『Harvard Business Review』を支える豪華執筆陣の中で、特に注目すべき著者を毎月1人ずつ、首都大学東京名誉教授である森本博行氏と編集部が厳選して、ご紹介します。彼らはいかにして現在の思考にたどり着いたのか。それを体系的に学ぶ機会としてご活用ください。2019年3月の注目著者は、ユーラシア・グループ社長のイアン・ブレマー氏です。

3年の飛び級を果たし、15歳で大学に入学

 イアン・ブレマー(Ian Arthur Bremmer)は1969年に米国ボストンで生まれ、現在49歳。世界的な政治学の研究者であり、グローバルな政治的リスクを分析し、世界の指導者や企業経営者にアドバイスするコンサルティング・ファーム、ユーラシア・グループ(Eurasia group)を創設して代表を務める。

 ブレマーは11歳のとき、ボストン湾対岸のイースト・ボストンにあるカトリックの男子校、セント・ドミニコ・サヴィオ(St. Dominic Savio)高校に入学した。その後、15歳で奨学金を受けると、ルイジアナ州ニューオリオンズにあるテューレン大学(Tulane University)に入学し、国際関係論を専攻した。ブレマーは1989年、同大学を優等な成績(magna cum laude)で卒業したのち、スタンフォード大学大学院に進学した。大学院では政治学を専攻し、1994年にPh.D.を授与された。

 ブレマーは大学院修了後、フーバー研究所、カリフォルニア大学ローレンス・リバモア国立研究所、東西研究所、コロンビア大学ハリマン研究所等の研究員、ワールド・ポリシー研究所ユーラシア研究ディレクター兼上級研究員を歴任。そして、1998年にユーラシア・グループを創設した。

 2007年には、ダボス会議のヤング・グローバル・リーダーに指名された。また、 2013年からニューヨーク大学教授として、スターン・スクール・オブ・ビジネスのリスクマネジメント(Master of Science in Risk Management)プログラム等で教鞭をとる。さらに、2014年からは『タイム』誌で海外情勢に関するコラムニスト兼客員編集者(Editor-at-Large)を務めている。

 ブレマーの研究業績を知るためには、『Harvard Business Review(ハーバード・ビジネス・レビュー)』(以下HBR)誌に掲載された論文だけでなく、その前後に出版された書籍についても理解しておく必要がある。以下、両者を合わせて紹介する。

ソビエト連邦と連邦崩壊後の共和国の研究を始める

 ブレマーは大学院進学直後の1990年、指導教授を務めたノーマン・ナイマーク(Norman Naimark)監修の下、最初の著作である、Soviet Nationalities Problems(未訳)を上梓した。ナイマークは、『民族浄化のヨーロッパ史』(刀水書房、2014年)などで著名な歴史研究者である。ブレマーの著作の中で歴史的な視点に基づく深い洞察が見られるのは、ナイマークの影響ではないか、と考えられる。

 ブレマーの博士論文、“The Politics of Ethnicity: Russians in the Ukraine.”(ウクライナにおけるロシア民族の政治的行動)に代表されるように、同氏の大学院での主な研究対象はソビエト連邦であった。同論文でブレマーは、独立後のウクライナにおける被支配者である、ロシア民族の政治的行動を考察した。

 オーストリア=ハンガリー帝国やオスマン帝国が崩壊したように、それまで支配的であった民族は、その後の政治体制では歓迎されない。ソビエト連邦崩壊後、ウクライナの隣国モルドバでは、ロシア人は事実上の独立国家である「沿ドネストル共和国」を建国したため、政治的に隔離できた。それに対してウクライナでは、同国の人口の約20%を占めるロシア人が都市を中心に居住しており、依然としてロシアから天然ガスなどのエネルギーの供給を受けていた。そのため、ウクライナにとってロシア人社会は政治的に無視することができない存在であり、ロシア人もウクライナとともに生きていかなければならなかった。

 ブレマーがソビエト・ロシア研究を始める契機となったのは、テューレン大学在学中の1986年、同氏が18歳のときに遡る。この年はウクライナのチェルノブイリで原発事故が発生した年であるが、指導教授のレイモンド・タラス(Raymond Taras)とともに、初めてソビエトを訪れた。

 タラスとはその後、Nations and Politics in the Soviet Successor State, 1993.(未訳)と、New States, New Politics: : Building the Post-Soviet Nations, 1997.(未訳)という2冊の書籍を共著で上梓している。

