Illustration by Lucy Jones

新型コロナウイルス感染症で身近な人を亡くしたり、経済が崩壊したことで職を失ったり、人種差別的な言動を目にして心を痛めたり……世界中の人たちがいま、深い喪失や悲しみを経験している。困難に負けることなく、立ち止まらずに前進しよう。そんなアドバイスを耳にすることも多い。しかし、辛い感情を押し殺してまで生産的であり続けることが、本当に意味のあることなのだろうか。最近、病気で父親を亡くした筆者は、「何もやらない」ことを認める勇気を持つことが大切だと説く。


 この間、父が亡くなった。悪性のリンパ腫だった。

 友人が私にこんなメッセージをくれた。

「その人のことを思い出したとき、その瞬間、まるでその人がそこに実際にいるように、笑顔が見えたり、声が聞こえたり、存在を感じたりする。こうした消えない印を残していく人はこの世界にほとんどいないけれど、あなたのお父さんはめったにいない、そういう人の一人だったんだね」

 彼とやりとりするとその度に自分のことがよりよく感じられる。父はそんな人だった。

 世界は変わった。父がいないこの世界は、なんだか前より小さくなった。

 どうしていいかわからない自分がいる。気が散り、集中できず、生産的になれず、何もきちんと前に進めることができない自分がいる。

 私はいま、非常に個人的な喪失と悲しみを経験している。でも、他の人も似たような苦しみを抱えているという声が聞こえてくる。新型コロナウイルス感染症のパンデミック、経済崩壊、人種の不正義の深さへの気づき。すべて個人的な経験だ。

 どうしていいかわからない、前に進めないという感情は本当に嫌だ。すごく不安になる。

 その感情を押し退けてなかったことにしようとする力が、自分の中で働く。生産性、達成、前進のために、計画し、やることリストをつくり、期限を決める。これは、私がいつもやってきたことだ。こうやって、先が見えないときに安心を取り戻してきた。

 でも、まったく逆の衝動も感じている。もっと静かな声、でも自分のもっと深いところで響いて、怖い感じすらする声。その声はこう言っている。

 非生産的なままでいよう、と。

 少なくとも、あとちょっとの間は。いまの悲しみを感じ、喪失を感じ、変化を感じる。前に進めず、てきぱきと物事をこなせない居心地の悪さの中に身を浸す。

 不思議なことに、前進しないということ自体が、もしかして生産性の一つの形なのかもしれない。何か豊かなことが、いまここに起きている。でも、それが私たちのコントロール外にあるというだけだ。