ジョン F. ケネディ米大統領が提唱し、計画から10年足らずで実現した人類の月面着陸プロジェクト「ムーンショット」。その言葉が半世紀を経て、今日のR&Dや企業経営において大きな影響を与えている。それも、グーグルのように、実現不可能と見られる地球規模の課題解決を目指すことが競争優位を築くことになるとわかったからだ。なぜ、いま経営にムーンショットの考え方が必要なのか。グーグルに対してヒト型ロボット企業の売却を成功させ、さらに米国シリコンバレーを拠点に、世界の水道管劣化という大きな課題に取り組む、連続起業家(シリアルアントレプレナー)の筆者がムーンショット経営の要諦を明かす。
『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2019年8月号より、1週間の期間限定で抜粋版をお届けする。

グーグルが教えてくれたムーンショット

「ムーンショット」と聞くと忘れられないことがある。

 僕がCFOを務めたヒト型ロボットSCHAFT(シャフト)をグーグルに売却した2013年のことだ。スマートフォン用OS、Android(アンドロイド)を開発したアンディ・ルービンが東京にあった僕らのオフィスを訪ね、「ドリームチームに入らないか」と持ちかけてきた。

 ドリームチームとはいったい何だろうか。そう考えていると、アンディは自身の夢について話し始めた。

 アンディは、もともと大のロボット好きで、アンドロイドという名称も彼の昔のあだ名から来ていたという。かつて自分が創業したベンチャー企業を運営している最中にも、その会社の本社と自宅の間に小さなオフィスを借りて、そこでロボットを自作していたという筋金入りの技術者だ。

 アンディは、世の中の20億人以上[注1]の端末で使われるようになったスマホ用OSを開発した。もはや小さなことに興味が持てなくなったというのも頷ける。次なる挑戦として、人類を月に飛ばすのと同じように、社会をロボットで変える。「ヒト型ロボットを社会に実装する」という壮大な夢を描いていたのだ。

 アンディは、僕たちを前に、「(夢の実現には)いくつか超えなければいけない技術的なハードルがある」と語った。センサーや躯体のコントロール技術、物をつかむ手(ハンド)の技術などがそれに当たる。

 つまり、ヒト型ロボットが実際に社会で使われるようになるには、世界中の高度な技術を集めて、統合していかなければならず、僕たちの躯体コントロール技術は、その重要な構成要素の一つだというのだった。

 アンディは「自分が先頭に立って、ヒト型ロボットを社会に実装していく」と宣言し、僕たちをドリームチームの一員として招いたのだ。

 そんな彼が日本のスタートアップに目をかけたのは、僕らに出会う前に、グーグル創業者のラリー・ペイジから「ネクスト・ムーンショット、プリーズ」と要請されたからだという。

 当時グーグルは「グーグル・ロボティクス」というロボット事業を立ち上げたばかりで、その責任者にアンディを据えた。ラリーは間髪を入れず、アンディに小さな国の国家予算ほどの予算を認めたというのだから、これがいかに野心的な事業だったかがわかるだろう。

 ただ、アンディ・ルービンといえども、その時すべての将来が見通せていたわけではないと思う。彼の姿勢は、楽天的というか、野放図というか、検討する時間も惜しいと言わんばかりに、世界中の先端的ロボット開発企業に果敢にアタックしていた。僕らの競争企業すらも同時に買収していたほどだ。

 もともと、銀行マンであった僕は2000年代に、上場企業を含めた企業再生の案件をいくつも手掛けてきた。だが、そこに限界を感じ、日本の大学に眠る技術を掘り起こそうと、2012年に東京大学のロボット研究者たちとシャフトを共同創業した。

 後述するように、アンディと出会って企業売却を経験してからは「世の中の社会課題をいかに変えるか」という大きな夢に魅せられ、僕自身もどうすれば人類の進歩に役に立つのかどうかを日頃、考えるようになった。

 僕はシリコンバレーに渡り、2015年にFracta(フラクタ)を創業した。フラクタでは、老朽化した水道管更新の問題に取り組んでいる。全米のインフラ更新費用は2050年までに100兆円以上かかると見られ、従来のままの方法ではいつしか水道料金が2~3倍に跳ね上がってしまうという。

 そこで、破損・漏水のメカニズムをとらえ、全米の水道管インフラ更新費用を削減できる機械学習のソフトウェアを開発した。これがあれば、およそ40兆円の更新費用を削減できると見込んでおり、現在、米国の水道事業者の間で次々と採用が進んでいる。

 僕たちはその後、日本の栗田工業の傘下に入り[注2]、目下、米国だけでなく英国や日本での事業を展開しているところだ。

 本稿では、そんなグーグルのムーンショットを垣間見て、シリコンバレーで奮闘している経験をもとに、ムーンショットとは何か、ムーンショット型の経営がなぜ現代に必要とされるのかを説く。ムーンショットについて知り、考えることは今後のビジネス展開のうえで非常に有効であろう。

