どのような行為を儀式と呼ぶのでしょう。繰り返し実行されることが条件なのでしょうか。

 繰り返し実行されることは、必ずしも条件ではありません。

 たしかに、繰り返せば威力が増すでしょうが、一度だけの儀式でも効果が生じる場合があります。たとえば、元恋人とデートした公園で思い出の写真を燃やすというのは、おそらく一度きりの行動でしょう。

 重要なのは、それを儀式と位置づけること、そして、頭の中で思い浮かべるだけでなく、実際にそれを行うことのようです。

 私たちが毎日やっていることの多くは、儀式的な性格を持っています。朝、仕事に出かける前にやることは毎日同じだという人も多いでしょう。まず歯を磨いて、それからシャワーを浴びるといった具合です。

 その順番を逆にしてみて、どう感じたか教えてほしいと頼むと、特に気にならないと言う人もいますが、ちょっと居心地が悪い、少し違和感があると言う人もいます。この後者のタイプの人たちにとっては、朝のルーチンが儀式のような性格を帯びているのです。

 この場合、物事を行う順番が大きな意味を持ちます。正しく物事を行うことにより、その日に待ち受けている課題に向き合う心の準備がより整うのです。

 ただし、言うまでもなく、日々行う儀式を増やしすぎて、日常生活に支障が出るとすれば、逆効果です。強迫性障害の人が取る行動は、その典型です。

 エクササイズで体を動かすことも儀式になりえますか。

 そう言えるケースもあるでしょう。また、エクササイズを行うときの儀式、つまりルーチンが決まっている人も少なくありません。

 毎日同じルートを通ってジムに向かい、同じ時間にジムに入る。なかには、靴ひもの結び方も決まっている人もいます。こうしたことも、自分が物事をコントロールできているという感覚をもたらし、不安とストレスを和らげる効果があります。

 私は川のそばに住んでいるのですが、毎年春になると、いつも驚くことがあります。暖かくなると突然、川の周りを何周も走る人たちが大勢現れるのです。ほかの場所で走ってもよさそうにも思えるのですが、同じ場所を何周も走ります。

 その場所を走ることは、その人たちにとっての儀式なのです。長い冬が終わり、ようやく自分が物事をコントロールできるようになったと思えるのでしょう。

 儀式の中には、非合理に見えるものもあります。公園で写真を燃やすことに、どのような意義があるのでしょうか。

 儀式の効用は、実用性とは関係がありません。馬鹿馬鹿しく見える儀式に、大きな効果が期待できる場合もあります。

 重要なのは、自分の人生を自分でコントロールできているという感覚を生み出して、不安をやわらげる効果があるかどうかです。役者や音楽家などの中に、出番の前に奇妙な儀式を行う人たちがいるのをご存じでしょう。

 同じ言葉を繰り返し唱えながらその場で3周ぐるぐる歩いたところで、結果がよくなるわけではない。それは本人もよくわかっています。それでも、そうした儀式を行うことで不安がやわらぎ、質の高いパフォーマンスができるのです。

「馬鹿げている。どうしてそんなことをする必要があるんだ?」といった思いは、その儀式が効果を上げる妨げになります。そのような障害は乗り越えたほうが好結果につながります。私たちの研究によれば、どんなに馬鹿げたものに思えたとしても、儀式を実践することがウェルビーイングの向上につながるとわかっています。

 あなたの一家が感謝祭の日に行う行事は、風変わりなものかもしれない。それでも、それがあなたたちの感謝祭の過ごし方なのです。

 あなたとパートナーが夜寝る前に交わす「おやすみ」の挨拶は、他人からは間抜けなものに感じられるかもしれない。けれども、あなたたちはずっとそれを実践してきたのです。

 そうした習慣をやめるのではなく、それを儀式と位置づけ、もっと抜かりなく実践するよう心掛けたほうがよいでしょう。