『Harvard Business Review』を支える豪華執筆陣の中で、特に注目すべき著者を毎月1人ずつ、首都大学東京名誉教授である森本博行氏と編集部が厳選して、ご紹介します。彼らはいかにして現在の思考にたどり着いたのか。それを体系的に学ぶ機会としてご活用ください。2019年6月の注目著者は、ハーバード・ビジネス・スクール教授のデイビッド A. ガービン氏です。

ハーバードとMITで経済学を専攻し
ハーバード・ビジネス・スクールで教鞭を執る

 デイビッド A. ガービン(David Alan Garvin)は、C. ローランド・クリステンセン記念講座教授を務め、『Harvard Business Review(ハーバード・ビジネス・レビュー)』(以下HBR)誌のマッキンゼー賞(the HBR McKinsey Award for the best Harvard Business Review article)を3度も受賞する卓越した業績を残した。ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)を代表する教授の一人であったが、2017年4月、癌のため亡くなった。享年64歳であった。

 ガービンは1952年にニューヨーク市に生まれ、ニュージャージ州パラマスで育った。ハーバード大学に進学して経済学を専攻すると、1974年、最優秀の成績(summa cum laude, a member of Phi Beta Kappa)で卒業した。

 その後、マサチューセッツ工科大学(MIT)の博士課程に進学して経済学を専攻し、1979年にPh.D.を授与された。同校博士課程に在籍中の1975年から1977年までは米国国立科学財団から、1978年にはアルフレッド P. スローン財団から研究助成金を授与している。同氏の博士論文は、米国の大学の経済的活動について研究した、“The Economics of University Behavior”である。

 ガービンは1979年、HBSのProduction and Operations Management(POM)[注1]ユニットの経済学の助教授として採用された。同氏は1984年に准教授、1989年に正教授に就任したのち、2002年にC. ローランド・クリステンセン記念講座教授となった。POMに所属していた間、ガービンは生産管理論を研究していたが、1994年にジェネラル・マネジメント・ユニットに移ってからは、主に組織行動論を研究するようになった。

 ガービンは2006年から2009年まで、MBAプログラムの選択科目のカリキュラム担当を務めている。HBSの学生の構成は、従来の様相とは大きく様変わりしていた。女子学生が増加したり、中国やインドなどから実務経験を持たない外国人学生が増加したり、投資銀行やコンサルティング会社だけでなく非営利組織から入学する人も増えていたりした。

 ガービンは、そうした変容に合わせてカリキュラム改革を行った。たとえば、1年次のMBAプログラムでは、ハーバードの伝統的な教授法であるケースメソッドを補完するものとしてFIELD(Field Immersion Experience for Leadership Development)メソッドを導入している。

 なお、これらの検討を踏まえ、今後のMBA教育のあり方について、ビジネススクールの学長やカリキュラム担当者、さらに企業経営者にインタビューした結果をまとめた、Rethinking the MBA, with Srikant Datar and Patrick Cullen, 2010.(未訳)を上梓している。

米国企業の復活は
積極的な投資と品質管理にある

 ガービンは経済学の研究者であったが、その研究対象は米国企業に留まらず、実際に日本を訪れ、日本企業の製造プロセスに関する事例研究に多くの時間を費やした。

 1980年代の米国は、1981年に大統領に就任したロナルド・レーガンによって進められた、財政支出の増大と減税、通貨供給量によるインフレからの脱却を目指した、いわゆる「レーガノミックス」の時代であった。レーガノミックスは結果的に、高金利とドル高を招き、企業による米国国内への民間投資を減退させ、米国の双子の赤字(貿易赤字と財政赤字)を増大させた。

