デジタル資本主義の3つのシナリオ

――利用者側から見るとは、サービスの内容で産業を分けなおすということですか。

 産業という言葉自体が、もう古いと言えるでしょう。元来は明治時代に西周がindustryの訳語として考えた造語です。産業は、何を生み出したかを対象としますが、今後は利用者にとってどう役に立つか、アズ・ア・サービスという事業形態から、利用者利益の拡大を見るほうがわかりやすいと思うのです。

 これまでは、冷蔵庫、自動車、携帯電話などの提供は、製造業として見てきました。これをアズ・ア・サービスとして分類すると、たとえば冷蔵庫は家事の負担軽減のためでハウスキーピング・アズ・ア・サービス、自動車は移動のためでモビリティ・アズ・ア・サービス、携帯電話は交流や会話のためでコミュニケーション・アズ・ア・サービス、といった具合です。こうなると従来のGDPの産業区分は用をなしません。

 産業資本主義では、労働生産性と賃金の差によって、企業や資本家は利潤を得ていました。一方、デジタル資本主義においては、データを持っているところと持っていないところに差が生じます。アマゾンやウーバーはリアルタイムのデータを持っていて、需給を可視化し、瞬時にマッチングできるところから生じた「データ差」から利潤をあげているのです。

――日本企業はそうした動きにうまく対応できていないように見えます。

 日本企業は、こうした消費起点の経済活動を、セカンドトラックとして考えていくべきです。従来のものづくりの延長線上で考えていては、行き詰まるのが必至です。これまでの成功体験を否定したり、既存の事業部門とコンフリクトが起きたりすることを覚悟して、いままでと全然違う事業体として始めなければならないでしょう。

――このようなデジタル資本主義の先にはどのような未来が待ち受けているのでしょうか。

 考えうるシナリオが3つあります。

 第1は、「純粋デジタル資本主義」とでも呼ぶべきものです。テクノロジーはさらに進化し、人間の労働を代替する世界です。アマゾンやグーグルなどの巨大プラットフォーマーが世界中の人々のデータを掌握し、管理します。ウィナー・テイクス・オールで格差は拡大し、資本主義はますます強化されます。

 一方、プラットフォーマーなどの監視網によって、民主主義が阻害され、人々が抑圧され、ジョージ・オーウェルが『1984年』で描いたようなデストピアの様相を呈するでしょう。これは、デジタルが人間を支配する未来です。

 正反対なのが、第2の「ポスト資本主義」です。あらゆるものがシェアされる、シェアリングエコノミーの世界です。これにはブロックチェーンを活用した自律分散システムが寄与し、中央の管理者は不在です。

 リフキン氏は、このシナリオを有力視しています。再生エネルギーが伸び、初期投資を除けば、限界費用ゼロでまかなうことができ、その需給もIoTとブロックチェーンを結びつけたスマートグリッドで、電力会社を介さず、最適に制御されます。シェアリングエコノミーでは、すべてブロックチェーンで運用することで、中央集権的な管理者が要らなくなります。会社組織もモジュール化され、DAE(Distributed Autonomous Enterprise=自律分散型企業)の形に収斂するでしょう。財やサービスの価値が無料に近づき、利潤というものがなくなるので、資本主義は徐々に崩壊していくと想定されています。

 この2つの極端な姿に対して、中間的な第3の道が、「市民資本主義」の世界です。ブロックチェーンのしくみを利用したプラットフォームがいくつかのカテゴリーごとにできて、シェアリングエコノミーを形成します。それは、公共財を管理する「コモンズ」のようなもので、個人情報データの管理も含む「デジタルコモンズ」です。人々はそのプラットフォームに平等に自由にアクセスして、便益を得ることができますが、個人データは、たとえば「EU一般データ保護規則」(GDPR)などのような規制で保護し、自分で管理できるため、巨大なプラットフォーマーのような第三者が専有することはありません。その点は市民主権であると言えます。

――どのシナリオが実現しそうですか。

 第3のシナリオの市民資本主義になるのではないかと考えています。その根拠はいくつかあります。まず、第1の純粋デジタル資本主義の場合、巨大プラットフォーマーがデータを牛耳ることに大きな弊害があることは容易に想像できるでしょう。従来の産業では、寡占化が進むと消費者が不利益を被るので、独占禁止法のような規制を設けますが、ネットワークに関連するビジネスは、参加者が多いほど消費者が利益を得る「ネットワークの外部性」があるため、従来の寡占防止の理屈は使えません。

 しかし、『アマゾノミクス』を著した、アマゾンの元チーフ・サイエンティストのアンドレアス・ワイガンド氏は、フェイスブックが囲い込んでいるデータから、人の尊厳や人権や思想の自由を毀損するような予測結果が導き出されることを説いて、ビッグデータというソーシャルコモンズ(社会的共有財)を企業が支配することの不適切さを指摘しています。

 たとえば、「いいね!」のデータから個人のIQ、政治信条、性的指向などが予測できる、あるいはSNSのやりとりなどからある特定の人物同士の交際を予測する、選挙でかつて投票した人の写真と名前が含まれた広告メッセージを送ることで投票行動に影響を与えるなどです。このように、ビッグデータについては、従来の産業規制とは違った概念で、個人情報保護の観点からも、適切な規制や監督のもとでの管理、運営がなされるべきでしょう。

 折しも、フェイスブックの情報漏洩を受けて、欧州では、2018年5月から個人情報の取り扱いに対する厳しい規制、GDPRが導入されました。プラットフォーマーに対する規制案も検討されており、日本でも同様な方向での議論が進むのではないかと思っています。

 また、個人情報ではなく、純粋なビジネスの観点でも、巨大なプラットフォームが総取りをして、完全に世界を掌握するのかというと、それに反する動きも当然出てくると思われます。アマゾンなどのプラットフォームを使うことで手数料を取られることを嫌って、自分たちの独自のプラットフォームをつくるなど、「脱アマゾン」の動きも見られます。

 第2の、すべてが完全な自律分散型のシェアリングエコノミーに移行するというシナリオも、実現は難しいと思われます。エネルギーなどは再利用が可能になれば限界費用はゼロに近づきますが、このように資本コストがかからないものは、限定的ではないでしょうか。技術面での課題や人間の性質などを考慮すると、思考実験の域にあると言えます。

 少なくとも当面は、第3のシナリオのように、第1と第2の混合型の経済が健全な形で発展していくと思われます。

 したがって、そのデジタル資本主義にふさわしい形で、最初に申し上げたような、消費者起点、支出の側から見た産業のあり方を、日本でももっと議論し、各企業がそうした認識のもとに、新しい事業をつくっていかなければならないと思います。保守的な志向の企業が多い日本では、変化対応のスピードは往々にして遅いものです。しかし、ある閾値を超えると、社会全体が一気に変わるというのも日本です。見方を変えれば、いち早く変革した企業が、より大きな収益を得られると言えます。経営者の思考転換が今、求められています。