ユーリイ・ガガーリンが史上初の有人宇宙飛行を実現して以来、人類は驚異的なスピードで宇宙開発を進めてきた。人間を宇宙空間に送り出し、重力も大気もない極限の環境に適応させるべく、宇宙開発には時代の最先端の知見が凝縮されている。その研究成果は、宇宙のみならず、地上の生活にも大きな恩恵をもたらしてきた。国や企業が壮大な夢を語り、分野を超えた才能が集結してその実現を目指すことで、科学技術は進歩する。アジア人女性初の宇宙飛行士であり、宇宙医学の研究に携わり続けてきた向井千秋氏は、そのように語る。
『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2019年8月号より、1週間の期間限定で抜粋版をお届けする。

宇宙から青い地球を見てみたい

向井千秋(むかい・ちあき)
宇宙飛行士、東京理科大学 スペース・コロニー研究センター長
1952年、群馬県出身。1977年、慶應義塾大学医学部を卒業し、同大医学部外科学教室医局員。1985年、宇宙開発事業団(NASDA。現宇宙航空研究開発機構:JAXA)のペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者)に選定される。1994年にスペースシャトル・コロンビア号、1998年にスペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗。宇宙航空研究開発機構特任参与、宇宙医学研究センター長、日本学術会議副会長などを歴任。2015年に東京理科大学副学長に就任し、現在同大スペース・コロニー研究センター長兼特任副学長を務める。アジア人女性初の宇宙飛行士。医学博士。

編集部(以下色文字):向井さんは医師として第一線で活躍されたのち、アジア人女性初の宇宙飛行士となりました。その大きな挑戦を決断された、きっかけを教えてください。

向井(以下略):私が宇宙飛行士を目指したきっかけは、大学病院の医師として働いていた1983年、当直明けに読んだ新聞で見た、宇宙開発事業団(NASDA)の「日本人宇宙飛行士募集」という広告でした。それまでは宇宙に行くのは米国とソ連(現ロシア)の軍人だけだと思っていましたから、日本人も宇宙に行ける時代が来たことに、とても驚きました。

 詳しく読むと、パイロットの募集ではなく、微小重力や放射線など特殊な宇宙環境を利用して研究分野を拡大することが目的で、研究者や技術者を求めるものでした。それを見て、これなら自分の医師としての経験も活かせるかもしれないと感じました。

 実際にどのような研究が行われるのかを調べてみたところ、無重力環境での生活が人体にどのような影響を与えるかなどを検証する、宇宙医学という学問分野があることを知りました。地球上では地面に足を着けて生活していますが、宇宙には真の意味で3次元に生きる世界があります。私が地上で患者さんたちと戦っている間に、医学研究はそこまで進歩していたのかと、まったく新しい世界が目の前に提示されたように感じて興奮しました。

 私たちの世代には、1961年に世界初の有人宇宙飛行を実現したユーリイ・ガガーリンの「地球は青かった」という言葉が、強烈な記憶として刻まれています。人工衛星から撮影された地球の映像を見たことはありましたが、これは自分の目で地球を見ることができる最初で最後のチャンスかもしれないと思ったのです。宇宙から地球を見るという経験で自分の視野は広がるだろうし、物事に対する考え方も深くなるだろうという期待もありました。ただ何より、「宇宙から青い地球を見てみたい」という感情が芽生えたことが、宇宙飛行士に志願した一番の動機です。

 幼い時から宇宙に対して関心をお持ちだったのですか。

 子どもの頃から好奇心が人一倍強かったので宇宙への純粋な憧れはありましたが、自分の人生や職業を左右するほどの強い関心ではありませんでした。また弟の足が不自由だったこともあり、私にとっては「医師になって病気の人を助けたい」が一番の夢でした。

 米国で一緒に訓練した人たちは、子どもの頃から宇宙飛行士という仕事を身近に感じていたようです。小学生や中学生の時にアポロ11号が月面着陸に成功したのを見て、宇宙飛行士を目指したという人も多かったですね。

 向井さんは当時、外科医として活躍されていました。まったく別の道に進むことに迷いはありませんでしたか。

 それはありませんでした。1985年に宇宙飛行士に選ばれたので、大学病院を辞めてNASDAに転職する形になりましたが、私たちのターゲットは1988年のミッションなので、NASDAにいるのは2年半の予定でした。海外に数年留学して日本に戻る同僚はたくさんいましたから、私は留学先が海外ではなく宇宙だったという程度に考えており、いずれ外科医に戻るつもりでいました。