 断っておくが、ムーンショットは何もスタートアップだけの話には限らない。日本の大企業や伝統的な企業の方こそ知っておく価値があるのだ。

アポロ計画を発端にした
ムーンショットとは何か

 そもそもムーンショットといえば、米大統領のジョン F. ケネディが掲げたアポロ計画が発端だ。米国がソ連(現ロシア)に宇宙開発で後れを取っていたため、ケネディ大統領は1961年、「米国は10年以内に月面に人類を着陸させて、安全に帰還させる」と述べた。それも「簡単だからではない。難しいからこそあえてやるのだ[注3]」と言った。

 当時からすると実現困難な目標だった。だが、多額の投資をしてでも月に向かうことが米国の科学技術を発展させ、関連産業の強化につながり、ソ連に対抗できるとケネディは信じて計画し、実行に移したのである。

 そんな国の政策であるムーンショットが半世紀を経て、世の中の注目を集めることになったのは、グーグルの存在があったからだ。

 グーグルには物事を10%改善するよりも、10倍の成果を手に入れようとする考え方がある。すでに動いている検索エンジンを10%改善するだけでは、やがてグーグルの成長は止まってしまう。一方で、まだ誰も成し遂げていないことに積極果敢に挑戦すれば、いまの検索エンジンの10倍もの果実が手に入るかもしれない。

 人類の進歩に貢献するような大きな挑戦をするほうが、人を震い立たせてより多くのものを得られる。グーグルは、この戦略をムーンショットに例えており、ラリーは「何かクレイジーなことをしていなければ、間違ったことをしている[注4]」と述べている。

 2010年初頭にはR&D機関「グーグルX」(現アルファベットの子会社X)ができた。グーグルXは、拡張現実(AR)技術に対応した「グーグルグラス」の開発や、無人自動車運転の「グーグルカー」、気球に通信機器を載せてブロードバンドネットワークを築く「グーグルプロジェクト・ルーン」など、世界を驚かすプロジェクトを次々と進めてきたのだ。

 HBRの論文[注5]によると、ムーンショットを語る時に欠かせない要素がある。1つ目が、「人を魅了し、奮い立たせるもの」(inspire)であることだ。月面着陸のように、不可能だと思われることを実現する。月まで行けたらどんな気持ちだろうと思いを馳せるような、ワクワクする未来を人々に感じさせるものでなくてはならない。

 2つ目が「信憑性のあるもの[注6]」(credible)である。アポロ計画は単なる夢物語ではなかった。技術トレンドをきちんと見極めたうえで、ある一定の技術的なハードルを越えれば実現できるとわかっていた。アンディも、ヒト型ロボットの社会の実現において、何の技術が欠けていたのかを理解していた。

 最後が「創意あふれる斬新なもの」(imagi-native)だ。過去の延長線上ではなく、新しい世界を感じられる、そのようなものでなければならない。工学的な進歩だけでなく、人類の進歩につながる。ヒト型ロボットが街中を歩けたらどんなに素敵だろうか。そんなことを想起させなければならない。

 グーグルXのプロジェクトは、まさに魅力的で、技術的な裏付けがあり、しかも斬新であったのだ。

 一方で現在、日本でムーンショットというと、企業経営よりも国の研究政策での議論が中心である。

 内閣府は「従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発」として、「ムーンショット型研究開発制度」を立ち上げており、活発な議論が進んでいる[注7]

 この制度に関わっているソニーコンピュータサイエンス研究所の北野宏明社長によれば、R&Dには3つの形があるという。

 1つ目が「探索基礎研究」として、何が重要かを含めて、個人が追求するような一般的な基礎研究だ。2つ目が「重点領域型研究」といい、あるテーマについて集中的かつ多角的に研究を行う。基礎研究から応用研究まで含めるものである。

 そして3つ目が「ムーンショット型研究」であり、明確な目標を定めて資源を投入する、エンジニアリングプロジェクトが軸となるR&Dプロジェクトだ。

 2つ目と3つ目の研究は、「(地上で使える)高効率な航空エンジンの開発」と、「ロケットに乗ったヒトを月に送る」というくらい異なる。前者は人々の移動手段のさらなる効率化を図るために、高効率の航空エンジンを開発するという研究である。一方、後者は月にヒトを送るという物理的、工学的に実現可能であるように見えながら、これまでの考えの枠組みの中にはないものである。

 なぜ、この議論が進んでいるのかといえば、ムーンショットが少子高齢化や大規模災害への備えなど、日本が抱える根本的な課題を解決する手段として期待されているからだ。国家としてR&Dからグローバルなイノベーションにつなげようという考えがあるのだ。