 前者は、1991年のソビエト連邦崩壊後、それまで連邦を構成していた15の共和国が、選挙を実施する国民国家として自立に取り組む過程に関する研究であった。後者では、その研究をさらに深めた。15の共和国の中には、イスラム教など宗教的に異なる国も含まれていた。そこで、多様な15の共和国の歴史的、民族的背景を分析し、それぞれの共和国が新たに独自の政治体制を確立する過程を考察した。

政治的リスクは
企業経営にいかなる影響を与えるのか

 ユーラシア・グループは1998年、ニューヨークのワールド・ポリシー研究所の一室から生まれた。そして2001年には、政治的リスク分析の対象国をロシアなどのユーラシア大陸からグローバルな新興国まで拡大し、“Wall Street’s political risk index(GPRI)”を発表している。

 ブレマーがHBR誌に最初に寄稿した論文は、“Managing Risk in an Unstable World,” HBR, June 2005.(邦訳「政治リスク分析はBRICs戦略の要」DHBR2006年5月号)である。ブレマーによれば、政治的リスクとは「その国の政策が経済に及ぼす衝撃」であり、一国の政治的安定性に関わる事柄のすべてである。ここでいう政治的安定性とは、たとえ動乱が起ころうとも政策を敢然と実行できる能力であり、また動乱を回避する能力を持っていることを意味する。

 政治的リスクと経済的リスクとの違いは、経済的リスクが債務を履行できるか否かであるのに対して、政治的リスクは将来的に債務を支払えるか否かの分析である。ブレマーはさらに、新興国市場とは「政治と経済が少なくとも同じくらい問題視される国」であり、新興国市場に収益の機会を求める企業や投資家にとって、政治的リスク分析は必要不可欠だ、と主張した。

 同論文のコラム“Why China Keeps Us Up at Night.”の中でブレマーは、中国の政治的リスクが長期に及ぶ可能性について言及した。その後に寄稿した、“Hedging Political Risk in China,”with Fareed Zakaria, HBR, November 2006.(未訳)では、グローバル企業がリスクヘッジしながら、中国市場に適切なポジションを取って投資を行うためには、政治的リスク分析に取り組むことが不可欠である、と提言している。

 2006年に出版された、J-Curve: A New Way to Understanding Why Nations Rise and Fall(未訳)においてブレマーは、縦軸に政治的な安定性、横軸に政治的・経済的な開放性を取り、その中に新興各国をプロットする「Jカーブ」を提示した。そこでは、初期は独裁的な体制であっても、政治的・経済的な開放性を求めるグローバリゼーションこそが、政治的リスクが軽減させて安定性が増大することを示した。

 2008年には、イェール大学のポール・ブラッケンと米国務省のデイビド・ゴードンとの編著、Managing Strategic Surprize: lessons from Risk Management & Rick Assesment(未訳)を著し、テロリズムやエネルギー危機など、多面的なリスクマネジメントの必要性を提言している。さらに、不況期の論点をまとめたHBR誌の特集内において、ブレマーは、“Inflation+Subsidies: An Explosive Mix,” HBR, December 2008.(邦訳「不況期の論点:補助金政策が新興国を危うくする」DHBR2009年6月号)を寄稿した。同論文では、リーマンショック後の世界的不況に際して、新興国の安易な補助金政策への判断ミスが政治不安を引き起こすことを警告している。

 2009年には、The Fat Tail: The Power of Political Knowledge for Strategic Investing, with Preston Keat, 2009.(未訳)を上梓した。書名にもある「ファットテール」とは、確率や統計の標準的な正規分布の形状よりも 裾野であるテール部分が太い状態を指し、クラッシュなど突然のリスクが正規分布から予測される以上の確率で起こることを意味している。同書では、2008年のリーマンショックがもたらした世界同時不況を例示して、グローバル企業の経営者が、投資の意思決定に際して直面する多面的に政治的リスクを識別し、企業が効果的に政治的リスクを管理する方法を示した。

 同年、“Country Assessments,” with Preston Keat and Ross Schaap, HBR, February 2009.(邦訳「世界30カ国の経済リスク」DHBR2009年11月号)では、世界同時不況後である2009年の世界各国の経済状況に関して、ユーラシア・グループとして、(1)GDPおよび輸出の落ち込み度から見た、不況に対する脆弱性、(2)政府の危機対応力、(3)政府の意欲、という3要素を評価した結果を紹介している。

