ほんの50~75年前まで、ビジネスの意思決定で中心的な処理機能を果たしていたのは、人間の判断であった。職業人は高度に研ぎ澄まされた勘に頼っていた。それは、自分の分野における長年の経験(そして相対的にごくわずかなデータ)から培われたものだ。

たとえば、特定の広告キャンペーンにふさわしいクリエイターを選んだり、貯蔵する最適な在庫レベルを決めたり、適切な資金投資を承認したりする際、良し悪し、高低、危険か安全かを見分けるには、経験と勘がほぼすべてであった。

 それはおそらく、あまりに「人間的」すぎるやり方であった。人の勘は、意思決定の理想的な手段からはほど遠い。私たちの脳は、たくさんの認知バイアスから逃れられず、それらは安定した判断の邪魔をする。

 これは数十万年の進化の結果である。人間は初期の狩猟採集民だった時代から、推論の機能を発展させてきた。それは、単純なヒューリスティックス――つまり、たくさんの情報を処理する多大な労力を回避する近道、あるいは経験則に頼るという方法だ。これにより、危険をはらむ状況から抜け出すための判断を、素早く、ほとんど無意識に行うことが可能となった。

 しかし、「素早く、ほとんど無意識に」というのは、必ずしも「最適」を意味するものではなく、「正確」ですらない場合がある。

 私たちの祖先である狩猟採集民の一群が、焚き火を囲んでいるときに、近くの薮でカサコソと音がしたと想像していただきたい。ここで必要となるのは、「素早く、ほとんど無意識に」型の意思決定だ。物音は危険な肉食動物によるものだから、逃げようと判断するのか。あるいは、もっと情報を集めて、たとえばウサギなど栄養豊富な餌食となる動物かどうかを、確かめるのか。

 衝動性がより強い祖先、すなわち逃げると決めたほうは、探究心がより旺盛な祖先よりも高い確率で生き延びた。逃走してウサギを逸することの代償は、居残って肉食動物に命を奪われる危険を冒すよりも、はるかに小さかった。

このような結果の非対称性によって、人の進化においては、代償が比較的小さい結果につながる性向が優先された。たとえ正確さが犠牲になっても、である。このため、より衝動的に意思決定を下し、情報はあまり処理しない性向が、子孫の代では一般的となったわけだ。

 現代の環境では、生存のためのヒューリスティックスは、私たちが受け継いだ脳に最初から組み込まれている、無数の認知バイアスとなっている。これらのバイアスは、合理的な客観性とは反する形で、人の判断と意思決定に影響を及ぼしている。

 私たちは、鮮明な出来事や、最近の出来事に過度に重きを置く。物事を大雑把に分類し、違いが十分に説明されない大まかな既成概念に当てはめる。以前の経験を根拠にし、それが完全に不適切な場合でも固執する。実際には偶然のノイズにすぎない出来事に対しても、もっともらしい説明を思いつきがちだ。

 これらは、認知バイアスが人間の判断に悪影響を及ぼす多数のパターンのごく一部にすぎない。そしてそれは、何十年もの間、ビジネスの意思決定での中心的な処理機能であった。いまでは、人間の勘のみに頼ることは、非効率的で、むらがあり、誤りやすく、組織の能力を制限してしまうことが知られている。