私はかつてハーバード・ケネディ・スクールの授業で、学生が発言するときにフィラーを使うと注意していた。「So um, I'd just like to say(つまり、えーと、私がちょっと言いたいのは)」などと学生が言えば、「いったん深呼吸をして、もう一度やり直してください」と返した。学生が言い直そうとすると、言おうとしていたことを忘れてしまうことがよくあった。

 だがある年、授業評価のフィードバックがきっかけで、私はこのやり方を見直すことにした。そのフィードバックには「先生は授業で誠実さを強く訴えていますが、フィラーを取り除くことに集中するあまり完璧主義になっている感じがします」とあったからだ。

 手痛いフィードバックだったが、それを機にフィラーや直接的表現を和らげる言い回しにも、実際的なメリットがあるのではないかと深く探求するようになった。こうした言葉を使うべきときに使うための戦略的理由を3つ挙げよう。

 (1)如才なく振る舞うため

 私がある国際的な官僚組織での研修を教えたとき、参加者は、自分たちが直接的表現を和らげる表現をしていることを弁明した。その組織の力学では、リーダーはあらゆる種類のフィードバックに神経をとがらせていた。そのため彼らはマネジャーの感情を損なわないように、そうした表現を使う必要があった。

教訓:微妙なフィードバックをする、あるいはメッセージをやわらかくする必要があるときは、「just(ちょっと)」「simply(ただ)」という言葉や、「we may want to consider(検討してみたいと思います)」というフレーズを使って、メッセージの印象を和らげることができる。

 (2)発言権を維持するため

 国際的環境で仕事をしている参加者の一人は、会議で発言するときフィラーを使わずに間を入れてしまうと、話し終わったと思われて割り込まれてしまうと話していた。フィラーは、「私の話はまだ終わっていません」と伝える彼女なりの方法だった。

教訓:いつ発言を遮られるかわからないような状況では、フィラーがあなたの発言権を維持する戦略的手段になることがある。ただし、メッセージは明快で簡潔にすること。さもないと、人々はつなぎ表現の間でも割り込んでくるだろう。

 (3)会話に割り込むため

 会議や電話会議、パネルディスカッションの際、どうすれば会話に割り込めるかと、よくクライアントから質問を受ける。間が空くまで、あるいは発言を求められるまで待っていたら、自分の意見を言うチャンスは決して訪れないだろう。

教訓:しかるべきタイミングで「so(つまり)」「well(えーと)」「actually(実は)」といった表現を使うのは、会話に割り込む効果的な手段になる(おそらくは、要領を得ない同僚のフィラーの途中で)。ただし、文章の途中で遮るのはいけない。