『Harvard Business Review』を支える豪華執筆陣の中で、特に注目すべき著者を毎月1人ずつ、首都大学東京名誉教授である森本博行氏と編集部が厳選して、ご紹介します。彼らはいかにして現在の思考にたどり着いたのか。それを体系的に学ぶ機会としてご活用ください。2019年9月の注目著者は、ハーバード・ビジネス・スクール教授のステファン・トムク氏です。

フォン・ヒッペルとの出会いが
トムクの人生を変えた

  ステファン H. トムク(Stefan Hans Thomke)は、ドイツのバーデン=ビュルテンベルク州カルフで生まれた。現在54歳。ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)のウイリアム・バークレイ・ハーディング記念講座教授であり、General Management Program(GMP)の主任教授(Faculty Chair)を務める。専門分野は、イノベーション・マネジメント、技術・研究開発マネジメント、製品・サービス・デザイン開発、生産マネジメントであり、Technology and Operations Management(TOM)に所属している。

 HBSではMBAコースの他に、GMPやAdvanced Management Program(AMP)、世界各地で開講するSELP(Senior Executive Leadership Program)など、エクゼクティブを対象とした講義も担当している。また野村マネジメント・スクールが開講している「トップのための経営戦略講座」のように、日本企業に対する研修も行う。

 トムクが生まれ育ったドイツのカルフは、作家のヘルマン・ヘッセの生誕地である。トムクはヘルマン・ヘッセ・ジムナジウムで学んだのち、1981年にカルフの工業高校(TG, Technisches Gymnasium)に進学すると、1984年に優秀な成績(Distinction)を収めて大学入学資格(Abitur)を得た。ただ、トムクはドイツの大学への進学を選ばなかった。まるでヘルマン・ヘッセの『郷愁(ペーター・カーメンチント)』の主人公のように、新たな生活を夢見て、豊かで自然に満ちた南ドイツの故郷を離れ、米国へと旅立った。

 トムクは1988年にオクラホマ大学で電気工学の学士号を取得すると、1990年にアリゾナ州立大学で電気工学の修士課程を修了。その間、毎年の夏休みにはドイツに戻り、ヒューレット・パッカードのメディカル事業部や、半導体開発を行っていたシュトゥットガルトのマイクロエレクトロニクス研究所でサマー・インターンシップを経験した。

 その後、1990年にマサチューセッツ工科大学(MIT)大学院のスクール・オブ・エンジニアリングに進学すると、製造の品質管理に関する実験計画法の研究を始めた。同時に、同大学スーロンスクール・オブ・マネジメントにも所属し、1992年にはオペレーションズ・リサーチ(OR)と経営管理の2つの修士号(S.M.)を取得している。

 MITで修士号取得したのち、トムクは同大学の博士課程に進学した。そこでは半導体のフレキシブルな製造プロセスにおける、多変量プロセス制御に関する統計モデルの有効性を研究していたが、1993年、博士課程に籍を置きながらドイツに戻り、マッキンゼー・アンド・カンパニーのシュトゥットガルトオフィスにマネジメントコンサルタントとして就職している。マッキンゼーでは、自動車産業とエネルギー産業を担当した。

 MITの博士課程でトムクの研究指導を務めたのは、イノベーションマネジメントで著名なエリック・フォン・ヒッペルである。実務の世界に身を置いたこともあるフォン・ヒッペルは、トムクに対して、実務の世界に落ち着くことなく博士課程の研究を続けるように強く求めていた。

 フォン・ヒッペルの熱心な勧めもあり、トムク1994年、MITに戻り、博士論文を提出した。博士論文のタイトルは、“The Economics of Experimentation in the Design of New Products and Processes”(半導体の新製品開発プロセスの設計における実験的手法の経済性)である。そうして1995年2月、MITから電気工学と経営学のPh.D.を授与された。

 トムクは当時、教員採用の応募書類をHBSに提出するなど、ボストンでのアカデミックな生活を夢見ていたが、実務の世界に身を置くことも視野に入れてドイツに戻ると、マッキンゼーで再び働き始めている。その後幸運なことに、1995年にHBSのTOMの助教授として採用されてからは、学者としての道を歩みだした。2000年にはHBSの准教授となり、2004年には終身在職資格を持つ教授に昇任すると、2006年にウイリアム・バークレイ・ハーディン記念講座教授に就任して、現在に至る。

