『Harvard Business Review』を支える豪華執筆陣の中で、特に注目すべき著者を毎月1人ずつ、東京都立大学名誉教授である森本博行氏と編集部が厳選して、ご紹介します。彼らはいかにして現在の思考にたどり着いたのか。それを体系的に学ぶ機会としてご活用ください。2020年7月の注目著者は、IMD教授のマイケル D. ワトキンス氏です。

 

ハーバード・ビジネス・スクールで
ハワード・ライファの指導を受ける

 マイケル D. ワトキンス(Michael Denis Watkins)は1956年、カナダのオンタリオ州北西部、5大湖の一つであるスペリオル湖に面したサンダーベイに生まれた。現在64歳。ビジネスリーダー育成と組織革新のコーチングを行うジェネシス・アドバイザーズの共同創業者である。

 また、スイスのローザンヌにある、欧州でも著名なビジネススクールIMDで教授も務める。IMDでは、リーダーシップに関する“Transition to Business Leadership”、および組織変革に関する“The First 90 Days”の2科目を担当している。IMDの教員は基本的に単年度契約であるが、ワトキンスの契約は2007年から現在まで13年間も続いている。

 ワトキンスは、理工科系大学として著名なウォータールー大学で電気工学を学び、1983年、ウエスタンオンタリオ大学(現ウエスタン大学)の大学院に進学すると、経営学と法学の修士号を取得。その後、1985年、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の研究者養成を目的としたPh.D.プログラムに進学した。

 ワトキンスはHBSでハワード・ライファ(Howard Raiffa)の指導を受けて、交渉過程と意思決定論を研究した。ライファは偉大な応用数学者であり、Games and Decisions, 1957.(未訳)や『交渉分析入門』(東洋経済新報社、1972年)などの著者としても有名である。

 HBSでは、「マネジリアル・エコノミクス」の研究領域を創始し、HBSの学生がケースディスカッションで戦略を決める際には欠かせない「ディシジョン・ツリー」の考案者である。また、ジョン F. ケネディ・スクール・オブ・ガバメントの創設者の一人でもある。同校はハーバード・ケネディスクール(以下ケネディスクール)の前身であり、ライファはそのカリキュラム作成に多大な貢献をした。

 ライファは『ハーバード・ビジネス・レビュー』(Harvard Business Review、以下HBR)誌にも寄稿しており、“The Hidden Traps in Decision Making,” with John S. Hammond and Ralph. L. Keeney, HBR, September-October 1998.(邦訳「意思決定を歪める心理的な落とし穴」DHBR1999年5月号)などの論文を残した。この論文は、Smart Choices, 1999.(邦訳『意思決定アプローチ』ダイヤモンド社、1999年)として書籍化されている。

 ワトキンスの博士論文のテーマは、“Managing cross-functional problem-solving: a study of liftgate engineering at Ford of Europe”(部門横断的な問題解決の実証的研究:欧州フォードによるリフトゲート開発の事例)であった。

 この研究では、フォードのリフトゲート(テールゲート)開発における伝統的な開発プロセスに対して、新しいサイマルテニアス(同時進行)型のアプローチに移行させる際に生じる、機能横断的な解決処理の管理課題を明らかにすることを目的とした。新しいエンジニアリング能力への変更を促進・加速する際の、構造化エンジニアリング手法の役割を調査した内容であった。

 ワトキンスのその後の著作や活動を見ると、旧体制から新体制に移行する際に生じる紛糾に対して、リーダーシップと交渉で平和裏にどう解決するかという当時の課題意識が、現在まで続くライフワークになったように思える。

国と企業はどうすれば
交渉を成功に導けるのか

 ワトキンスはHBSに6年間在籍し、1991年にHBSから意思決定科学のPh.D.を授与され、ケネディスクールの准教授として採用された。ケネディスクールでは多くのケースを研究するとともに、ケースプログラムの講義では、ボスニアやパレスチナ問題などの外交交渉や貿易交渉に関する議論をリードした。

