従っているかどうかを追跡したりするものさえある。

 問題は、アプリが効果を発揮するには、ほとんど全員が使用している必要があることだ。アプリの特徴は、強いネットワーク効果である。つまり、ユーザーにとってのアプリの価値は、ほかに何人がダウンロードして常に使っているか次第で変わってくる。

 もしユーザーと接した人のごく一部しか使っていなければ、そのアプリはよくて無価値、悪ければ有害にさえなる。アプリが導き出す結果はひどく不正確で、誤った安心感を与えかねないからだ。

 接触者追跡アプリで感染拡大を食い止めるためには、最低でも人口の60%が利用する必要があると見積もられている。これは控えめに言っても、とても達成が難しい数字だろう。

 さらに、各ユーザーにとって信頼に値するアプリであるためには、すなわち各ユーザーが接した人々のうち数人ではなく全員について正確な情報を得るためには、60%以上の利用者がいなければならない。非常に広範にわたって利用されなければ、このようなシステムは役に立たず、場合によっては危険でさえある。

 利用を促進するうえでの大きな課題は、プライバシーに関する懸念である。

 ユーザーのプライバシーが守られていると広く認知されれば、その分、多くの人々が接触者追跡アプリを受け入れるだろう。一方で、プライバシー保護が強いとウイルスの拡大を追跡するツールの効力は制限され、アプリ普及の足を引っ張ることになる。

 たとえば、もしこれから会おうとしている相手が感染しているとアプリが警告したら、役に立つ。しかし、多くの国々では個人のプライバシーを保護するため、このような機能を搭載しないことにしている。

 接触者追跡アプリの普及を加速する一つの方法として、アプリの利用の義務化が挙げられる。これは中国でうまくいったアプローチだ。しかし、ほとんどの国では利用は任意制で、普及率は低い。たとえば利用が任意制で、個人のプライバシーを尊重すると保証しているシンガポールでのアプリの利用者数は、人口の35%にすぎない。

 アイスランドは欧州で最初にアプリを導入した国だが(2020年4月上旬)、7月8日時点で普及率は40%に届いていない。欧州の他の国々の利用率はさらに低い。欧州連合(EU)が4月に、安全でプライバシーが保護され、相互運用可能な接触者追跡アプリを設計するための協調アプローチ策定の勧告を発表したにもかかわらず、である。

 利用が任意制である場合、接触者追跡アプリは典型的な「鶏が先か卵が先か」または「コールドスタート」の問題に陥る。これは、強いネットワーク効果を必要とするプラットフォームが必ず経験する問題である。プラットフォームは事実上、ユーザー数がクリティカルマスに達するまでは無価値なためだ。