1994年に発売したソニーの家庭用ゲーム機PlayStation(プレイステーション)は、全世界で爆発的なヒットを記録し、2018年にシリーズ累計販売台数が5億台を突破した。その開発から販売まで中心的な役割を担ったのが、元ソニー副社長の久夛良木(くたらぎ)健氏である。現在は世界20カ国以上からエンジニアが集まるAIスタートアップ、アセントロボティクスの社外取締役等を務め、いまもなおテクノロジーの世界の最前線に立つ。コンピュータ好きな一介の技術者であった久夛良木氏はなぜ、イノベーションを起こし続けられたのだろうか。創造的な組織をつくるうえでのポイントを尋ねた。
『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2019年7月号より、1週間の期間限定で抜粋版をお届けする。

大きな組織をつくらず
少数精鋭でプレステを開発

編集部(以下色文字):プレイステーションは、2018年に全世界のシリーズ販売台数が累計5億台を超えました。なぜ、ここまで成功したと思いますか。

久夛良木(以下略):たくさんの要因があります。そのすべてが揃ったからうまくいったのであって、たった1つか2つの要因で成功を語ることはできません。

 そのうえで、あえて1つ挙げるとすれば、いつの時点にもすごい人材が集まったということです。どんな時においても、タイムリーに必要な人材が集まりました。こうした、層の厚いライトパーソンの存在があったから、うまくいったのだと思います。

 当時のソニーの社内には、久夛良木さんから見ても「すごい人」が数百人はいたようですね。

 ええ、僕の所属していた開発部署や研究所には、本当に卓越したアイデアを持っていたり、確かな技術を持っていたりする人がひしめいていました。「この分野といえば、この人だよね」ということが、バイネーム(個別名)でわかっていました。

 当時は、壁も柱も間仕切りもなく、誰が何をやっていたのかも自然に見えていたのです。そのため、僕がわからないことがあれば、わかっている人が教えてくれましたし、僕も聞かれたら「これはこうなんだ」と自由に話せる雰囲気がありました。

 ソニーのいいところは、何かよくわからない研究に打ち込んでいても「それを、やめろ」とは言わず、「こいつは何か面白そうなことをやっている」と見てくれるところでした。後ろにふと人影を感じて振り返ると、ソニー創業者の井深(大)さんだったこともあります。「君は何をやっているの」と聞かれ、研究の内容を説明すると「それは面白いね」と返してくれる会社だったのです。

 会社によっては、上司に気軽に話せない組織もあるようですが、僕が知る限り、当時のソニーにそのようなことはありませんでした。井深さんも、盛田(昭夫)さんも全部「さん」付けで呼んでいました。新入社員ですらそう呼んでいたので、何も違和感がありませんでした。

 もし「部長」とか「課長」といった肩書きで呼んでいたら、「お前、どうした」「元の会社はどこなの」と心配されたでしょう。もちろん、年齢も関係ありませんし、非常にフラットな文化でした。

 その点、新規事業で多くの会社が失敗する要因の一つに、組織という「箱」を安易につくってしまうことがあるのではないでしょうか。新規事業部署と称して新しい組織をつくり、そこにたくさんの人を集めますよね。すると、箱の中で階層が生まれて、「自分はこんなプロジェクトに関わった」「これをやったのは自分だ」とそれぞれが言い出し、誰がキーマンかがわからなくなる。

 ほどなくすると、それぞれが仲間を呼び込んで群れ始める。すると組織内でマウンティング合戦が始まり、早々に組織が機能しなくなります。僕の経験で言うと、新しいことを始めるのに、まず大きな箱をつくろうとするのはよくないと思います。

 プレイステーションの開発は、どのようなチームで始まったのでしょうか。

 いろいろと経緯はありましたが[注1]、自分たち自身でやろうと決めたのが1991年のことです。その時に最初のチームができました。といっても数人ですし、表立った「○○事業部」という大きな箱は不要でした。面倒じゃないですか。自分で決めることのできない管理職や、コードの書けない技術者が入ってきたりしたら。

「チーム久夛良木」の加入条件を教えてください。自分にないものを他のメンバーに求めたのでしょうか。

 いえ、そうではありません。いかに「これまで世の中になかったものを生み出せるか」ですよ。自分にないものではなく、いまだこの世に存在していないものを形にする発想力の豊かな人々が必要でした。

