その一つが、仕事の世界である。

 ここでは人間の直感、セレンディピティ(偶然の発見や出会い)、バイアスのほうが、いまだにデータよりもまかり通っている。実際、わずか20年前、あるいは50年前と比べても、仕事の世界が大幅にエビデンス志向またはファクト志向になったことを示す兆候は少ない。

 例を挙げよう。人は、自分の価値観と性格に適した役割や職務に就いていると、仕事をより楽しみ、目的意識も高まる。これは、立証されている事実である。にもかかわらず、ギャラップの調査によれば、その過半数は嫌いな職に就いており、意欲を持たず、生産性が低い。

 ここで特筆に値する点がある。

 こうした推計は、最も頭脳明晰で優秀な従業員を雇っている世界各地の多国籍企業からの回答にもとづいている。つまり、彼らは立派な学歴があるにもかかわらず、不合理な――だが往々にして予想通りの――キャリア選択をしているのだ。自分の資質と潜在能力をもっと的確に理解していれば、叔母やいとこや隣人に勧められた職よりも、自分の興味・関心と能力に見合った職を選ぶはずであろう。

 そして雇用主側においても、堅牢なデータ、つまり厳然たるファクトが欠如しているのは明らかだ。最も資金豊富で大規模、かつ洗練されたHR部門を有する(すなわち、博士号レベルの産業・組織心理学者を何十人も抱えているような)企業でさえも、人材マネジメントにおいてはいまだに、あまりデータドリブンではないのだ。

 筆者の新刊『なぜ、「あんな男」ばかりがリーダーになるのか』で述べたように、採用と昇進は、候補者の能力よりも自信にもとづいて行われるという、一般的な傾向がある。そして、実際に成果を上げて組織に多く貢献する人よりも、短期的なコミュニケーション(たとえば採用面接など)において、他者を惹きつけたり、手玉に取ったりすることに長けた人のほうが、格段にキャリアアップしやすい。

 このことを踏まえれば、自信、積極性、政治力、セルフ・ブランディングなどの向上を説く助言はすべて、うわべよりも本質を見る能力が雇用主に欠けていることの明白な表れである。残念ながら私たちの住む世界では、中身がなくてもうわべだけがよい人のほうが、うわべはまったく冴えないが中身がある人よりも成功しやすいのだ。