 一方、日本に目を向けると、1980年代は日本企業が競争優位を確立した時代だと言える。

 エズラ・ヴォーゲルによる、Japan as Number One, 1979.(邦訳『ジャパンアズナンバーワン』TBSブリタニカ、1979年)の出版を契機に、日本の製造業に関する研究が盛んに行われるようになった。また、ウィリアム G. オオウチによる、Theory Z: How American Business Can Meet the Japanese Challenge, 1981.(邦訳『セオリーZ』ソニー出版、1981年)や、 リチャード T. パスカルとアンソニー G. エイソスによる、The Art of Japanese Management, 1981.(邦訳「ジャパニーズ・マネジメント」講談社、1981年)が話題を呼んだ。

 ガービンがHBR誌に寄稿した最初の論文は、“Managing as if Tomorrow Mattered,” with Robert H. Hayes, HBR, May 1982.(邦訳「企業成長をむしばむ投資の減退 そのメカニズムと病理」DHBR1982年9月号)である。なお、ガービンは同論文で最初のマキンゼー賞を受賞している。執筆当時はHBS在籍2年目、29歳という若さであった。

 ガービンの同論文における問題意識は、企業のほとんどが、投資プロジェクトの将来価値を現在価値に割引いて評価する割引キャッシュ・フロー法を採用していることにあった。第1の問題は、米国の経済状況や企業の投資活動に関する誤った認識が通念として存在していることである。また第2の問題として、誤った前提条件を割引法に適用しているため、望遠鏡を反対側から覗くように投資プロジェクトを矮小化して評価しているといい、その結果、米国企業は、設備投資や生産技術、さらには研究開発投資や人材教育に対する投資を減退させ、危機的状況に陥っていることを指摘した。

 最初の寄稿の翌年、“Quality on the Line,” HBR, September 1983.(邦訳「何が日本企業に優位をもたらしたのか」DHBR1984年3月号)が掲載された。

 ガービンはHBSに在籍して以来、米国と日本の製造企業に関する緻密な比較研究を実施していた。そして、米国企業の品質管理の問題について、計画、情報システム、製品設計、生産および労務政策、納入業者管理といった業務の実証データに基づき提起した。ガービンはこの論文により、2年連続でマッキンゼー賞を受賞するという栄誉を授かることになった。

 品質レベルと市場占有率が相関することは、PIMSデータベースによる研究で明らかになっている。ガービンは、“Competing on the Eight Dimensions of Quality,” HBR, November 1987.(邦訳「品質の8つの属性を市場奪取にどういかすか」DHBR1988年3月号)を通して、品質管理を強化するにはどのような取り組みが必要かを論じた。

 同論文では、1950年代以降の米国におけるTQC(Total Quality Control:総合的品質管理)や、信頼性工学の発展の歴史を取り上げたうえで、品質管理の強化には、性能、付加機能、信頼性、規格適合度、耐久性、サービス体制、感性、品質の告知という8つの属性を検討する必要性を提言している。

 ガービンは論文の中で、特に規格適合度の重要性について、当時の米国で品質工学の権威として知られていた田口玄一の研究成果である「タグチメソッド」を引用している。そのうえで経営管理者は、品質とは、コストと生産性のトレードオフの関係にある「やっかいな問題」として単純に捉えるのではなく、品質の向上を期待する消費者ニーズに応えることは競争優位を築く絶好の機会だと考えるべきだ、と主張した。

 米国では1987年、米国企業の経営革新を促すことを目的として、顧客満足度に焦点を当てる、マルコム・ボルドリッジ国家品質賞(Malcolm Baldrige National Quality Award、以下MB賞)が創設され、1988年には受賞企業が選出された。MB賞は当初、製造業、サービス業、中小企業の3カテゴリーで審査・表彰されていたが、1999年からは教育とヘルスケアが追加された。

 MB賞は、単に品質管理の重要性を評価するだけでなく、顧客満足度に対する企業全体の経営品質を重視した点に特徴がある。ガービンは1988年から1990年まで、創設まもないMB賞理事会の理事(a member of the Board for the Malcom Baldrige National Quality Awards)を務めた。