製品開発のブレークスルーを求めて

 フォン・ヒッペルは著書、The Sources of Innovation, 1988.(邦訳『イノベーションの源泉』ダイヤモンド社、1991年)に代表されるが、イノベーションプロセスにおけるユーザーの役割を主張した人物だ。なかでも、リードユーザーによる役割の重要性を指摘しており、イノベーションマネジメントの権威である。トムクはフォン・ヒッペルの影響を大きく受けている。

 トムクはフォン・ヒッペルらとの共著、“Creating Breakthroughs at 3M," with E. von Hippel and M. Sonnack, HBR, September–October 1999.(邦訳「3Mが実践する:ブレークスルーを生み出すリード・ユーザー・プロセス」DHBR2000年2・3月号)において、3Mの外科医療部門における革新的な感染防止製品開発を紹介している。同論文では、製品開発にブレークスルーを生み出すための方法として、(1)ステークホルダーを巻き込む、(2)トレンドを見極める、(3)リード・ユーザーを見極める、(4)ブレークスルーを生み出す、という4段階からなる「リード・ユーザー・プロセス(LUプロセス)」を紹介している。

 なお、フォン・ヒッペルが2005年に上梓した、Democratizing Innovation, 2005.(邦訳『民主化するイノベーションの時代』ファーストプレス、2006年)では、3Mの製品開発でLUプロセスを採用したプロジェクトと、3Mの伝統的手法による「非LU」プロジェクトから生み出されたアイデアの価値を比較検証して、そこからLUプロセスの優位性を著述している。

 トムクは、同じくフォン・ヒッペルによる共著、“Customers as Innovators: A New Way to Create Value," with E. von Hippel, HBR, April 2002.(邦訳「R&Dを顧客に転嫁する事業モデル」DHBR2002年7月号) で、LUプロセスが主張されるようになった背景を論じた。本論の主旨は、トムクがMITの博士課程で実施した研究に基づいている。

 メーカーの製品開発にはなぜ、非効率な時間とコストがかかっていたか。それは、顧客企業がニーズ情報を持ち、メーカー側が専門知識や技術のようなソリューション情報を持つという具合に、両者の情報が独立していたことが大きい。

 メーカーが新製品を開発する際は伝統的に、顧客ニーズを的確に把握することが求められてきた。ただ、個々のニーズを深く理解して対応するには、顧客が持つ情報を移転するための「情報の粘着性(Sticky Information)」ともいえる困難性が伴い、それはメーカーにとって煩雑な手間や多額のコストを要する作業であった。

 それならば、製品開発プロセスの一部を顧客であるユーザーに移転することで、コストや時間を削減することができるのではないか。そう考えられるようになった。

 トムクは、時間とコストを要するので顧客ニーズや顧客の情報を正確に理解することをやめて、当時の新技術であるコンピュータシミュレーションや3次元CADなどの情報技術を駆使した「CAI(Customers As Innovators)」アプローチが採用するメーカーが増えていることを紹介し、製品開発プロセスにおけるCAIアプローチの重要性を主張した。CAIアプローチとは、メーカー側がソリューション情報を的確に伝達できるツールを提供して、メーカーによる製品開発プロセスを顧客にシフトする方法であり、その問題を解決する有効なアプローチであった。

 CAIアプローチを採用するメーカーが増えていた理由は、主に2つ挙げられる。第一に、メーカーは顧客ニーズを詳しく理解するというコストのかかるステップを回避できるから、第二に、メーカーと顧客企業とのあいだで行われる、極めて非効率な試行錯誤の製品開発プロセスを逃れて、従来よりもスピーディかつ効率的に開発を行えるメリットがあると考えられるようになったから、である。

 同論文では、CAIアプローチが、メーカーと顧客企業とのあいだにWin-Winの良好な関係性をもたらした事例として、半導体メーカーと、LSIやVLSIのカスタムチップを求める顧客企業との関係が紹介されている。メーカーが顧客企業に設計ツールを提供したことで、顧客企業は、大企業に限らず新興のベンチャー企業であっても、容易にカスタムチップを設計できるようになった。また、メーカーには生産に集中できるというメリットをもたらし、これまでにない多くの新製品を生み出すことを実現した。

