HBR(以下太字):いま人々は、実にさまざまな感情を抱いています。その一部は「悲しみ」と呼ぶべきものなのでしょうか。

ケスラー(以下略):そうです。私たちはいま、さまざまなタイプの悲しみの感情を抱いています。世界が変わってしまったと、私たちは感じています。

 実際、世界は変わりました。(感染症の流行が)永遠に続くわけではないと頭ではわかっていても、そうは感じられない。もう昔には戻れないと悟っているのです。

(2001年の)9.11テロ以前と以後で、旅客機に乗ることの意味が一変したように、これを境に物事が大きく変わるでしょう。平穏な暮らしが奪われ、経済的な不安が高まり、人と人のつながりも失われつつあります。

 こうした変化の直撃を受けて、私たちは深い悲しみの感情を抱いています。社会全体が悲嘆の感情の中にあります。これほどまでに悲しみの感情が社会に充満することに、私たちは慣れていません。

 私たちは複数のタイプの悲嘆を感じているということですか。

 はい。私たちは、いわゆる予期悲嘆も抱いています。予期悲嘆とは、不確実な状況の下で、未来がどうなるかを考えたときに抱く感情です。

 典型的なパターンとしては、死について考えたとき、この種の悲しみの感情を抱きます。家族や友人が厳しい医学的診断を言い渡されたり、誰もが考えることですが、いつか親を亡くす日が来ると考えたりした場合です。

 もっとも、予期悲嘆は、もっと漠然とした未来を想像することで生まれる場合もあります。「悪いことが起きそうだ」「危険が近づいている」といった思いも悲嘆の原因になります。

 感染症が広がっている状況では、この種の感情は人々を混乱させます。悪いことが起きつつあると直感的に感じてはいるけれど、その問題そのものは目に見えない――このような状況は、人々の安心感を奪います。

 私たちはいま、安全が失われたと感じています。社会全体の安全が失われたという感覚がこれほど高まったのは、はじめてのことだと思います。

 個人単位や小規模なグループ単位では、これまでも私たちはそのような感覚を味わってきました。けれども、社会全体でというのは過去に経験のないことです。私たちはいま、ミクロなレベルでも、マクロなレベルでも、深い悲しみを感じているのです。

 そのような深い悲しみの感情に対処するために、私たちはどうすればよいのでしょうか。

 悲嘆の段階について学ぶことが出発点になるでしょう。

 ただし、私がこのテーマについて話すときに必ず釘を刺しているように、悲しみのプロセスは常に一直線で進むわけではないし、いつもこの段階の順番通りに進むとも限りません。悲嘆の段階とは、進むべき道を指し示す案内図というより、いわば未知の世界を歩むための足場を提供するものと考えてください。

 悲嘆のプロセスはまず、否認の段階から始まります。最初のうちは、現実から目を背けようとする人が少なくありません。「私たちはウイルスに感染しない!」といった具合です。次は、怒りの段階。「家に閉じこもっていろ? 冗談じゃない! 何もできないじゃないか!」と反発するのです。

 取引の段階では、「2週間家の外に出なければ、すべて解決するんだな?」などと考える。抑鬱の段階では、「この状況がいつ終わるのか、まったく見当がつかない」という思いが湧いてくる。

 そして最後は、受容の段階。「現実は変えられない。この中でどうやって生きていくかを考えなくては」と思い始めます。

 おそらくお気づきの通り、受容の段階に到達すれば力を手にできます。自分で物事をコントロールできるようになるのです。「丁寧に手を洗おう」「ほかの人と安全な距離を保とう」「リモートワークの方法を学ぼう」などと考えるようになります。