 ガービンは同じ頃、“Service Factory,” with Richard B. Chase, HBR, July-August 1989.(邦訳「サービス・ファクトリー」DHBR1990年1月号)を寄稿し、製造業におけるサービスの将来像を検討している。ガービンは製造業のサービスについて、製品デザイン、仕様、耐久性、修理のしやすさ、配送、設置・取り付けの容易性、使いやすさや使用感など、生産者と消費者の関わり合いを広義に捉えることで、製造業の革新の必要性を提起した。

 ガービンは1990年にMB賞の理事の任期を終えたが、“How the Baldrige Award Really Works,” HBR, November-December 1991.(邦訳「ボルドリッジ賞はアメリカ産業を再生するか」DHBR1992年3月号)では、MB賞の審査基準や審査プロセスを詳述したうえで、MB賞に対する誤解を解消するために、同賞が米国産業界にもたらした共通の言葉と哲学、さらに協力の精神などが生まれた意義を語っている。

企業文化を「学習する組織」へと
どのように変革すればよいのか

 1990年代を迎えて、HBR誌にとってエポックメイキングとなる2つの論文が掲載された。1つは、野中郁次郎が寄稿した、“The Knowlegdege -Creating Company,” HBR, October-December 1991.(邦訳「ナレッジ・クリエイティング・カンパニー」DHBR1992年3月号初出、DHBR1999年9月号再掲)である。

 野中は同論文で、組織メンバー個人の暗黙知を意図的に汲み上げる組織的知識創造について論じ、日本企業の事例を紹介しながら、創造的に「学習する組織」に変革する必要性を説いた。野中は、「学習する組織」とは、「新しい知識を創り出すのは何も特別なことではなく、その組織の中ではだれもが知を生み出す成員として振る舞い、存在するような組織」であるとした。

 時期を同じくして、ピーター M. センゲも「学習する組織」について論じており、The Fifth Discipline, 1990.(邦訳『最強組織の法則』徳間書店、1995年)を上梓している。

 センゲは同書を通して、グローバルな競争の激化、技術革新や顧客ニーズなど事業環境の急激な変化に対して、社員に事業ビジョンを示し、企業価値観の研修を充実させ、組織統制的にインセンティブを与えて組織学習を促すだけでは対応できないのではないか、という問題意識のもと、企業文化を「学習する組織」へと変革する必要性を主張した。

 このように、野中やセンゲが「学習する組織」に変革する必要性を説いてから、その重要性は広く理解されるようになった。ただ、どのような状態が「学習する組織」なのか、それをどのように企業文化まで醸成させるのか、という問いに対して、実践的な方法論までは示されていなかった。

 ガービンは、“Building a Learning Organization,” HBR, July-August 1993.(初訳「実践段階に入った『学習する組織』」DHBR1993年11月号、新訳「学習する組織の実践プロセス」DHBR2003年3月号)を寄稿し、3度目のマキンゼー賞を受賞している。

 この論文では学習する組織について、第1に、行動指針となり、適用が容易であるように明確な定義(meaning)を再確認し、第2に、マネジャーに対して行動パターンとなる具体的マネジメント方法(management)を提示し、第3に、「学習する組織」の成熟度を示す評価基準(measurment)という3つのMを明らかにした。なお書籍として、Learning in Action, 2000.(邦訳『アクション・ラーニング』ダイヤモンド社、2002年)を上梓した。

 ガービンはその後、「学習する組織」の成熟度の評価について、リーダーシップ論のエイミー C. エドモンドソンや、組織行動論のフランチェスカ・ジーノを加えて、より詳細に検討を行っている。その成果は、“Is Yours a Learning Organization?” with Amy Edmondson and Francesca Gino, HBR, March 2008.(邦訳「『学習する組織』の成熟度診断法」DHBR2008年8月号)としてまとめられている。

プロセス重視のマネジメントにどう転換できるか

 HBR誌にとってエポックメイキングとなったもう1つの論文は、MITの教授であったマイケル・ハマーによる、“Reengineering Work: Don’t Automate, Obilterate,” HBR, July-August 1990.(邦訳「情報技術を活用した業務再構築の6原則」DHBR1990年11月号初出、DHBR1994年1月号再掲)である。ハマーはさらに、ジェイムズ A. チャンピーとの共著、Reengineering the Corporation, 1993.(邦訳『リエンジニアリング革命』日本経済新聞社、1993年)を上梓し、同書はベストセラーとなり話題を呼んだ。