 そのためには、むやみに頭数を集めようとは思いませんでしたし、その必要性も感じていませんでした。なるべく少ない人数でスタートしたのです。

 会社ではまず組織をつくってそこに多くの人を集めてしまうものですが、人が集まると、えてしてトラブルの原因になります。1つの仕事をやろうと思った時に、調整圧力が働いて1人分の仕事すらなかなかうまくいかなくなる。人を集めればいいと思われがちですが、実はどんどんクオリティとスピードが落ちてしまうのです。

 要するに2~3人集めるよりも、できる人間に2~3人分の仕事を任せたほうがいい。僕自身「これは」という候補者以外には声をかけなかったですし、ましてやその時に説明してよくわからない人とはまず一緒にやらない。そんな形でチームをつくってきました。

 もともとプレイステーションは、リアルタイムで3次元グラフィックスを生成可能なプラットフォームを家庭用ゲーム機として実現し、そこに新しいエンタテインメント・ドメインを世界規模で花開かせたい、ということから始まりました。

 そのために必要な技術を知ろうと世界中の学会に顔を出しては、面白そうな論文を書いている人々と休憩時間に立ち話をしました。そこでセンスのよさそうな人をチェックし、何かあったらこの人にまず声をかけようとあらかじめ調べておくわけです。

 普通だったらそういう人をソニーに招聘しようと考えますが、そういう発想はなかったですね。

 経営者なら、有能な人材を集めたがるものですが、違うのですか。

 そのような必要性を感じなかったというほうが正しい。基本的には、その所属のままでいいのです。チームメンバーが社内であろうが、社外であろうが本質的には関係がありません。

 僕が求めたのは世界のベストプラクティスでした。その人がどこに所属しているかではなく、キーマンは誰かというほうが大事だった。そうした技術を持った方々を社員として呼ぼうなどとも考えてはいませんでした。

 たとえば、グラフィックスの話で言えば、東芝の半導体研究部門にいた大橋正秀さんたちのチームがすごくて、とにかく一緒にやろうと話をしました。それがうまくいったから、チップの製造は東芝の工場を使わせていただこうとなっただけです。

 IBMと組んで、高性能CPUチップの「セル[注2]」をつくることになったのも、IBMワトソン研究所にいる研究者たちがずば抜けていたからです。最初から、ソニーとIBMとが会社として提携する必要はありませんでした。

 プレイステーションを見てもらえればわかるのですが、その時代に応じて、実にさまざまなソリューションが入っています。ソニー内に限らず世界のベストプラクティスをその時々で貪欲に集めたからです。

 言ってしまえば、プレイステーションとは、当時、世界のベストプラクティスを持っていた人々のあふれる夢とIP(知的財産権)の集合体なのです。これが、かつて自社技術至上主義ともいわれたソニーの他の商品群とは大きく違うところです。

 ゲームソフトについても同様のことがいえます。とても大事にしたことの一つに、ゲーム終了と同時に流れるエンドロールがあります。映画の最後に制作に関わったスタッフ全員の名前が流れるのと同じように、ゲームのプログラマーたちやアーティストの方々の名前をきちんと表に出したいと思いました。それまでは、会社がそれら縁の下の力持ちを内部に隠し込んでいましたから。

 ゲームは、それぞれのクリエーターたちの作品であって、プレイステーションはそうしたクリエーターが開発したいと思えるような仕組みづくりを目指しました。いまで言うプラットフォームづくりですが、それはビジネス的な意味合いというよりも、みんなが集まる場所というイメージを強く持っていました。

 会社が大きくなっても同じ考えだったのでしょうか。

 それは変わりません。事業が大きくなればなるほど、少数精鋭のチームの維持が重要になります。

 時に、組織というものはキャッシュフローを生み出していないところから、キャッシュフローが回っているところに人を移すため、うまくいっているところの人が急速に増えてしまうものです。すると、ポストや役職を求めて組織を大きくしたいという人が入ってきてしまいます。そんな人たちが増えると、面倒なことも増える。だから、可能な限り小さな組織が望ましいのです。

「スープの冷める」距離を本社と保つ

 新規事業を進めるうえで、ソニーで役に立った制度はありましたか。

 社内募集制度ですね。新しいプロジェクトが立ち上がると、社内報で人材を公募できる制度がありました。誰でも応募ができますし、応募自体も、人事の特定の窓口に提出するので、所属部門には知らされません。応募者は、募集している部署の担当者と直接面接して了承が出れば、異動できる仕組みでした。

 もちろん、商品化の直前で担当者に抜けられたら当該部署は困るため、時期的な猶予はありました。ですが、決まれば半年以内には必ず動かさなくてはならず、所属部門も異動を拒めないというものでした。プレイステーションの事業が拡大する中、この社内制度が結構、使えました。