 ところが、人生はそれほど甘いものではなく、NASDAに入った4カ月後、チャレンジャー号の爆発事故が起きたのです。乗組員は全員亡くなり、世界中で大きく報道されました。その結果、シャトル計画の再開がいつになるか、そもそも再開されるかどうかもわからない状況になったのです。

 当時の日本は宇宙ステーション計画にも参加していなかったので、仮にシャトルの打ち上げが再開されるとしても、私たち日本人の搭乗機会がどの程度あるかは不明でした。その時は医師に戻るべきか真剣に迷いましたが、すでに訓練を始めているし、絶対にやり遂げたいと思い、宇宙飛行士として残ることを決めました。私が最初に搭乗したのは1994年ですから、かなり待つことになりましたね。

 超難関といわれる宇宙飛行士の選抜試験をクリアして、無重力という未知の環境で研究できると希望を抱いた矢先の事故ですから、落胆は大きかったのではありませんか。

 チャレンジャー号の事故を知った時は、膝が震えるほどの衝撃を受けました。それは宇宙で研究ができなくなることへの落胆や、自分が搭乗することに対する恐怖からではなく、人類が威信を賭けてつくり上げた科学技術の結晶は、これほどまでにもろいものだったのか、という思いからです。

 事故の3日後、人工衛星から撮影した爆発後の写真を見たのですが、米国のフロリダ半島に細い毛筋ほどの煙が写っただけでした。それを見た時、また衝撃を受けました。あれほど大きな爆発だったのに、視点を変えて宇宙から見ると、地球にとっては毛筋ほどの影響しかないものだったのか、と。

 チャレンジャー号の事故を契機に、科学技術が進歩すれば何でもできると思っていた人間の自信がいかにはかないものであり、人間がやることなど地球の歴史で考えれば大したことないと思い知らされました。科学技術の力を過信して、おごり高ぶっていた人類が、いきなり横面に張り手をもらったのです。

 チャレンジャー号の後を追うように、同じ年にチェルノブイリで原発事故が起きました。スペースシャトルと原子力発電という、科学技術の二大巨頭で立て続けに大事故が起きたことは、どれほど素晴らしい科学技術も完璧ではなく、そこには常にリスクが潜んでいる現実を、身をもって知らされました。

 向井さんをはじめとする現場の人たちは、その重大な危機を、どのように乗り越えていったのでしょうか。

 個人的にも事故による動揺はとても大きかったのですが、人類はこの危機を必ず乗り越えて前進するはずだという思いがありました。少なくとも、米国だったら絶対に諦めることはないと信じていました。

 実際、米国の子どもたちが「次のスペースシャトルのために使ってください」と寄付をしていたのを覚えています。米国にはそうしたスピリットが根付いており、この事故で宇宙への夢を諦めることなく、何とか立ち直ってほしいと思う人が多かったのです。

 私は宇宙開発の世界に長くいたことから、2003年のコロンビア号の空中分解事故も地上の現場で経験しています。その時はミッションサイエンティストという立場で乗組員の科学教育などを行っていたので、亡くなられた方たちのこともよく知っていました。仲間たちが亡くなったことで苦しみましたし、私の3度目のミッションもなくなり、失ったものが大きい事故でした。

 ただ、この時も米国の人たちはすぐに立ち上がりました。「屍を乗り越えてでも次に行く」という、彼らのパイオニア精神には驚かされます。宇宙はファイナルフロンティアといわれますが、米国のように開拓から始まった国は、目標を定めたら何としてでもそれを達成するという力強いスピリットを持っていることを、あらためて感じました。

宇宙に挑戦した成果は
地上の生活に進化をもたらす

 宇宙飛行士になってから、宇宙医学の研究を続けていらっしゃいます。宇宙医学という学問について教えてください。

 宇宙医学は環境医学の一つです。環境医学には、高山病を扱う山岳医学や潜水病を扱う海洋医学などがあり、環境が変化することで出てくる症状を扱います。

 宇宙飛行士には人一倍健康で元気な人が選ばれます。地球上で日常生活を送っていれば病気にはかからないような人たちばかりですが、宇宙空間という特殊な環境に送り出されると、さまざまな症状が見られます。たとえば、重力のない世界で長く生活すると骨がもろくなる。そうした問題に対処するのが、宇宙医学です。

 せっかく元気な人を送り出したのに、宇宙から帰ってきたら病人のようになってしまっては、宇宙開発そのものが成り立ちません。無事に帰還して、地上で40~50日リハビリをすればまた宇宙に戻れるような仕組みを築き上げることも、宇宙医学の目的です。

 向井さんは、人類が火星に行くことまでを見据えて宇宙医学の研究を進めるべきだと、とても大きな目標を掲げられています。

 私は、人間とは生存圏を拡大していく生き物だと考えています。それはDNAで決められた宿命のようなものです。これまでは地球の中で居住環境を広げてきましたが、これからその活動は地球を飛び出し、月や火星まで拡大していくのではないでしょうか。