『リエンジニアリング革命』では、「リエンジニアリング(Business Process Re-engineering:BPR)」は「コスト、品質、サービス、スピードのような、重大で現代的なパフォーマンス基準を劇的に改善するために、ビジネス・プロセスを根本的に考え直し、抜本的にそれをデザインし直すこと」と定義されている。

 1980年代から1990年代のインターネット革命前の米国産業界は、リストラとダウンサイジングを実施したにもかかわらず、いっこうに復活の兆しが見えなかった。1980年代の情報技術への多額の投資は、まったく期待はずれで成果に結びついていなかったのである。

 ハマーはその理由について、それぞれの取り組みが、事業や業務を分業化した古い業務手順を効率化して部分最適を実現したにすぎず、企業全体の業務プロセスの劇的な改善が行われなかったことにあると指摘した。そのうえで、非連続で突発的な事業環境の変化に対応するために、市場ないし顧客を中心に据えたビジネスプロセス重視のマネジメントである、BPRの必要性を提言した。

 企業全体のBPRの変革に応じて、必然的に、経営陣の意思決定プロセスも健全で効果的にデザインされる必要がある。

 ガービンは、“Leveraging Processes for Strategic Advantage.” HBR, September-October 1995.(邦訳「プロセス重視マネジメントの実践」DHBR1996年11月号)を寄稿し、その重要性を示した。同論文では、意思決定プロセスを、これまでの主張型(advocacy)から、意見の相違を抑制せずに多様な意見の建設的対立によってクリティカル・シンキング(critical thinking)を促す探求型(inquiry)に変えなければならない、と主張した。

 なお、ガービンは同様の問題意識のもと、1998年に『MITスローン・マネジメント・レビュー』誌に、“The Process of Organaization and Management”を寄稿している。この論文は、同誌の年間最優秀論文に与えられる “Richard Beckhard Memorial Prize”を受賞した。

 また、“What you Don’t Know About Making Decisions,” HBR, September 2001.(邦訳「プロセス重視の意思決定マネジメント」DHBR2002年1月号)では、BPRによる新しい組織形態や意思決定プロセスが企業でどう運用されているかについて、ゼロックスなどプロセス重視に変革した企業経営者にインタビューを行い、変革の動機、変革の困難性、従業員の反応、変革後のマネジメント人材のあり方を明らかにしている。

 こうした変革にあたっては、組織メンバーへの説得が必要になる。ガービンは、“Change Through Persuasion,” with Michael A. Roberto, HBR, February 2005.(邦訳「説得が変革の土壌をつくる」DHBR2005年9月号)において、変革のために組織メンバーに危機感を共有させ、メンバー自身が変革の主体者になる「説得のプロセス」を提示している。

 さらに、“All the Wrong Moves,” HBR, January 2006.(邦訳「コンセンサス重視か、建設的な対立か」DHBR2006年4月号)では、意思決定プロセスのあり方について具体的なテーマを設定して、マネジメントはコンセンサス重視であるべきか、それとも建設的対立を許容すべきか、HBR誌上でケース・ディスカッションを行っている。

マネジャーの存在価値を示し、組織風土を変革する

 ガービンはより広範に、マネジメントのあり方についても論じている。

 社員のほとんどがAクラスの人材を集めたグーグルでは、ピラミッド型の企業組織ではなく大学のような文鎮型の組織であるため、社員にとってマネジャーという存在が懐疑的な組織風土であった。ガービンは、“How Google Sold its Engineers on Management,” HBR, December 2013.(邦訳「グーグルは組織をデータで変える」DHBR2014年5月号)の中で、「マネジャーに価値はあるのか」という課題にグーグルの人事部門が挑戦し、その価値を見出して組織風土を変革する過程を描いている。