 現在の日本には、R&Dだけでなく、企業経営にこそ、ヒトを月に送るというようなムーンショット的に物事を発想する「ムーンショット経営」が欠かせないだろう。

 従来の常識の枠組みから離れ、大胆な考えからスタートすることで、新規事業成功への道筋をつけられる。また、大きな目標を掲げることで、多くの従業員や取引先を鼓舞し、ふだん、獲得できない人材を引き付けて、事業における成功確率を高めることもできるだろう。

 このように、ムーンショットを発想することで、イノベーションを起こす数々のヒントが得られる、そんなきっかけとなる。

 とはいえ、国家予算規模の費用を投入することは一般企業にはできまい。また日本企業はグーグルとは違うと思うかもしれない。ムーンショット経営といって、日本では具体的に何をイメージすればよいのだろうか。

ムーンショット経営
実践への3つのポイント

「もしかしたら総合商社の業態を変えるかもしれない」

 最近、そう感じることがある。それが2019年5月に、丸紅が発表した中期経営戦略である。この戦略は、2030年に向けた長期的な企業価値向上を追求することを目標に、今後3年間で新規投資を9000億円行うというものだ。特に、「5G、デジタル技術、ブロックチェーン」や「次世代金融サービス事業」など、丸紅としてはまったく新規の市場、また未知の領域に2000億円を投じるという。

 柿木真澄社長は、決算発表の席上で「(2000億円の投資について)この3年間は何も利益に貢献しなくてもいい。やるからには真剣にやる」と述べた[注8]。まさに、これこそがムーンショット経営といえるであろう。

 なぜかといえば、まず、目標が10年後を見据えた長期スパンであるということだ。さらに、3年間は利益を出さなくていいという経営判断を下したこと。そして、新規市場に果敢に取り組んでいく姿勢を表明したことだ。

 今回の発表に関し、具体的に何にいくら投資を行うのかは現時点でわからないが、攻める姿勢を積極的に表明したことで今後、人材や投資案件、技術提携の相談などが舞い込むことは間違いない。

 さらに社員の意識が変わり、士気もいっきに向上するだろうし、将来、丸紅は現在の総合商社の範囲を超えて変貌することだろう。まさにムーンショット経営を実践している企業といえる。

 それでは、他の企業がムーンショットを実践するうえで、どのようなポイントが重要になるのか。ここでは3つに絞って示そう。

【注】
1)Lucas Matney, “Google Has 2 Billion Users on Android, 500M on Google Photos,” techcrunch.com, May 17, 2017. https://techcrunch.com/2017/05/17/google-has-2-billion-users-on-android-500m-on-google-photos/
2)Fractaは2018年に栗田工業と資本提携し、株式の過半を約3700万ドル(約40億円)で売却し、2020年から最大4年間をかけて完全子会社化される予定。
3)"Address at Rice University on the Nation's Space Effort," The John F. Kennedy Presi-dential Library and Museum. https://www.jfklibrary.org/learn/about-jfk/historic-speeches/address-at-rice-university-on-the-nations-space-effort
4)Steven Levy, "Google's Larry Page On Why Moon Shots Matter," Wired.com, January 17, 2013. https://www.wired.com/2013/01/ff-qa-larry-page/
5)Scott D. Anthony and Mark Johnson, "What a Good Moonshot Is Really for," HBR.org, May 14, 2013.(邦訳「ムーンショット──未来から逆算した斬新な目標」DHBR.net 2013年12月4日)
6)なお、技術的には信憑性があっても、「信じられないぐらい大きな目標を掲げる」ことの重要性から、incredibleが一つの要素だといわれる場合もある。
7)「ムーンショット型研究開発制度に係るビジョナリー会議」首相官邸ホームページ。https://www.kantei.go.jp/jp/singi/moonshot/index.html
8)日経新聞電子版「丸紅、『次世代事業』に2000億円投資 3年間利益度外視」2019年5月9日18時28分。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44583060Z00C19A5XQ9000/

加藤氏は、ムーンショット経営実践のポイントとして、(1)ビッグシンカーであろうと心がける、(2)日本的直感に反するコーポレートガバナンスを実現する、(3)ミドル・アップダウンで日本型組織を動かす、という3点を挙げる。各ポイントの詳細に加え、それらの根底にある重要な心構えが示される本稿全文は、『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2019年8月号に掲載されています。

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多くの企業がイノベーションを希求しながら、その実、漸進的思考から抜け出せずにいる。なぜ、もっと大きく有意義な考え方ができないのだろうか。ジョン F. ケネディ米大統領が提唱し、計画から10年足らずで実現した人類の月面着陸プロジェクト「ムーンショット」から半世紀。今日のR&Dや企業経営にこそ、大いなる挑戦が求められている。

【特集】ムーンショット
◇ムーンショット経営で世界を変える(加藤 崇)
◇ムーンショットを構想する方法(ネイサン・ファーほか)
◇宇宙への夢を語ることで科学技術は進歩する(向井千秋)
◇人類史上、最も危険なウイルスに挑む(高田礼人)
◇イノベーションの方程式(サフィ・バコール)

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