人間はなぜ働くのか。大多数の人たちがこれまで、生きるために働いてきた。しかし、AIやオートメーションの発達で仕事が果たす役割が変化を遂げるなか、私たちはこれからも同じような労働観を持ち続けるのか。生存のための努力から解放される社会において、人は労働にいかなる価値を見出すのだろうか。
『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2019年9月号より、1週間の期間限定で全文をお届けする。


 歴史を通じて、人間の圧倒的多数は生きるために働いてきた。多くの人々は、労働に慰めや価値、意味を見出してきたが、それでも、避けられるものなら避けたい苦役と考える人々もいた。

 何世紀もの間、欧州からアジアまで、社会的エリートたちは、稼ぐために働く暮らしから脱したいと願ってきた。アリストテレスは、生命維持のための必需品を気遣う必要のない個人、ほぼ完全に自立した個人を「自由人」と呼び、人間の最高の状態と見なした(言い換えれば、どんなに裕福な商人でも、その心が商売のことで占められていたら自由人とはいえない)。

 今日、AI(人工知能)と自動化(オートメーション)の発達が、仕事が果たす役割に、新たな問いを投げかけている。私たちは今後も、物をつくったり金勘定をしたりして生きていくだろうが、テクノロジーの進歩によって、サービスや財がますます低コストで提供されるようになれば、自分の仕事に新たな役割を見出さなくてはならなくなる──その役割は、必ずしも今日の労働観と地続きではないかもしれない。

テクノロジーが広く行き渡った後に何が起きるのか

 最近、経済学者のブライアン・アーサーは、これからの社会の課題は「経済的なものではなく政治的なものになるだろう」と問題提起した。アーサーは、今日の米国や欧州で見られる政治的混乱は、エリートとそれ以外の社会の隔絶(キャズム)によって生じていると指摘した。

 21世紀後半には、社会はテクノロジーがもたらす生産的な便益を分配する方法を、主に2つの観点から見出そうとするだろう。一つは、どう分配するのが簡単か、という観点。もう一つは、どう分配されなくてはならないか、という観点である。

 今後、テクノロジーの発達によって、ますます少ない犠牲で多くが生産されるようになる。一方、歴史が示すように、富があまりにも少数の人間に集中すれば、社会的圧力が高まり、政治か暴力、あるいはその両方によって調整が図られることになる。

 しかし、それは次の段階の、もっとやっかいな問題を引き起こす。すなわち、政治的改革や暴力的革命による調整により、テクノロジーの恩恵が広く行き渡るにつれて、人間はこう自問することになる。

「テクノロジーがほとんど何でもできるようになった時、私は何をすればよいのか、何のためにすればよいのか」

 特に産業革命以後のテクノロジーは、人類の多数を生活必需品の生産から引き離してきた。いまはまだ、多くの人が生命維持のために汗を流しているが、そうせざるをえない人の割合は少なくなっている。

 この先さらに、優秀なAIとロボティックシステムが多方面に進出すると、仕事はますます人間の手を離れていくだろう。

 となれば、ジョン・メイナード・ケインズが1930年に「わが孫たちの経済的可能性」で述べた、「技術的失業」という状態が出現するかもしれない。

 ケインズはそれを「一時的な不適応状態」にすぎないとして、1世紀以内に人類は根本的な経済的課題を克服し、生物学的に見た労働の必要性から人間を解放するだろうと予測した。

 それは明るい未来図かもしれないが、紆余曲折のある危険な道でもあって、ケインズはこうも警告している。

「経済の問題が解決されれば、人類は昔ながらの目的を失うことになる。(中略)だが、何の恐れもなく過剰な余暇と豊穣に向き合うことのできる国も個人も存在しない」

 未来への不安とともに、ケインズは、食べるために働く必要がなくなった時、人間は自分の注意、興味、恐れを何に向けるのだろうという疑問を持っていたのである。

「労働」「仕事」「活動」
アーレントが示す3つの領域

 生存のための努力から解き放たれた人間は、オルダス・ハクスリーが描いたような、虚無的な未来へと向かうのだろうか。私たちはみずからの目的、意味、価値をどう考えればよいのだろうか。

 この問題を、私たちはハンナ・アーレントの著作を通して考察することができる。1950年代に、哲学者、歴史家、そしてジャーナリストであった彼女は、人間の営み全体を理解するための広い射程を持つ枠組みを提示した。

 挑戦的で深遠で美しい著作である『人間の条件』において、アーレントは人間の「活動的生活」(ギリシャ語でVita Activa)を3つのレベル──労働、仕事、活動──に分けて論じた。

「労働」(labor)は、生物としての人間の代謝になくてはならないもの、すなわち生命を支える食料などを生み出すものである。

「仕事」(work)は、物理的世界を構成する人工物や社会資本をつくり出すものであり、そこから生み出されるのは、しばしば人間の寿命より長持ちする家や製品、芸術作品などである。

「活動」(action)は、他の人間との関係の中で生起する相互作用やコミュニケーションであり、公的領域を形成する。この公的領域において人間は自分と他者の違いを探求し、外に向けて主張し、肉体的生命を超えて不死を求める。

 今後100年で、AIとロボットはますます人間の「労働」と「仕事」の領域に進出し、生存のための必需品と物理的人工物を生産し、より多くの人間を「活動」の領域へと引き上げるだろう(アーレントは「活動」に向かう変化を、定性的価値判断を含む上昇という言葉で表現した)。

 もちろん、あえて「労働」や「仕事」に従事することを選ぶ人もいるだろう。しかし、その選択はその人に他者との本質的な違いをもたらすものである。

 ほとんどの古代ギリシャの哲学者は、活動より観照(contemplation)を優先し、それこそが人間の最高の営みであると考えた。アーレントはそのような認識と戦い、活動を擁護する論陣を張った。現代の文化はアーレントに同意しているように見える。

 とはいえ、活動も観照も、両方が手をたずさえた時に最もよく機能する。私たちには、与えられた好奇心と社会的性質に基づいて活動と観照を行う機会が──いや、おそらく責任が──与えられているのである。

労働から解放された時、
私たちは何に意識を向けるのか

 今後数十年、私たちの「活動的生活」は劇的に調整され、私たちは一人ひとり、自分は何をするのか、それを何のためにするのかを問うことになるだろう。

 うまくすれば私たちの孫は、なすべきことを見つけて探求し続ける──それはガーデニングや料理かもしれないが──人生をつかめるかもしれない。幸運に恵まれれば、人生は強いられるものではなく、選び取るものになるだろう。

 アーレントは、『人間の条件』を、「労働の足かせから解放されようとしている労働者の社会」への警鐘から説き起こしている。彼女はなぜそこに危うさを見たのか。それは、社会が労働以外に高次の意味のある営みを──そのためにこそ自由を勝ち取る価値があるというのに──知らないからだ。

 アーレントはそのような問題意識から生じる挑戦的な問いを、特に労働を美化する共産主義イデオロギーに容赦なくぶつけた。だが、このアーレントの問いは、いまを生きる私たちにも等しく向けられている。

 機械がますます多くのタスクから人間を解放する時、私たちは何に自分の意識を向けるのか──それが次の世紀、人間にとって唯一決定的な問いになるだろう。


編集部/訳
(HBR.org 2018年1月11日より、DHBR 2019年9月号より)
How Automation Will Change Work, Purpose, and Meaning
(C)2018 Harvard Business School Publishing Corporation.

 

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