創業88年を迎えた丸井グループは、家具の月賦販売から事業をスタートし、「赤いカード・ヤングファッション」の丸井として一時代を築いた。現在は、モノを売ることよりも体験を提供することを重視した店づくりを進めるなど、従来の常識に囚われない新しいビジネスモデルを構築している。創業家の3代目である丸井グループ社長の青井浩氏に、丸井がビジネスモデルを変え続けてこられた理由、そして近年、組織文化をどのように変え、今日それがいかに結実しているのかについて話を聞いた。
『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2019年7月号より、1週間の期間限定で抜粋版をお届けする。

新しい価値を創り続ける力

編集部(以下色文字):御社は月賦の家具販売から事業を開始され、1980年代に若者を顧客の中心に据える「赤いカード・ヤングファッション」のビジネスモデルへと事業を転換されています。現在は、従来の百貨店型から賃貸借型ビジネスモデルへと転換し、モノを売ることよりも体験を重視した店舗へと変革を進めていらっしゃいます。創業時から現在まで、どのようにビジネスモデルを転換させてきたのでしょうか。

青井(以下略):1931年に創業した丸井は、2019年に創業88年になります。当時の商売は家具の月賦販売でした。

 創業者である祖父の青井忠治は、丸井を創業する前に、家具を月賦で販売する丸二商会という店で働いていました。

 月賦販売は江戸時代から伊予(現愛媛県)商人に伝わる手法で、当時丸二商会で働いていた従業員のほとんどは伊予出身者。富山出身の祖父は、その中では異質でした。そのため、祖父は企業文化に染まり切らず、少し離れたところから客観的に見る癖がついたようです。

 丸二商会の月賦販売の方法は、優れている部分もありながら、客観的に見て改善できるところもある。その点を看破した祖父は、独立して丸井を創業し、これまでにない試みにも挑戦しました。

 1960年に日本初のクレジットカードを発行し、1966年には業界で初めてIBMの大型コンピュータを導入しました。私は、ここが丸井の最初の革新と考えています。江戸時代から続く月賦販売を米国のクレジットカードと掛け合わせて、日本初のクレジットカードの発行へとつなげる。さらに、労働集約的に行っていた与信業務や回収をIBMの大型コンピュータによって効率化し、進化させた。祖父の先進性と革新性によって、丸井は成長を遂げました。

 その頃の丸井は、家具や家電など生活を豊かにするための耐久消費財を扱っていました。ところが1980年代、2代目の父忠雄が社長の時代の頃には、そのモデルが行き詰まります。

 この凋落は丸井だけではなく、月賦百貨店業界のライバルである緑屋や丸興も同じでした。結果、緑屋は西武百貨店に買収され、現在のクレディセゾンに、丸興はダイエー(当時)に買収され、ダイエーオーエムシー(現セディナ)になりました。

 この両社は店舗を捨て、買収先のカード会社として生き残りを図ります。しかし丸井だけは、店舗を維持しました。その際に、耐久消費財からファッションにメインカテゴリーを転換したのです。そしてファッションの最大の消費者は若者でした。

 当時の日本は、いわゆる「DCブランド」が急激に伸びていました。ただ、いかんせん高い。DCブランドを着たい若者にとっては、手の届かないものでした。そこで、丸井のクレジットが彼らの役に立ちます。この時から「若者」「ファッション」「赤いカード」の丸井という図式が構築されたのです。丸井は小売りを捨てることなくクレジット販売を革新して生き残ります(図表「丸井のビジネスモデルの変遷」を参照)。

 時代の変化に合わせて祖業から大きく事業を変えることについて、抵抗はなかったのでしょうか。

 社会背景が変わり、顧客の要望が変われば、自分たちも変わればいい。その考えは創業者の祖父にも2代目の父にもあったと思います。月賦販売で扱う商品に対する固定観念がなかったのです。

 さらに言えば、月賦百貨店の上位2社が店舗を放棄したことで「業界」そのものがなくなったことも、丸井の革新し続ける力の醸成に寄与していると思います。

 私が子どもの頃には、まだ「月賦百貨店」という業界があり、上位3社がしのぎを削っていました。しかし、2社が買収されたことで、丸井は一匹狼になってしまいます。百貨店でもない、量販店でもない、総合スーパーでもない、仲間がいない会社になってしまった。それが逆に、丸井がみずから革新し続けていく力を磨き、社会においてユニークな存在になった要因でもあります。

成功モデルをつくった人は
そのモデルを壊せない

 青井さんが社長に就任後、御社は「赤いカード・ヤングファッション」から、再びビジネスモデルを転換させました。変える時期をどのように見極めてきたのでしょうか。

 経営者が代わるタイミングが、ビジネスモデルを変えるような大きな変革をする最大のチャンスだと思います。

 私が社長に就任したのは2005年ですが、最初に手をつけたのはカード事業の変革でした。脈々と続いてきた「赤いカード」は、丸井グループでしか使えませんでした。それを、丸井以外でも使える「エポスカード」へと変えました。その後、ターゲット層を「若者」から「すべての人」へ見直し、店舗で扱う商品もファッション中心からライフスタイル全般を提供する方向へと舵を切ったのです。ただそれは、社長を2代目から譲り受けた後、1~2年経つまで変えられませんでした。