 余談かもしれませんが、この制度のうまい使い方は、長男を狙うよりも次男を狙うことです。その組織のナンバーワンを取ってはマネジメント層としても、さすがにまずいとなりますが、ナンバーツーなら抜きやすい(笑)。ナンバーワンとナンバーツーには、素質の面でほとんど差がないですし、単に挑戦する機会があったのか否かの差などです。

 ほかにはいかがですか。

 場所ではないでしょうか。僕たちは、本社のある品川から離れた青山を拠点にしていました。本社、つまりは「実家」にいたら、とにかく口を出す人たちに囲まれていたことでしょう。

 特に、実績のある方がよかれと思って「俺の時代はこうだった」と言う。たしかに、その時代は素晴らしかったですし、実績があるために「違います」とは言えない。ですが、時代が変わっていて参考にならないこともあるでしょう。

 大組織でイノベーションを生む難しさとは、要するに口を出す人間が増えるということです。そこからいかに抜けられるかが重要です。僕らにとっては、品川と青山ぐらい距離が離れていたことが、つまりこの「スープの冷める距離」がちょうどよかったのです。

 また、新規事業というのは、どんなにいいアイデアがあっても、中間管理職が予算でコントロールしようとするものです。「資料を持ってこい」や「それだけではわからない」とか、目的が不明確な説明資料をたくさんつくらせようとする。だから、なるべくそういったことが起きないように留意しました。

 その点、最もよいのは、予算をもらわないで新規開発を行うことです。実は、プレイステーションの隠れたサクセスストーリーとは、ソニーの予算をつけて開発を始めなかったということです。

 どうやって資金を捻出したのですか。

 みずからのIP収入です。当時、家庭用ゲーム機が大ヒットしていました。僕の子どもたちも嬉々として遊んでいたのですが、どのゲーム機も音がひどかった。「ピッボ、ピッボ」という原始的なビープ音で、音の強弱や和音すら満足に表現できていなかったのです。

 一方、同じ頃、ヤマハからはFM音源を内蔵した「DX-7」や、KORG(コルグ)からはPCM音源を採用した「M1」といったシンセサイザーが出て、コンサートシーンで使われ始めていました[注3]

 あまりにプリミティブな家庭用ゲーム機の音に頭が痛くなってしまい、任天堂に「PCM方式の音源をゲーム機に入れさせてください」と飛び込みました。たまたま開発責任者の上村(雅之)さんが会ってくれ、結果「スーパーファミコン」の音源に採用され、圧倒的に家庭用ゲーム機の音がよくなりました。

 スーパーファミコンからの収入がプレイステーションを生んだとは驚きです。

 いや、そうとは言っていませんよ(笑)。当時、僕が所属していた情報処理研究所は、事業部隊ではなく研究部隊です。会計上、この時の収入は、いったん本社に入ります。

 多くの人は、ソニーの予算を使っていたと思っていることでしょう。形式上はそうですが、実態は自分たちの給料以上にこの開発で稼いでいました。しかも設計などは自分たちで行うようにして、外注によるキャッシュアウトも起こさないようにしていました。

 つまり、プレイステーションは、予算の縛りから離れ、自由にR&Dができたというわけです。しかも、キャッシュフローをずっとポジティブ(プラス)で動かしていたのです。

 もともと、小さな印刷工場を営んでいた町工場で育ちました。零細企業の商売は、時々のキャッシュフローの確保ができないと成り立ちません。それと同じことです。商売人なら肌身で感じることが、意外とサラリーマンにはわかっていないことも多いのです。

【注】
1)もともとプレイステーションは、1989年に任天堂と共同開発がスタート。スーパーファミコンにCD-ROMドライブを接続した一体型機を目指していたが、1991年の任天堂とフィリップスの提携により、ソニーと任天堂の蜜月関係に亀裂が入った。
2)Cell Broadband Engine。ソニー、IBM、東芝によって開発されたCPUチップのこと。並列処理技術を導入してプロセッサーの性能を上げようと、マルチコアが主流ではない時代に考案され、プレイステーション3にも搭載された。
3)FM音源とは、周波数変調(Frequency Modulation)を応用した音色合成方式の音源で、複数の正弦波を組み合わせて音色をつくるもの。一方、PCM音源とは、パルス符号変調 (Pulse Code Modulation)技術で、デジタル録音した音を再生する方式の音源のこと。いずれも、ゲーム機やシンセサイザー、PCなどの音源に用いられてきた。

久夛良木氏はなぜソニーを選んだのか、これから何を目指すのか、などが語られるインタビュー全文は、『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2019年7月号に掲載されています。

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