深い悲しみの中にあるとき、人は激しい身体的苦痛を感じ、頭の中も浮き足立ちます。それをやわらげるために役立つテクニックはあるのでしょうか。

 予期悲嘆に話を戻しましょう。不健全な予期悲嘆の正体は不安です。あなたがいま指摘したような反応を生むのも不安の感情です。

 人間の精神は、私たちにさまざまなイメージを見せます。たとえば、親が病気だとします。その場合、人は最悪のシナリオをイメージします。これは精神の自己防衛反応でもあります。

 そのようなイメージを無視したり、振り払ったりすることを目指す必要はありません。そんなことは、私たちの精神が許してくれません。無理をすれば、大きな苦痛を味わう可能性もあります。

 目指すべきなのは、思考のバランスを取ることです。最悪のシナリオが頭の中で形づくられてきたと感じたときは、最善のシナリオをイメージするようにしましょう。

「みんないくらかは具合が悪くなるけれど、世界が終わるわけではない」「自分の大切な人は誰も死なない」「私たちが正しい行動を取る結果として、誰一人死なないで済むかもしれない」。このように考えてみるのです。

 最悪のシナリオも最善のシナリオも、どちらも無視すべきではありません。けれども、いずれかのシナリオに精神を完全に支配されてはなりません。

 予期悲嘆は、精神が未来に目を向けて、最悪の事態を想像することで生まれます。そこで、精神を落ち着かせるためには、いまと向き合うとよいでしょう。瞑想やマインドフルネスを試したことがある人にはお馴染みのアドバイスですが、それがあまりになんの変哲もない活動であることに驚く人も少なくありません。

 部屋の中にある物を5つ挙げろと言われれば、誰でも苦もなくそれができるでしょう。コンピュータに、椅子に、犬の写真に、古いカーペットに、マグカップという具合に。いまと向き合うことは、それと同じくらい簡単です。

 深呼吸をして、いまこの瞬間、恐れていた事態が起きていないことを再確認しましょう。問題は起きていない。食料は手に入る。病気でもない。その点を確認するのです。

 五感を駆使し、自分の感覚が何を伝えてくるかに意識を向けましょう。デスクの硬さや毛布の柔らかさを感じる。鼻から吸い込まれる空気を感じる。こうしたことを実践すれば、苦痛がいくらかやわらぐはずです。

 自力でコントロールできないことを考えないようにするのも有効な方法です。隣の人がどんな行動を取るかはコントロールできません。自分でコントロールできるのは、隣の人から2メートル距離を置くことと、丹念に手を洗うこと。そのことに集中しましょう。

 最後にもう一つ。買いだめならぬ、「思いやりだめ」をするのもよいでしょう。どのくらい大きな恐怖と悲嘆を抱いているかは、人それぞれです。その恐怖と悲嘆をどのように表現するかも人によって異なります。

 私は先頃、ある同僚にぶっきらぼうな態度を取られました。そのとき、私はこう考えました。「この人らしくない振る舞いだな。そうやって、人はこの状況に対処しているのだろう。恐怖と不安を抱いていることがよくわかる」

 現在のような状況では、ほかの人の言動に対して忍耐心を持つことが大切です。いまその人がどのように振る舞っているかではなく、ふだんどのような人物かを思い出しましょう。

 現在の状況のとりわけやっかいな点の一つは、出口が見えないことです。

 これが永遠に続くことはありません。それを口に出して言えば、いくらか気持ちが楽になるでしょう。

 私は10年間、ある病院運営団体で働いています。このような状況に対処する訓練を受けてきました。1918年のスペイン風邪についても研究しました。その経験から言えば、いま私たちが取っている警戒措置は間違っていません。その点は、歴史に照らして明らかです。

 この状況は乗り切ることができます。私たちは生き延びられます。いまは過剰なくらい防御を徹底すべき時期ですが、過剰反応をしてはなりません。

 そして、私たちはこの経験に、きっと意味を見出せるようになるでしょう。光栄なことに、エリザベス・キューブラー・ロスの遺族は、私が悲嘆の5段階に新しい6つ目の段階を付け加えることを許可してくれました。その6つ目の段階とは、意味の段階です。

 私がよくエリザベスと議論したのは、受容のあとにどのような段階に至るのかという点でした。自分が個人的に悲嘆を経験したとき、受容して終わりというのは嫌だったからです。どん底の日々に意味があったと思いたい。そうした暗闇の日々にも一筋の光は見つかるはずだと、私は信じています。

 実際、人々はいまも、テクノロジーを利用してつながれることに気づき始めています。思っていたほど、人と人の距離は遠くないとわかったのです。

 電話で長話だってできます。歩くことの効用も再認識され始めました。私たちは、現在の状況下で、そして状況が落ち着いたあとに、この経験にもっと多くの意味を見出すことでしょう。