環世界とエージェント・アーキテクチャ

 生物学に、ある特徴的なものの刺激に対して体が興奮して行動を起こすという概念がある。たとえば、カメレオンの目はアメンボを見つけやすくなっており、見つけると舌を伸ばして捕食する。生物は自己の生存に必要な特徴を抽出し、それに対して反応できるようになっており、そこから知能が生まれたという理論を生物用語で機能環と言う。

 このように生物は自分の生存に必要な情報を世界から選択的に選び、選択的に体を動かしている。ただし、それぞれの生物が自分の世界だと思っているものは、実際は世界の一部に過ぎない。それを環世界と言う。人間は人間の、カメレオンはカメレオンの、キリンはキリンの環世界を持っている。

 この理論では、環境と知能を分けて考え、知能の内部世界に思考と記憶があるとする。そして知能の内部で認識の形成、意思の決定、運動の構成が起こるという仕組みで情報がぐるぐる回ることで知能が回っていると考える(図2)。

図2

これは人工知能での「エージェント・アーキテクチャ」に相当する。エージェント・アーキテクチャは人工知能の基本モデルであり、ゲームの世界のAIとしても広く使われている。

世界としての自分、自分としての世界

 イスラム哲学では、多から1に戻る流れのことを上昇過程、1から多に戻る過程を下降過程と呼ぶ。実はこの考え方は東洋哲学も同じで、様々な哲学の共通の原理となっている。

 その流れの1つは世界の中に自分を投与して参加しようとする投与的自己(アポトーシス)であり、もう1つは世界から逃れて自分を不変的なもの、恒久的なものでありたいする恒常的自己(ホメオスタシス)だ。言い換えれば、前者は世界と一体となろうとする自己、後者は世界から離れて独立不変でありたいと思う自己だ。

 だから、人間はあるときは活動的になって世界の中に自分を解放したくなり、あるときは引きこもって自分を取り戻したいと思う。我々の中でこの2つの衝動が常にせめぎあっている。

 一方で、我々の自己は、必ずしも不変のものではなく、世界からいろんなものが流れてきて、その瞬間にポップして自己が立ち上げるという考え方がある。そして、いまだけでなく、少し前からある自分、3年前からある自分と様々な流れが重なっていまの自分ができている。自己は水の波紋のように世界から与えられた刺激によってさざめき、それが多重に重なっていくというイメージだ。

「世界と一体化した自分がある」と、世界を飲み込むような「自分として世界がある」という不変の自己の間は断絶しており、その間に我々の知能が存在している。つまり、世界としての自分という境地と、自分としての世界という2つの境地を人間はもっており、その間に理(ことわり)がある。

 意識と無意識もそうで、無意識の流れは、世界としての自分をつくる。意識の流れは自分としての世界をつくろうとする。1つは考える知能、もう1つは立ち上がる知能であり、その2つを併せ持つものが、本来の知能の完全なあり方になる。

 そしてどちらかというと、マインドフルネスは立ち上がる知能であり、世界と1つの流れになった自己から、自己としての世界を取り戻し、再び、世界と1つの流れになる運動を取り戻そうとする衝動と言える。つまり、力に満ちた自分に戻るために行うものがマインドフルネスということだ(図3)。

図3

 このように人工知能の内面を考えると、人間について考えているのか、人工知能を考えているのかわからなくなってくる。人間から離れて人工知能をつくろうとすると、逆に人間の精神の姿が見えてくることがある。その意味で、ITの最先端の人工知能と、仏教に基づいたマインドフルネスは、結びついた知識と言える。
(了)

※講演当日は、250枚以上にわたる充実したスライドが上映された。三宅陽一郎氏のご厚意により、資料すべてをこちらで公開いただいている。

2019年2月6日、東京・LIFORK大手町にて開催。

後編、藤田一照氏による講演録まとめは、明日3月1日公開予定)

※三宅陽一郎氏と藤田一照氏の対談編はこちら(前編)(後編)。