グローバル企業は国家資本主義とどう闘うべきか

 共産主義の崩壊後、自由市場に支えられた資本主義体制の経済ダイナミズムが永続し、超多国籍企業の影響力が強まり、主権国家体制である、ウエストファリア主権体制が侵されるかに見えた。しかし、共産党による権威主義政治体制(authoritarian government)は葬られたわけではない。世界の権威主義政治体制が、グローバル市場主導の資本主義を受け入れることで国際競争力を高めて、自国民の繁栄を考えるようになった。

 政府が主導する国有企業が資本を動かし、グローバル市場を意のままに操り、さまざまな産業でリーダーシップを発揮する国家資本主義(state capitalism)の時代が到来ししつつある。たとえば中国では、国有企業がグローバル市場が生み出す価値を可能な限り国家が管理する、国家資本主義体制を敷かれるようになった。

 ブレマーは、“State Capitalism Makes a Comeback,” with Juan Pujadas, Breakthrough Ideas For 2009, HBR, February 2009.(邦訳「2009年のパワー・コンセプト:国家資本主義の再来」DHBR2009年6月号初出、2009年11月号再掲)の中で、エネルギー、通信、海運、資産管理の産業分野で、中国、サウジアラビア、イランなど諸国の国有企業による市場支配状況を検証した。

 また、国家資本主義の脅威に関する著作、The End of the Free Market: : Who Wins the War Between States and Corporations?, 2011.(邦訳『自由市場』日本経済新聞出版社、2011年)では、国家資本主義の台頭する状況を描き、国家資本主義がグローバルな自由市場にどのような脅威をもたらしているのかを論述している。

 2008年の世界同時不況は、自国経済を再生させるために、新興国は保護的グローバル化(guarded globalization)に転じ、自国の国有企業を政策的かつ資金的にサポートした。そうした中でブレマーは、“The New Rules of Globalization,” HBR, January-February 2014.(邦訳「保護主義化する世界で戦う8つのルール」DHBR2014年9月号)を寄稿した。同論文では、政府にサポートされた国有企業が、グローバルの自由市場の働きをゆがめている保護的グローバル化の状況に対して、グローバル企業の経営戦略はいかにあるべきかを論じ、8つのアプローチを提示している。

「Gゼロ」時代の勝者と敗者

 ブレマーは「Gゼロ」という概念を提唱し、注目を浴びた。「Gゼロ」とは、世界の課題を引き受ける意欲と能力を兼ね備え、グローバルリーダーシップを発揮して、世界をリードするような国家が存在しない状況であり、先行きの見えない不確実性の高い環境にあることを意味している。

 同氏は、Every Nation for itself: Winners and Losers in G-Zero World, 2011.(邦訳『「Gゼロ」後の世界』日本経済新聞出版社、2012年)の中で、米国の影響力が弱まって「Gゼロ」の世界となった場合の勝者として、安定的な地位を維持する国と、リスクにさらされる国を挙げている。そこでは、アジアが世界も最も潜在的に不安定性を抱えた地域になり、リスクにさらされる国の第一には日本が挙げられた。

 ブレマーは同書において、「Gゼロ」後のシナリオも提示した。それは、(1)米中パートナーシップによるG2体制、(2)諸国間が協調するG20体制、(3)米中が対立する冷戦2.0、(4)グローバル・リーダーシップが不在の地域的に分裂した世界、という4つである。

 同書では「Gゼロ」時代における米国についても論じているが、Superpower: Three choices for America’s Role in the World, 2015.(邦訳『スーパーパワー』日本経済新聞出版社、2015年)では、2016年の大統領選挙を前にして、米国の外交政策の在り方を3つの選択肢で論じている。

 選択肢の第1は、外交よりも自国に専念する米国(Independent America)、第2は、米国の労力や財政的な限界を認識しながらも、創意工夫によって世界への影響力を維持し、国際的地位を守る米国(Moneyball America)、そして第3は、世界に必要不可欠な存在としての超大国(Indispensable)である。ブレマーの結論は、米国国内に抱えた諸問題を踏まえて、内政重視の選択をすべき、ということであった。

 その後、2016年の大統領選挙ではドナルド・トランプが大統領に選出された。ブレマーは、Us vs Them: TheFailure of Globalism, 2018.(邦訳『対立の世紀』日本経済新聞出版社、2018年)の中で、「われわれ対彼ら」の構図がトランプを大統領にした、と指摘した。