 本論文ではさらに、メーカーがCAIアプローチを採用でき、顧客企業をイノベーターに転換させるための5つのステップを紹介している。各ステップの詳細は、論文を確認していただきたい。

実験なくしてイノベーションは生まれない

 トーマス・エジソンが、多くの実験を繰り返すことによって真空技術やフィラメント素材の開発に成功し、電球を発明したことは広く知られている。そうした実験なくして、イノベーションが生まれることはない。

 実験には多大なコストと時間を必要とする。しかし、コンピュータシミュレーションなどの情報技術の革新があらゆる分野で活用されるようになったことで、従来の実験をスピードアップし、低コストで効率化させるばかりでなく、斬新なアイデアやソリューションがもたらされ始めた。

 トムクはそのような変化を背景に、“Enlightened Experimentation: The New Imperative for Innovation," HBR, February 2001.(邦訳「『実験技術』革命のインパクト」DHBR2001年7月号)を寄稿した。同論文では、「実験新時代」を迎えて、実験に相応しいR&D体制や情報システムの確立、解析技術を導入する必要性など、新たなマネジメントシステムを構築する際の課題について言及している。

 なお、この論文には、トムクと東京大学の藤本隆宏教授による共著論文、“The Effect of ‘Front-Loading’ Problem-Solving on Product Development Performance.” The Journal of Product Innovation Management, Vol.17, No.2 March 2000. の要約も掲載されている。そこでは、トヨタ自動車が1990年代に行ったCADやCAE、3次元CADによるラピッドプロトタイピングなどの新たな情報技術の導入によち、初期段階で設計上の問題を検証して解決する「フロントローディング」を可能にする新車開発の事例が紹介された。

 トムクは製品開発に関するマネジメントに関して、“Six Myths of Product Development," with Donald Reinersten, HBR, May 2012.(邦訳「製品開発をめぐる6つの誤解」DHBR2012年8月号)でも言及した。

 情報技術をベースしたツールにより製品開発プロセスに進化が見られる一方、マネジメントが抱え続けてきた「6つの通念」は技術革新の速度に追いついていない。同論文では、製品開発プロセスは非定型の業務にもかかわらず、それを定型的な製造プロセスと同様に扱っている企業が少なくないという問題が指摘されている。

 企業がサービスにイノベーションに起こそうとする場合、体系化された方法論を採用するのではなく、ブレーンストーミングなどの試行錯誤を通じて生まれた、偶発的な成功に頼ることが多い。トムクは、イノベーションにつながる実験を体系的に行うために何をすべきかを問題意識として持っていた。

“R&D Comes to Services: Bank of America's Pathbreaking Experiments," HBR, April 2003.(邦訳「バンク・オブ・アメリカ:サービスのR&D活動」DHBR2003年7月号)の中で、トムクは、バンク・オブ・アメリカ(以下BAC)の金融サービスの事例を通して、サービスイノベーションをもたらす実験をどのように体系的に設計すべきかについて言及している。

 米国の銀行業界は1980年代以降、規制緩和により、従来は証券業務として行われていたブローカー業務や、社債の引受・販売などを行うアンダーライティング業務が行えるようになった。さらに、本拠を置く州以外の地域での活動が緩和されて全米で活動できるようになったことで、金融業界における企業間の競争が激しさを増していた。

 BACは、新規顧客を獲得するためには、これまでにないサービスの開発と提供が必要だと考えていた。そこで同社は、特定地域の複数の店舗からなる「イノベーションマーケット」を設定して、自社が提供するサービス内容を特化するという、極めて体系化されたサービス実験を行った。

 BACが実施した実験は結果的に、顧客満足度を飛躍的に高め、新規顧客の獲得にも成功した。この論文ではまた、BACの行員に対する教育研修、インセンティブなどの報酬制度の設計、店舗におけるサービス許容量の管理などの課題に関する深い洞察も示している。

 なお、同論文の内容は、Experimentation Matters: Unlocking the Potential of New Technologies for Innovation, 2003.(未訳)として上梓されている。タイトルを直訳すれば、「実験こそ、イノベーションに向けた新技術開発の可能性を切り開く」である。

 トムクは、“The Discipline of Business Experimentation," with Jim Manzi, HBR, December 2014.(邦訳「ビジネスの仮説を高速で検証する」DHBR2015年6月号)の中で、消費者向けビジネスには実験が不可欠であると主張した。

