『Harvard Business Review』を支える豪華執筆陣の中で、特に注目すべき著者を毎月1人ずつ、首都大学東京名誉教授である森本博行氏と編集部が厳選して、ご紹介します。彼らはいかにして現在の思考にたどり着いたのか。それを体系的に学ぶ機会としてご活用ください。2020年2月の注目著者は、INSEAD教授のイブ L. ドーズ氏です。

フランスの名門HECから
ハーバード・ビジネス・スクールへ

 イブ L. ドーズ(Yves Lucien Doz)は1947年生まれの72歳。現在、INSEAD(旧称:Institut Européen d'Administration des Affaires)のソルベイ記念テクノロジカル・イノベーション教授(終身)兼戦略論教授である。

 ドーズは1970年、HEC(École des hautes études commerciales )で主に国際経営論を専攻し、MBAを修得した。HECは、1881年にパリ商工会議所(CCIP: Chambre de commerce et d'industrie de Paris)により設立された。フランスの名門グランゼコールの一つであり、『フィナンシャル・タイムズ』紙の欧州ビジネススクール・ランキング(2019)では1位に選ばれた。HECのキャンパスはパリ南西20kmのジュイ=アン=ジョザにあり、40エーカーの広大な敷地を有している。

 ドーズはHEC修了後、フランス国営の航空機メーカーであるシュド・アビアシオン(現EADS)に就職したが、1971年、HECのキャンパス内にあったビジネススクールの高等ビジネス教育センター(ISA: Institut supérieur des affaires)で経営戦略学科の教員に就任した。

 その後、1974年、フォード財団の奨学金でハーバード・ビジネス・スクール(以下HBS)のDBAプログラムに留学した。HBSでの主専攻は経営戦略論であり、副専攻では多国籍企業論を研究し、1976年にDBAを授与された。博士論文のテーマは、“National Policies and Multinational Management”(国家の政策と多国籍企業のマネジメント)である。

C. K. プラハラードとの出会い

 ドーズと同時期、HBSの留学生として同様の研究をしていた年長の学友に、C. K. プラハラード(Coimbatore Krishnarao Prahalad)がいた。ドーズは、プラハラードよりも1年遅れての入学だったが、2人はともにジョセフ L. バウアー教授の指導を受けていた。

 プラハラードは代表的著作である、Competing for the Future, with Gary Hamel, 1994.(邦訳『コア・コンピタン経営』日本経済新聞社、1995年)や The Fortune at the Bottom of the Pyramid, with Stuart L. Hart, 2005.(邦訳『ネクスト・マーケット』英治出版、2005年)を通じて、企業経営者のみならず経営学界に多大な影響を与えた。なお2010年、68歳で亡くなっている。

 プラハラードはHBSを1975年に修了したのち、インドに帰国した。同氏の博士論文のタイトルは、“The Strategic Process in a Multinational Corporation.”(多国籍企業の戦略プロセス)である。その要約は、“Strategic Choices in Diversified MNCs,” HBR, July-August 1976.(邦訳「多角化多国籍企業:その戦略選択と管理」DHBR1976年10月号)として、『Harvard Business Review(ハーバード・ビジネス・レビュー)』(以下HBR)誌に掲載された。

 ドーズは1976年、HBSの助教授に採用された。彼がHBR誌に最初に寄稿した論文は、“How MNCs Cope with Host Government Intervention,” HBR, March 1980.(邦訳「多国籍企業はホスト国政府の干渉にいかに対処するか」DHBR1980年7月号)である。これは、1977年にミシガン大学准教授に就任したプラハラードとの共著論文であった。

 ドーズはその後、1981年にINSEADの経営戦略論の准教授としてフランスに戻り、1986年には教授に昇任した。フランスに戻ってからもプラハラードとの親交は続き、多数の共著論文を執筆することになる。

マルチフォーカル戦略を提唱

 ドーズとプラハラードの代表的共著として、The Multinational Missions(多国籍企業の使命), 1987.(未訳)がある。多国籍企業の経営者は、いかにポジショニングすれば戦略を実現させることができるのか。この課題は、2人がHBSのDBAプログラム在籍中に提起されたものであり、本書は10年間継続した調査研究の集大成であった。

 同書では、企業には、経済的には規模や範囲の経済を実現するためのグローバルに統合する圧力と、政治的には各国政府や市場ニーズに応えなければならない圧力が存在するとし、多角化した多国籍企業の分析フレームワークとして「I-R(Integration-Responsiveness)グリッド」を提示している。

 多国籍企業は、双方の圧力が引き合う「I-Rグリッド」上に存在しており、グローバル統合型ビジネスとローカル適応型ビジネス、さらに双方の圧力を受けるマルチフォーカル・ビジネスがあり、グローバル統合とローカル適応を志向するマルチフォーカル戦略があることを示した。