 水槽にインクを落とすと、ふわっと広がりますよね。それは固まっているほうがエネルギーを必要とするからです。人間も地球上に固まって暮らしているほうがエネルギーを多く消費するので、どこかの時点で重力を振り切って地球の外に出て行くことでしょう。

 ただ、人間は地球の外に出ると体に変調を来たすため、それを未然に防ぐ方法を考えなければなりません。そのため宇宙医学では、治療だけでなく、地球上での食生活やリハビリを考える予防医学も重要になっています。

 火星で暮らすという究極のゴールを目指す過程で生まれる研究成果は、地上で生きる人たちにとってもプラスをもたらしそうです。

 そうですね。先ほどの骨に関する話を詳しくすると、閉経後の女性は骨がもろくなることが知られていますが、無重力の世界で過ごした宇宙飛行士は、その10倍以上の速度で骨がもろくなります。現在、骨粗鬆症等の治療薬としては、ビスフォスフォネートという薬があります。ただ、ある薬で病気を治療できることと、健康な人にその薬を投与すると予防できることはまったく別の話なので、予防の有効性は確立されていませんでした。

 そこで宇宙飛行士を被験者とした実験を行うと、ビスフォスフォネート系の薬剤は、健康な人の骨がもろくなるのを予防する効果があることがわかりました。無重力という特殊な環境で実験したからこそ、短期間で明確な成果を得ることができました。健康保険等の関係もあり、地上ではまだ予防的な投与は行われていませんが、近い将来、活用されることになるでしょう。

 そのほかにも心電図を遠隔で測るシステムなどは宇宙医学発祥ですが、地上の生活に貢献しているのは医学だけではありません。過酷な環境に適応するためのメンタルヘルスに関連する知見も活かされていますし、宇宙食の安全性を確保するために開発された由来を持つ、HACCP(ハサップ)という食品の衛生管理の方式も用いられています。

 最近では、地球で使われる技術の改良にも貢献しています。宇宙用に特殊な技術を開発しようとすると、お金も時間もかかります。そこで市販されている製品を改良して、宇宙で試すことが増えました。月面に持っていくためには軽量化したい、電池を長持ちさせたいという要求が出てきますから、宇宙用に改良を重ねていく。その過程で生まれたアイデアや技術は地上の製品に還元されています。

 医学以外の分野でも、すでに宇宙に関する研究成果が地上で応用されているのですね。

 はい。特に1960年代、70年代は、宇宙に関する研究からスピンオフした技術が多かったように思います。もちろん、その流れはいまも続いており、技術の活用範囲も広がっています。

 たとえば、私が代表を務める東京理科大学スペース・コロニー研究センターでは「月面都市」の設計までを見据えて、人間が月に長期滞在することを想定し、宇宙での衣食住を研究しています。

 人が生きるには、食料、エネルギー、それから水と空気が必要です。人類が月で暮らすことを考えた時、いまでも太陽電池パネルでエネルギーは自給できますが、水などの物資は地上から持ち込むことになります。地球から月面まで3日弱の距離とはいえ、物資を頻繁に運ぶわけにはいきません。

 また、火星での生活までを考えた場合、火星には重力があるし、大気も少しはあるので、月よりも土地を開拓しやすいといわれています。「テラフォーミング」と呼ばれるように、火星自体を地球化する計画もあります。現在の技術では難しいものの、自給自足を実現する可能性がないわけではありません。

 ただし、いずれにせよ地球と比較すれば資源は圧倒的に乏しいので、月にせよ、火星にせよ、宇宙では限られた資源をいかに効率よく使うかが重要です。それだけでなく、いまは処分している排泄物などを有効利用することまで考える必要があります。

 そこで求められる発想は、地球でも大切なことですよね。地球上でも、省エネやCO2削減、廃棄物のリサイクルに関する技術の進歩は不可欠です。宇宙という産業分野は人工衛星やロケットの製造に関係する企業にしか縁がないと思われている印象もありますが、衣食住に関することであれば、さまざまな企業が参入できると期待しています。

向井氏は「私はよく『ベツレヘムの星』の話をするのですが、あの星の下に救世主がいるとなれば、そこに向かおうと、あちこちからいろいろな人が集まってきます。同じように、夢という名の共通の目標を掲げることで、いまは分散している力が一つになれるのです」と、大きな夢を持ち、それを語ることが大切だという。壮大な夢を語る意義、また向井氏自身の夢が語られるインタビュー全文は、『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2019年8月号に掲載されています。

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