『ソフトウエア企業の競争戦略』『マイクロソフト・シークレット』『プラットフォーム・リーダーシップ』など、先端技術産業を分析する話題の書を数多く著し続けるマイケル・クスマノMIT教授。プラットフォームビジネスに関する新著を著し、来日された機会に、日本の技術や産業動向、その将来性についてインタビューした(聞き手・構成/DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー特任編集委員・山崎繭加、撮影/嶺竜一)。


編集部(以下色文字):クスマノ先生は「ジャパンアズナンバーワン」と言われていた1980年代は日本企業の研究者でいらっしゃいました。その後、ソフトウエア、プラットフォームの研究へ、同時に研究対象の国も米国、インドと変化してきました。最初に、この40年間の軌跡をお話いただけませんでしょうか。

マイケル A. クスマノ(Michael A. Cusumano)
マサチューセッツ工科大学(MIT)スローン・スクール・オブ・マネジメントの経営学特別教授

 研究者としてはユニークなキャリアと言えます。プリンストン大学卒業後の1976年に、初めて日本に来ました。国際基督教大学(ICU)で2年間英語を教えました。当時はヨーロッパ啓蒙時代の技術史について研究していましたが、日本の研究をしている学生を見て、とても面白そうだと思ったのが、日本研究にシフトしたきっかけでした。

 1970年代の日本はものすごいスピードで成長していたので、日本への興味は世界的に高まっていました。でも、主に歴史や文学の研究で、経営や技術の専門家はいなかった。私は経営を勉強していたこともあり、日本の経営や技術を研究しようと思ったのです。その後、ハーバード大学の博士課程で日本研究を続けました。

 まず、企業史を研究するようになりました。最初に書いた論文が、大河内正敏と理化学研究所についてです。続けて、日産とトヨタ自動車を研究しました。両社の比較研究が博士論文となり、その後The Japanese Automobile Industry(日本の自動車産業)という本になりました。日本語に翻訳されなかったのが残念ですが、米国では広く読まれました。この本がきっかけで、ハーバード・ビジネス・スクールに呼ばれます。

――ご縁がつながってキャリアが拓かれていったのですね。

 博士論文を書いていた時に、メインフレームのコンピュータの使い方を覚えておこうと思いました。「これからは自動車というよりコンピュータとソフトウエアの時代になる」と考えたからです。

 日本は自動車の作り方はマスターしたけれど、ソフトウエアも書けるようになるだろうか。日本企業は、製造管理、品質管理、工学管理などで得たスキルを、ソフトウエアへと移管できるだろうか。この問いを解明するために、日本企業がどのようにソフトウエア開発を行っているのかを研究しました。それをまとめた本が、『ソフトウエア企業の競争戦略』です。

 実は、日立が、世界で初めてソフトウエア工場をつくった会社です。東芝と富士通も、日立を追ってソフトウエア工場を作りました。日本企業がやっていたのは製造業に近く、ソフトウエア開発を助けるツールやデータベースを作っていて、とてもレベルが高かった。当時、ソフトウエアの開発過程と品質は、日本が世界一でした。

 その本をマイクロソフトの人が読みました。それがきっかけでメインフレームのソフトウエア開発のやり方と、PCのソフトウエア開発のやり方を比較するプロジェクトを始めました。それが、『マイクロソフト・シークレット』という本になり、世界中でよく売れました。

――日本の研究からソフトウエアの研究へとシフトされたのですね。

 ソフトウエアの研究をして気がついたのは、他の製品とは大きく異なる、ということです。ある企業が土台となるソフトウエアを作ると、他の会社がそれの上に製品やサービスを作っていく。つまり、ソフトウエアは製品ではなくて、「プラットフォーム」である、ということです。

 インテルはマイクロソフトのパートナーで、一緒に新しいPCプラットフォームを作り、プラットフォームの支配を巡ってIBMと戦っていました。一方、日本企業は、単にライセンスを受けて作るだけでした。

――経営戦略の分野で、今や普通に使われている「プラットフォーム」という言葉を提唱されたのは、クスマノ先生ですか。

 言葉自体を作りだしたわけではありません。プラットフォームという言葉は、ソフトウエアを開発する企業が使っていました。ただ、この言葉を研究者として使ったのは、私が最初の一人だと思います。

 その後、インターネットがどのようにソフトウエアの戦いを変えているのか、ということを本に書きました。日本では『食うか食われるか ネットスケープvs.マイクロソフト』というタイトルで出ています。

 この本はセンセーショナルでした。当時マイクロソフトが独占禁止法違反で訴えられていたのですが、最初にマイクロソフトが法廷で出した証拠が私の本だったのです。

 本には、「ネットスケープがマイクロソフトにブラウザーで負けたのは、2つのバージョンのブラウザーを開発して、新たな技術開発に問題を抱えていたマイクロソフトのバージョン3以降が圧倒的によい製品だったから」という主旨のことを書いていたのです。私もマイクロソフトをサポートする側として巻き込まれ、大変でした。

――一つひとつの本の影響力がすごいですね。

 そして、プラットフォームに焦点を当てた、『プラットフォーム・リーダーシップ』を著しました。マイクロソフト、インテル、NTTドコモのiモードのことを書いています。

 その後、『君臨する企業の「6つの法則」』では、それまでの25年間、日本や米国の企業を研究してきた内容を踏まえ、市場に君臨し続ける企業の特徴を6つにまとめました。トヨタとマイクロソフトの比較もしています。6つの法則は、こうです。

1. 製品だけでなく、プラットフォームを持っている
2. 製品とプラットフォームだけでなく、サービスを持っている
3. 戦略だけでなく、組織の力を持っている
4. プッシュするだけでなく、プルする
5. スケールだけでなく、スコープを定める
6. 効率だけでなく、柔軟性を持っている

 ある時期、日本企業は、世界のベストプラクティスだったのです。1986年にMITで教え始めた時、授業カリキュラムの3分の1は日本の企業についてでした。ハーバードも同様です。

 しかし、1990年以降、突如として誰も日本に興味を持たなくなった。トヨタの製造・生産管理、VHSとベータのプラットフォーム戦争、ソフトウエア工場、日本の家電メーカーについて研究してきたことをふまえて、MITでは「日本の技術マネジメント」という講座を教えていましたが、誰も日本に興味を持たなくなったので、ソフトウエアやイノベーション、アントレプレナーシップを中心に教えるように変わりました。

――その後、日本とはどのようにつながっていますか。

 日本のソフトウエア企業フィックスターズのCEOがMITの幹部向け講座に参加し、私の本を読んだということで、親しくなりました。彼の依頼で、フィックスターズのアドバイザーをやっています。フィックスターズは2000年代前半に設立された会社です。

 また、しばらくの期間、日本に住み、東京理科大学の副学長を務めていたこともあります。研究をしていた米国のソフトウエア企業のCOOとなった日本人が、理科大の理事長となり、彼が理科大をMITのようにしたい、といって私を呼んだのです。理科大は大きな理工系大学にも関わらずアントレプレナーシップの活動が一切なかったので、アントレプレナーシップ育成のための様々な授業やプログラムを始め、東京起業推進センター(TEIC)を立ち上げました。

 世界のソフトウエアの中心が今は米国とインドなので、日本が研究対象となることは少なくなりましたが、日本とはずっとつながり続けています。