 社会の変化や消費者の変化はもちろん見ています。すぐに変えなければならないことは、私自身、就任前からわかっていました。財務諸表より先に変化の兆候をつかめる客数などの先行指標を見れば、若者・ファッション・赤いカードのビジネスモデルが賞味期限を迎えているのは明らかでした。

 売上高と利益もピーク時の60%程度まで落ち込み、バブルの崩壊も手伝って株価もピーク時の3分の1から4分の1程度まで下落しました。長期低落傾向は明らかで、このままでは事態が深刻になる危険水域まで来ていたのです。

 しかし、新しいビジネスモデルをつくって大成功させた経営者の在任期間中に、それを本人が変えるのは難しいと思います。なぜなら、悪いことに気づいていながら、どうにかなると期待してしまうからです。顧客も社会も変わり、ビジネスモデルが賞味期限切れになり、このままよくならないとわかっていても、そのビジネスモデルをつくって成功した人は、自分では変えられません。人間の業とは、そういうものだと思います。

 画家のパブロ・ピカソのように、自分でつくったスタイルを自分で壊して進化し続ける人はごく稀です。ジャズトランペッターのマイルス・デイビスのように、画期的な奏法をつくり上げてもすぐに自分で壊し、また新たな画期的な奏法を構築して、たえず進化するミュージシャンはそういません。そのようなことができるのが、彼らが天才と呼ばれるゆえんです。しかしながら、ビジネスの世界で彼らのような天才はいるのでしょうか。

 ゼネラル・エレクトリック(GE)は長く続く大企業ですが、トーマス・エジソンの創業から百数十年の歴史で11人しか社長がいません。ということは、単純計算で1人当たり10年以上の在任期間があることになります。ただ、その10年の在任期間中に自分がつくったビジネスモデルを、自分で壊した人はいないと思います。

 ジャック・ウェルチは前任者のビジネスモデルを壊し、新たに「選択と集中」を断行しました。彼が力を入れた金融部門を解体し、製造業に回帰させたのが後任のジェフリー・イメルトです。

 前任者が成功させたビジネスモデルを後任者が壊す形はよくありますが、自分でつくって自分で壊し、さらに新しいものをつくる人はほとんどいません。加えて、大企業は巨大な組織のため、経営者がビジネスモデルを壊して新しいものをつくりたいと思っても、組織そのものが変われず、変革にブレーキをかけてしまうのです。

成功体験のアイデンティティ化が
組織の変化を妨げる

 先ほど、社長就任後、1~2年は事業を変革できなかったとおっしゃいましたが、何か理由があるのでしょうか。

 それは、そもそも組織自体が簡単に変われないことも影響しています。

 先代の時代は、若者に最先端のファッションを赤いカードで売るビジネスモデルで大成功しました。といっても、このモデルは1980年代からバブル崩壊までの10年足らずの特殊な経済環境に合致しただけです。バブル崩壊以降はゆっくりと時間をかけて陳腐化し、社会に合わなくなっていきました。

 ただ、丸井にとって、この成功体験はあまりにも強烈すぎたのです。私が社長に就任した2005年は、このビジネスモデルの賞味期限切れから10年以上経っていました。けれども社員は「丸井は若い人にファッションを赤いカードで売る会社だ」と認識している。しかも、社員だけでなく株主や顧客まで同じように認識していたのです。

 私はもう時代遅れだと言い続けました。業績が長期低迷し、企業価値も右肩下がりでした。これは、成長が期待されていないことを意味します。だからこそ、いま、変えるべきだと訴えました。しかし、社内にはこのような声も多かったのです。

「若い人にファッションを赤いカードで売るのが丸井だから、それを変えたら丸井ではなくなってしまう。丸井でなくなることは、丸井の崩壊を意味する。あなたは社長なのに丸井を潰すつもりか」

 私は過去の成功体験をみずからの存在意義と見なしてしまう状態を「成功体験のアイデンティティ化」と呼んでいます。私は創業家の3代目ですから、丸井がもともと家具の月賦販売の会社だったことを知っています。その後、耐久消費財の月賦百貨店を経て、若者のファッションをカードで売る会社に変わっただけです。ということは、「若者・ファッション・赤いカード」はほんの一時代のことであり、丸井の本質ではありません。

 顧客の変化、時代の変化、社会の変化に合わせて役割を変え、革新し続ける。この連続性、一貫性が丸井の本質なのです。革新し続ける力が丸井の本質だとしたら、いまこそ革新すべきだと考えて、「組織の変革」に手をつけていきました。

丸井グループはどのように生まれ変わったのか。同社を革新を続ける組織に変えた3つの施策などが語られるインタビュー全文は、『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2019年7月号に掲載されています。

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