 ただ実際には、BACのように実験に基づいて自社のサービスを刷新し、新規顧客の獲得を目指す企業は稀である。小売業や飲食業など消費者向けサービスを展開する企業の中には、オペレーションの改善やビジネスモデルの革新を目標としながらも、十分な実験をしないままそれを実行したために売上げが上がらず、失敗に終わるケースが少なくない。

 消費者向けビジネスではなぜ、実験が普及しないのか。その理由として、検証すべき目的や課題を事前に「仮説」として明らかにしないまま実施されるため、結論が曖昧となり、不要なコストがかかるばかりでなく、検証すべき疑問に答えを出せないまま実験が終わることが少なくないからだと、トムクは指摘した。

 同論文では、実験を効果的に実践するためには、(1)実験の目的、(2)実験や検証結果に対する関係者間の合意、(3)実験の実効可能性、(4)実験結果の信頼性の確保、(5)実験の検証項目の絞り込みによる価値ある結果の有無、という5つの項目を担保することが重要だとして、それぞれについて具体的なチェックリストを提示している。

 実験を実際に行う際、信頼性の確保や、そのための実効可能性を担保することは難しい。トムクは、“The Surprising Power of Online Experiments: Getting the Most Out of A/B and Other Controlled Tests," with Ron Kohavi, HBR, September–October 2017.(邦訳「A/Bテストの効果的な実施法」DHBR2018年7月号)において、マイクロソフトの事例を取り上げ、オンラインを活用した対照実験である「A/Bテスト」(以下対照実験)のについて述べている。

 対照実験は、現状維持(A)と現状の変更(B)となる、2種類のユーザーの体験事項を取り上げることから始まる。特にオンラインを活用した対照実験は、広範なサンプルを用いながら、大量のデータをWEBやアプリ上で自動的に集計することにより、実効可能性を容易に担保できる。さらに統計的な有意性を検証でき、その答えには明確で説得性があり、かつ低コストである点をメリットとして挙げている。

インドで学び、インドを愛する

 HBSはインドのムンバイで、毎年定期的に、インド企業の経営者や幹部に対するエクゼクティブプログラムを提供している。また、ムンバイにインド・リサーチ・センター(IRC)を設置するなど、HBSはインド経済や企業活動に関する調査研究を熱心に行ってきた。そしてトムクは、ムンバイにHBSの教育拠点が設けられて以来、主任教授としてインド企業の経営者教育に携わってきた。

 トムクが、自分が教える立場でありながら、同時に深い関心を持って研究してきたのが、「ダッバーワーラー」と呼ばれるインドの弁当配達人による配送システムである。その内容は、“Mumbai's Models of Service Excellence," HBR, November 2012.(邦訳「ダッバーワーラー:インドで根づくITを超えた物流システム」DHBR2014年7月号)としてまとめられている。

「ダッバー」とは金属製の弁当箱を指し、ダッバーワーラーとは、顧客が自宅でつくった弁当を顧客の職場に時間通りに届けて、さらに空になった弁当箱を職場から回収し、それを自宅まで届ける配達人のことである。同論文では、ムンバイだけでも毎日往復で26万個の弁当を配達する配送システムの仕組みについて、詳述している。

 なかでもトムクが最も関心を持ったのは、十分な教育を受けておらず、明確なリーダーもいない約5000人の配達人が属する集団において、一人ひとりがモチベーションを持って確実に弁当を配達するという素晴らしい業務サービスをなぜ実現できるのか、ということであった。同論文では、ダッバーワーラーの組織、マネジメント、プロセス、文化のそれぞれに関する検討結果が記されている。

 トムクは、学生時代からインドの文化に深く関心を抱いており、1986年から毎年のようにインドを訪れてきた。実は、トムクの妻Savitaはインド人である。

 前掲のExperimentation Mattersの「謝辞」の中で、トムクは妻との出会いについて、次のように記している。妻に対するこれ以上ない愛情が込められた一文ではないか。

“Meeting Savita more than sixteen years ago was the luckiest moment of my life, and this book exists because of her.”(16年以上も前のサビタとの出会いこそが、私の人生で至福とも言える、このうえなく幸福なひとときであった。この本は、彼女のために存在する)