「われわれ対彼ら」の構図は、米国だけでなく世界各国で生まれている。そのような構図がなぜ生まれたのか。ブレマーは、グローバリゼーションによる経済的不安を抱えた中間層、移民・難民の流入によって社会のアイデンティティが侵される文化的不安、犯罪に対する社会的不安、定着する格差への不安が、人々の間に境界線を敷いた「われわれ対彼ら」の構図を生み出し、グローバリゼーションがもたらした「彼ら」を排斥する排他的なポピュリズムとなった、と主張した。

金色に輝くスカイラインを求めて

 ブレマーは、ボストンとはミスティック川を隔てて隣接するマサチューセッツ州サフォーク郡チェルシーの公営住宅(housing projects)で育った。チェルシーは、ボストンとは異なりヒスパニックなどのラテン系が多く、全米でも人口密度の高い都市である。

 ブレマーのミドルネームはアーサーであるが、父のアーサーは、兵歴20年の軍曹として朝鮮戦争に従軍し、46歳で戦死した。ブレマーが4歳の出来事であった。その後、母は再婚することなく、ゆるぎない信念を持ってシングルマザーを貫き、ブレマーを育て上げた。

 富める者対貧しき者、豊かさに恵まれた者対そうでないない者、われわれ対彼ら……さまざまな解釈のできる『対立の世紀』の序章で、ブレマーは自身の生い立ちをこのように語っている。「私の生まれたマサチューセッツ州チェルシーには豊かさなど存在しなかった。ただ子供の頃住んでいた家の通りから、ボストンの緑と金色に輝くスカイラインが見えた。(中略)どうすれば、この場所からあそこへ行き着くことができるのかを知りたかった」

 冒頭で示した通り、ブレマーは通常より3年も早く人生を駆け上がった。孤高の存在であり、世間の主流である「われわれ」の反対側に常に位置し続けていたと言える。

 ブレマーは、“High School at Eleven.”[注1]の中で、幼くして入学した高校、大学での生活を回顧している。同氏が11歳で入学した高校はカトリック系だった。伝統的な落ち着いた校風であり、一般の高校で受けそうなひどい仕打ちを受けたわけではなかった。それでも、"I got billied a little, mainly in cliched ways like getting stuffed in locker and beaten up a little. But mostly, and most importantly, I just got excluded a lot.”(ロッカーに押し込まれてがたがたにされたように、ほとんど無視されていた)と述べている。

 その後の入学したテューレン大学は、全米トップにランキングされる「パーティ・スクール」である[注2]。パーティ・スクールとは、毎日のように開かれるパーティなど、大学生活を勉学より学生同士の触れあいや親密な関係を重視する校風を持つ大学を意味している。みずから“Tulane was kown as a bit of a party school with a heavy fat life.(中略)I just wasn’t invited to join anything. The fun always seemd to be happening on the other side of door.” と振り返るように、15歳で大学生になったブレマーは、ほとんどパーティーに呼ばれることはなく、楽しさはいつもドアの向こうにあった。“I didn’t get my ‘Revenge of the Nerd’ moment in college.”(『ナードの復讐』を少しも果たせなかった)[注3]とも述べているが、まさに「われわれ」の反対に位置する存在であった。

 当事者にしか理解できない早熟ゆえの苦労があることも確かだろうが、ブレマーが幼くして英知に恵まれことで、現代のグローバルの政治経済を論じるの屈指の研究者に上り詰め、世界的なコンサルティング・ファームを立ち上げた優れた起業家であることに疑問の余地はない。いまや世界中の指導者や大企業の経営者に影響を与えており、「われわれ」の中心的存在となったブレマーは、金色に輝くスカイラインに行き着いたのではないか。

[注1]High School at Eleven(https:www.linkedin.com/pulse/high-school-age-eleven-ian-bremmer)
[注2)2019 Top Party Schools in America(https://www.niche.com/colleges/search/top-party-schools/
[注3]Nerd(ナード)とは、学校で中心的な存在として華やかに脚光を浴びて活動する学生ではなく、社交性に欠けるタイプの人を指すスラング。Revenge of the Nerd(ナードの復讐)は、体育系の学生から日頃いじめを受けている学生が、コンピュータ知識を駆使して復讐を果たすカレッジ・コメディー映画。