もちろん、人間は合理的な行動が不可能なわけではまったくない。信仰や無知や迷信よりも理性が勝ってきたという事実があるからこそ、現代の発展がある。

 しかし、今日のほとんどの組織でHR部門の上級マネジャーに、次のような質問をしてみるといい。経営幹部らの貢献度を順位づけるため、あるいは最も報酬が高い従業員らのパフォーマンス、資質、潜在能力を比較するための、確実な指標を示してほしい、と。シリ(Siri)に明日の天気が雨かを訊ねたときよりも、はるかに曖昧で主観的な答えが返ってくるはずだ。

 興味深いことに、最も重要性が高い仕事のパフォーマンスを測定することが、最も難しい。

 仕事のパフォーマンスを概念化し、測定する方法については、大量の研究と理論があるが、データドリブンなアプローチが効果的に機能するのは、より末端の仕事に対してである。すなわち、大量のデータ、反復的な業務、単純労働者、そして高度の社会工学(100年前のフレデリック・テイラーによる科学的管理法の遺産)という特徴を持つ仕事であれば、個々人のパフォーマンスの差異を、かなり適切に定義・測定できる。

 現代においてこれが当てはまるのは、ウーバーの運転手だ。

 2人の評価者が、あるウーバー運転手の仕事ぶりを査定するとしよう。対象者のパフォーマンス(および潜在能力)を、他の全運転手のそれと比較できる豊富なデータにアクセス可能ならば、2人の評価が一貫して、合致しないことはほぼありえない。データとはたとえば、運行回数(日、週、月、年ごと)、売上金額、交通事故の回数および罰金の金額、(何千人もの)乗客による評価などである。

 これとは対照的に、マリッサ・メイヤーやドナルド・トランプについて、それぞれの職務におけるパフォーマンスを明確に測定したい場合は、どうだろうか。ウーバー運転手よりも明らかに大きな利害を伴うこうした職務については、話はもっと複雑だ。

 何をベンチマークとするのか。他の人が同職に就いていた場合と比べて、良し悪しをどう判断すればいいのか。この場合の「他の人」とは誰にすべきか。対照群は誰か。彼らに対する「人々の認識」を排除して、彼らが実際に取った行動と意思決定を厳密に評価できるのか。

 同様に、イーロン・マスクがいなければテスラはどうなるのか。スティーブ・ジョブズ亡き後の、アップルのパフォーマンスはどうなのか(データにもとづく答えは……明らかではない)。