 なお、本書の調査研究には、HBSからC. A. バートレット(Christopher. A. Bartlett)が、ミシガン大学からはゲイリー・ハメル(Gary Hamel)が参加している。

 バートレットは、1964年にオーストラリアのクイーンズランド大学を卒業後、アルコアに就職し、マッキンゼー・アンド・カンパニーのロンドンオフィスなどで実務経験を経て、1969年にHBSのMBAプログラムに進学した。さらにDBAプログラムに進学し、1979年にDBAを授与されると、同年、HBSのファカルティメンバーになった。

 ドーズとプラハラードが提唱したフレームワークは、多国籍企業のグローバル戦略を分析するためのツールとして活用された。その後、彼らが提唱した理論はバートレットによって発展し、「トランスナショナル経営論」として結実している。

 バートレットは、スマントラ・ゴシャール(Sumantra Goshal)と共著、 “Managing across Borders: New Organizational Response,” Sloan Management Review, Fall 1987. を発表したのち、同氏の代表作となる、Managing Across Borders, 1989.(邦訳『地球市場時代の企業戦略』日本経済新聞社、1989年)を上梓し、マルチフォーカル経営を敷衍した「トランスナショナル経営」を提示した。

戦略的コラボレーションで競争優位を築く

 プラハラードは1989年、ハメルとの共著で、“Strategic Intent,” HBR, May-June 1989.(邦訳「ストラテジック・インテント」DHBR1989年11月号)をHBR誌に寄稿した。

 同論文では、日本企業が、経営資源、技術力、生産量のどれをとっても競合分析では見劣りするなか、グローバル市場で競争優位を持てるのかという問題意識に基づき、欧米企業と日本企業の違いは「ストラテジック・インテント(戦略的意図)」という戦略ビジョンと、その実効性の有無によると主張した。この論文は、1989年度のマッキンゼー賞を受賞した。

 その前号のHBR誌には、ドーズ、プラハラード、ハメルの3人の共著として、“Collaborate with Your Competitors-and Win,” with Gary Hamel and C. K. Prahalad, HBR, January-February 1989.(邦訳「ライバルとのコラボ-レーション戦略」DHBR1989年1月号初出、DHBR2005年2月号再掲)を寄稿している。

 同論文は、米国企業と、新興の日本企業や韓国企業などアジアの競合企業との、戦略的提携やアウトソーシングによるコラボレーションが、それら競合企業に低コストで技術を獲得させてしまうのではないか、米国企業にとってコラボレーションが優位に働くための要因とは何かという問題意識に基づき、調査結果をまとめた内容であった。

 調査によると、欧米企業は、本来投資すべき経営資源や機能を補完するために短期的な視点でコラボレーションを考えるが、日本企業は、パートナーとなった企業のスキルの学習を目的に長期的な視点で考えることがわかった。

 そのうえで、企業間のコラボレーションを成功させるためには、コア・スキルをすべてさらけ出すのではなく、移転するスキルや技術の公開範囲に条件をつけて制限すべきであると主張した。コラボレーションはそのやり方次第で、投資のコストをかけずに、新しいケイパビリティと、新しい商品や技術の獲得を同時に実現できる戦略になると主張した。

 ドーズはその後、ハメルと戦略的提携についての調査研究を続け、共著で Alliance Advantage, 1998.(邦訳『競争優位のアライアンス戦略』ダイヤモンド社、2001年)を上梓している。

高業績を継続させるビジネスモデルを提案

 フォーチュン50にランキングされるような優良企業であっても、高業績を継続できる企業は少ない。

 ドーズは、ボストンのコンサルティング会社であるオイスター・インターナショナルで調査と幹部教育のディレクターを兼任していた。同社はドーズの指導の下、自社の能力やノウハウを活用して内部成長を果たした企業を対象に、成長の源泉を調査した。その結果は、“Creating New Growth Platforms,” with Donald L. Laurie and Claude P. Sheer, HBR, May 2006.(邦訳「成長プラットフォーム戦略」DHBR2006年9月号)としてまとめられている。

 調査によると、内部成長によって高業績を実現した企業の成長の源泉は、自社の一連の製品やサービスを活用する新たなプラットフォームを構築し、さらに組織能力を拡大させたことにあった。そして新たな成長プラットフォームを生み出す機会は、「技術革新や規制緩和などの産業界の変化」があり、「満たされていな潜在的な顧客ニーズの顕在化」したときであるとして、それは内部の既存技術や人材を転用することで可能になったと分析した。

 ここで問題になるのは、その際の組織対応である。既存の経営資源や知的財産、業務プロセス、知識を十分に活かすことができる人材は、社内の政治的圧力とは独立した信頼が求められる。