 同論文では、調査データの緻密な分析を通じて、マネジャーの資質が上昇することで、その下で働く社員は一貫してイノベーションやワークライフバランス、キャリア開発などの分野で高い満足度を示し、社員の幸福度との間に強い相関関係があることを突き止めた。そのうえで、マネジメントが社員にアドバイスをする必要性とその言葉、マネジメントの負うべき責任範囲、改善すべきマネジメントの行動指針を明確にし、マネジメント教育を行い、マネジャーが価値ある存在として認められる組織風土を醸成する過程が記されている。

 マネジャーにとって、部下にアドバイスすることは最も重要なリーダーシップ手法の一つであり、その内容が適切であることは授受する双方にとって有益である。ただし、アドバイスのスキルや見識は自然に身につくものとされ、教わることはまれであった。

 そこでガービンは、“The Art of Giving and Receiving Advice,” With Joshua D. Margolis, HBR, January-February 2015.(邦訳「アドバイスの科学:与える技術・受ける技術」DHBR2016年2月号)を寄稿し、アドバイスを与える側と受ける側、両者の問題点を明らかにし、アドバイスを有益にするための方法を論理的に解明している。

大企業で新規事業開発を成功させる方法

 ガービンの問題意識は多岐にわたり、大企業の新規事業開発の課題にも着目した。

 大企業には、既存事業の業績を維持・成長させ、同時に新規事業を開発するという2つを求められるが、成長のための新規事業の立ち上げが課題とされている。“What Every CEO Should Know About Creating New Businesses,” HBR, July-August 2004.(初訳「新規事業10の心得:社内起業なくして成長なし」DHBR2004年10月号、新訳「新規事業のチェックリスト」DHBR2010年8月号)では、大企業の新規事業開発に関する多くの先行研究の知見から、そのほとんどの取り組みが失敗に終わっていることを明らかにしたうえで、新規事業を成功に導く要諦を示している。

 さらに、“Meeting the Challenge of Corporate Entrepreneurship,” with Lynne C. Levesque, HBR, October 2006.(邦訳「大企業の新規事業マネジメント」DHBR2007年8月号)では、新規事業開発を成功に導いた新事業創出のケーススタディ(Emerging Business Opportunities at IBM, 2004)から、当時IBMのCEOであったルイス・ガースナーの指示の下、IBMが既存事業の文化を遮断して、成長の道筋をつけるために資金提供制度や新たな管理システムの導入したことなど、同社の成功事例を詳述している。

HBSを代表する英才の死を惜しむ

 ハーバード大学でもMITでも経済学を専攻してきた人間が、なぜHBSに応募したのか、どうして採用されたのか、ガービンはインタビューでその経緯を語っている[注2]

 ガービンによると、HBSではPOMが唯一、経済学のPh.D.のエコノミストを採用しようとしており、採用のインタビューを受けたのだが、ビジネスについてもマネジメントについてもまったく自信がなかったという。HBSでの最初のインタビューを終えると、妻のリン(Lynn)に不安な精神状況であったことを語っている(“It is a great institution but when I just don’t think it’s for me – I certainly don’t know enough about business and management.”)。

 ガービンは翌日に再度インタビューを受けることになり、博士課程での研究テーマであった大学の経済的行動について話すことで、HBSから採用のオファーをもらえたことを楽しそうに語っている。ちなみに妻のリンは、1980年にHBSに入学し、1982年にMBAを取得している。

 ガービンは、HBSでMBA教育の改革に取り組みながら、旺盛な好奇心で既存の通念に囚われることなく、生産管理論から組織行動論に研究分野を広げ、その時代に最も重要な課題とされるテーマに取り組み続けてきた。癌との闘病生活を送っていた2017年、64歳という若さで亡くなったが、ガービンの死が多くの人に惜しまれたことは、研究者としての偉大な功績が物語っている。

[注1]現在のTechnology and Operations Management(TOM:技術経営論)。
[注2]“Faculty Profile-Professor David Garvin,” The Harbus, April 2008.