 講義で取り上げた代表的なケースとしては、“The Gulf Crisis: Building a Coalition for War,” Harvard Kennedy School, January 01, 1994.(湾岸戦争:戦争のための連合の構築)がある。

 このケースでは、イラクがクウェートに侵攻直後、米国が軍事介入することに対する国連、関係各国との外交交渉を取り上げ、特に軍事介入に関する難しい交渉のあり方を議論する題材となった。その後、Breakthrough International Negotiation, 2001.(未訳)を上梓し、ケネディスクールのケースプログラムで取り上げた内容を総括している。

 ワトキンスは1996年、ケネディスクールからHBSに移り、「交渉術・組織・市場(Negotiation, Organization and Markets)」ユニットに所属する准教授として、2年次の選択科目である「企業の外交・渉外活動における交渉」を担当した。

 企業が、さまざまな問題から突然直面した危機的状況での渉外対応に失敗して、経営危機に陥るケースは珍しくない。ワトキンスはそのような問題意識に基づき、 “Predictable Surprises: The Disasters You Should Have Seen Coming,” with Max H. Bazerman, HBR, April 2003.(邦訳「ビジネス危機は予見できる」DHBR2003年10月号)をHBR誌に寄稿した。

 ワトキンスは、どのような企業でも予見可能な危機を見過ごしたことに問題があると指摘する。そして、予見可能な危機を未然に回避する3つのステップとして、まず危機を認識(recognition)して、組織として危機に注目(prioritization)し、先手を打って予防に必要な経営資源を配置して対応(mobilization)する「RPMプロセス」を提唱した。

 なお、このテーマをまとめて、Predictable Surprises, 2004.(邦訳『予測できた危機をなぜ防げなかったのか?』東洋経済新報社、2011年)を上梓している。

コーチングのプロフェッショナルとして
起業しながら大学の教壇に立ち続ける

 ワトキンスは2003年、パートナーであるシャウナ・スラック(Shawna Slack)と共同で、ビジネスリーダーにコーチングするジェネシス・アドバイザーズを設立し、翌2004年6月にHBSを退職した。

 ワトキンスはHBSで8年間教鞭を採り、その間に出版したリーダーシップと交渉に関する書籍はいくつかある。その中で、既存組織に着任したリーダーと既存メンバーとの円滑な交渉のあり方を記した、Right From the Start, with Dan Ciampa, 1999.(邦訳『転職時代』流通科学大学出版、2000年)が企業の人事担当者から注目され、新任マネジャーに対する研修プログラムの開発とコーチングを依頼された。

 2003年には、The First 90 Days, 2003.(邦訳『ハーバード・ビジネス式マネジメント 最初の90日で成果を出す技術』〈アスペクト、2005年〉、改訂増補版『ハーバード流マネジメント講座 90日で成果を出すリーダー』〈翔泳社、2014年〉)を上梓した。

 この本は『ビジネスウィーク』誌のベストセラーリストで紹介され、ハーバード・ビジネス・プレスのベストセラーにも入り続けるなど、ビジネス書として成功を収めた。『エコノミスト』誌からは「ザ・オンボ-ディング・バイブル(昇進・異動する新任リーダーが着任するための教本)」として絶賛されている。

 HBSを退職した当初、ワトキンスは学術機関での職をいっさい求めない決意を持っていた。しかしINSEADからの誘いがあり、同年秋から組織行動論の実務担当教授(Professor of Practice in Organizational Behavior)として、ビジネスリーダーを対象にした研修プログラムのAMP(Advanced Management Program)でコーチングを担当することになった。

 その後、2007年、ワトキンスはIMDに籍を移した。現在はジェネシス・アドバイザーズでの活動を続けながら、IMDに世界中から集まったビジネスリーダーにコーチングを続けている。

新任リーダーが成果を上げるために何をすべきか

 ワトキンスは書籍と同様の問題意識から、“Picking the Right Transition Strategy,” HBR, January 2009.(邦訳「STARSモデル:新任リーダーの成功原則」DHBR2009年3月号)を寄稿し、異なる事業組織に就任した新任リーダーが取り組むべき要諦を示している。