 たとえば、プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)が「フューチャー・ワークス」という成長プラットフォームをつくろうとしたとき、CEOのアラン・ラフリーは、若手人材を抜擢して、他の事業部門から完全に独立させ、既存事業の隙間や可能性を別領域から検討する組織を新設した。

 さらにP&Gの場合、「フィーチャー・ワークス」への資金の出資は「コーポレート・イノベーション・ファンド」から、CEO、CTO、CFOの決済で行われた。企業の多くは、成長プラットフォームから生まれた製品や事業に対して、「企業成長ファンド」と呼ばれるような、一般事業予算から切り離した自由裁量の予算を用意していた。

 プロセス志向の企業は、成長プラットフォームの開発への関心は薄く、一般に業務プロセスやサプライチェーンの継続的な改善に投資を集中しがちだが、成長プラットフォームのアイデアを検討することで、企業成長をもたらす新たなイノベーションを生み出す源泉となり、経営陣は意識の変革が求められるとドーズらは主張した。

 デジタル融合技術の発達によって、顧客へのソリューション・サービスの提供や、ビジネスモデルによる価値創造が、企業価値であるばかりでなく競争優位の源泉となった。それにより、従来は社内で独立していた事業が、相互依存せざるをえなくなっている。当然、経営トップや各事業部門長の意識も変わる必要がある。

 ドーズはこうした問題意識に基づき、HBR誌に、“The New Deal at the Top,” with Mikko Kosonen, HBR, June 2007.(未訳)を発表した。企業内の事業部門が価値創造を統合するには、各プレイヤーの役割と守備範囲が決まりながらチームとして勝利を目指す野球チームのように、相互依存関係にある事業間を戦略的な柔軟性をもって統合する機敏な経営行動が必要であり、経営陣の新たな役割と責任のあり方について言及した。なお、このテーマは、Fast Strategy, with Mikko Kosone, 2008.(未訳)として上梓している。

グローバル人材をどう育成するか

 前述の「I-Rグリッド」で示されたように、企業には、規模や範囲の経済を実現するためのグローバル統合が求められる一方、各国の市場ニーズや文化に合わせた製品やサービス、ビジネスモデルをローカル適応することが求められる。  

 ドーズは、“L'Oréal Masters Multiculturalism” with Hae-Jung Hong, HBR, June 2013(邦訳「ロレアル流グローバル・チームのつくり方」DHBR2014年2月号)において、フランスの世界的な化粧品会社ロレアルが、欧米以外の新興国市場を中心に目覚ましい成長を遂げた要因を分析した。

 ロレアルの経営陣は基本的に、フランス本国の文化を深く背景に持っているが、多文化世界を理解している専門家を新製品開発チームに配置したことで、フランス的な化粧品メーカーからグローバルリーダーへと転身できた。ロレアルには、地域市場や製品の異なるコンセプトに取り組む、40前後の製品開発チームがあり、そこに異なる文化的背景に持つ多文化人材が参画している。

 企業が新興国市場への戦略的な進出を行うにつれて、分散化された市場ニーズへの適応が求められるようになり、現地から本社へと知識の学習の流れを反転させて、本国中心の文化的アプローチから多文化世界を理解するグローバル・ネットワークへの転換が求められている。ドーズらは、多文化を理解する人材を採用・育成して成功した、ロレアルの手法が最も有効であると主張した。

 ドーズの代表的な著作に、「メタナショナル経営論」を展開した、From Global to Metanational, with J. Santos and P. Williamson, 2001.(未訳)がある。メタナショナルのメタとは「超」を意味する言葉である。

 多国籍企業がグローバル市場で成功を収めた場合、本国での優位性に依存する場合が少なくない。ドーズは同書を通じて、知識経済社会で多国籍企業が成功するには、本国の知識の優位性のみに依存した経営を「超え」、世界中に分散して存在する知識を活用してグローバル規模で優位性を発揮する、メタナショナル経営に転換させることにあると主張した。

 ドーズは同様の問題意識から、Managing Global Innovation, with Keeley Wilson, 2012(未訳)も上梓した。イノベーションに必要な知識やスキルが世界中に分散するようになり、企業は異なる地域の知識やケイパビリティを統合してイノベーションを生み、グローバル市場で競争優位を獲得するための試みが行われている。にもかかわらず、それが必ずしも成功していないのはなぜか、という課題設定に基づき、企業が成功を収める方策に関して事例を通して検討した。

 HBSのジョセフ L. バウアー教授のもとには、1970年代の同時期、フランス出身のドーズ、インド出身のプラハラード、オーストラリア出身のバートレットという俊才たちが世界中から集まっていた。世界の知が米国に集結し、のちに多国籍企業のグローバル戦略に関する有力な理論を生み出したことは、彼ら自身がメタナショナル時代の象徴的な存在であるといえよう。