 この論文では、昇進あるいは異動した新任リーダーが新しい着任先で着実に成果を出すためにまず、その事業組織が「再建(turnaround)」を必要としているのか、「再編(realignment)」を必要としている状況なのかを見極めることで肝心だと述べている。

「再建」とは、喫緊の課題に迅速に対処することが求められる状況であり、「再編」とは、暗雲が立ち込めているが、嵐には至っていない状況を指す。

 再建の状況では、問題の所在が明らかで組織メンバーはその必要性を理解している。それに対して再編の状況では、組織メンバーは問題の存在を認めない場合が多く、危機意識が共有されていない。そのため、リーダーシップのあり方やアプローチも異なり、状況判断を間違えば混乱を招くことになる。

 新任リーダーは目の前の状況を理解し、その現実に適応しなければならない。それには、組織が直面している中心課題を上司、同僚、部下と共有することが必要となる。ワトキンスは、新任リーダーが取り組むべき組織戦略のアプローチとして、書籍で提示した「STARS」のフレームワークを改めて提唱した。

 STARSとは、前任者の成功の持続(Sustaining Success)、組織の再編(Realignment)、モチベーションによる成長の加速(Accelerated Growth)、事業の再建(Turnaround)、そしてプロジェクトの立ち上げ(Start-Up)である。STARSのフレームワークが組織メンバーの共通言語となれば、組織改革ばかりでなく、メンバーの意識改革を導くことができるとワトキンスは主張する。

 ワトキンスは以降、新任リーダーのリーダーシップに着目してきた。“Leading the Team You Inherit,” HBR, June 2016.(邦訳「メンバーを変えずにチームで変革を進める法」DHBR2016年12月号)では、業績不振を理由に前任者を更迭し、新たに社外から着任した新任リーダーが、前任者が率いたチームを引き継ぐことの課題と変革プロセスを検討している。

 社外から着任したリーダーが未知のチームを率いるには、自分が受け継いだ人材の能力やチーム内のパワーバランスをすみやかに見極め、必要に応じてチームを再編し、成果に向けてチームを活気づけなければならない。

 たとえば、あるチームを調査した結果、信頼を構築するためには、透明性、安心感、結束が課題であることが判明した。そして、情報の共有、意思決定の透明性を高めるといった行動原則とプロセスの再検討が必要であることがわかった。

 なお、ワトキンスは、新任リーダーの新天地への円滑な移行をどう実践すべきかという同様の問題意識に基づき、“Help Newly Hired Executives Adapt Quickly,” HBR, June 2007.(未訳)、“Obama’s First 90 Days,” HBR, June 2009.(未訳)、“Onboarding isn’t Enough,” with Mark Byford and Lena Triantogiannis, HBR, May-June 2017.(未訳)などの論文も寄稿している。

現場のマネジャーはどうすれば
トップリーダーに移行できるのか

 現場を率いていたマネジャーが、全社的に事業部門を率いるトップリーダーとして責任ある立場に立ったとき、ややもするとそれまでの経験やスキルに頼り、対応しきれずにつまずいてしまうことも少なくない。

“How Managers Become Leaders,” HBR, June 2012.(邦訳「リーダーとマネジャーの大いなる相違」DHBR2012年9月号)では、40人以上への経営幹部へのインタビューから得た知見によって、マネジャーからトップリーダーへの移行を円滑に実現するために、「7つの大転換(The Seven Seismic Shift)」を紹介している。

 7つの大転換とは、(1)スペシャリストからゼネラリストへ、(2)分析者から統括者へ、(3)戦術家から戦略家へ、(4)レンガ職人から設計者へ、(5)問題解決者から課題設定者へ、(6)戦士から外交官へ、(7)脇役から主役への転換である。それぞれの詳細は、論文をご覧いただきたい。

 ワトキンスは、これらを実践するには、左脳による分析的思考から右脳による概念的なマインドセットの切り替えを努めることが必要だと主張した。

 自分の役割を移行することが難しい際たる例が、CEOへの就任である。実績あるCEOが退任を決め、内部昇格を実施する場合も、あるいは社外から後継候補者を新たに採用する場合も一般的に、CEO就任までの2〜3年の引き継ぎ期間が存在する。そして、それぞれ期間に困難な課題に直面することになる。

 ワトキンスが内部昇格者に焦点を当てた論文が、“How Insider CEOs Succeed,” with Andrew P. Chastain, HBR, March-April 2020.(邦訳「内部昇格した社長が直面する5つの課題」DHBR2020年7月号)である。

 CEOの後継が内部昇格者であることの利点は、社内の状況を熟知し、リーダーシップや業務スタイルが確立されており、社員によく知られていることだ。その一方で、これまでの人間関係が足を引っ張り、大胆な改革に着手できないという欠点もある。

 ワトキンスは内部昇格した多くのCEOにインタビューして、5つの課題を明らかにした。第1に自身のこれまでのイメージの払拭、第2に内部昇格の支持者を失望させる決断、第3にこれまでの同僚や部下との関係、第4に拙速な変革、そして第5に退任する現CEOとの円滑な引き継ぎである。

 また、HBR誌に1999年に寄稿した、“Successor’s Dilemma,” with Dan Ciampa, HBR, November-December 1999.(邦訳「CEO交代のジレンマ」DHBR2000年7月号)では、外部採用された後継候補者について、退任する現CEOや経営陣との確執から生じるジレンマに言及している。

 外部採用の後継候補者には、内部昇格者が直面する第1から第3までの課題はない。しかし、第4の拙速な改革の推進は現CEOや経営陣との関係を悪化させ、第5に挙げられた円滑な引き継ぎが行われないまま、会社を去ることになる。

 データでは、CEOの後継候補者の94人のうち35人が外部採用であったが、そのうち22人が5年後には会社を辞めており、75%が期待されたトップの地位に到達していないことが示された。ワトキンスは、CEOへの交代は、課題を認識し、組織のサポートを得て、課題解決に向けてすみやかに着手しなければ、成功することはないと主張した。

 CEOをはじめとするリーダーが果たすべき重要な役割の一つは、プロジェクトを先導することだけでなく、プロジェクトをやめる決断を下すことだ。多くの企業が、プロジェクトをやめられずに延々と続いてしまうという問題を抱えている。意思決定論ではその理由を損失回避と埋没費用回避から説明し、行動経済学ではプロスペクト理論が主に用いられる。

 ワトキンスは、“To Many Projects,” with Rose Hollister, HBR, September-October 2018.(邦訳「なぜ、そのプロジェクトはやめられないのか」DHBR2019年5月号)の中で、組織内の駆け引きのためにプロジェクトの延命が画策されて、プロジェクトの数が積み上がることによる過度の負担が、組織の生産性の低下や従業員の燃え尽き症候群を招くことを指摘した。

 この論文では、組織がプロジェクト漬けになる理由として、「ログ・ローリング」と呼ばれる組織間の政治的な取引によって引き延ばすことなど7つのポイントが挙げられている。そして、プロジェクト漬けを是正するには、難しい決断を下し、それを実施に移す規律と強い意志によるリーダーシップが必要であり、そのための6つの段階的プロセスと指針を提示した。

 ワトキンスはもともと、電気工学のエンジニアであった。冒頭で記した通り、カナダの理工科系大学として難関校の一つである、ウォータールー大学で電気工学を学び、卒業後はオンタリオ州の電力企業に就職し、代替エネルギーの開発プロジェクトに従事した。そして、厳寒の地であるカナダ北部の北オンタリオで、風力・ディーゼルハイブリッド発電設備の導入に取り組んだ。

 しかし、いったんは就職したものの、勉学に励もうというワトキンスの意思は固かった。そこから一念発起し、カナダの名門ウエスタンオンタリオ大学の大学院に進学してからの目覚ましい活躍は、ここまで記した通りである。厳寒の地で働くワトキンスの姿を想像するとき、彼の勉学に対する思いの強さが伝わってくる。