「欠乏」を見つけられなかった
日本企業

 イシューの発見と解決につながるイノベーションを起こすためには、大きく2つの要素が必要になる。ヨーゼフ・シュンペーターが定義した「新結合」の発想と、それをつなげる実際の活動だ。オープンイノベーションを企業が実践する動機を端的に言えば、イノベーションを発生させるリソースが社内に不足しており、社外にその「出会い」を求める必要があるからだろう。新結合と活動を一挙に起こそうというわけだが、実は多くの企業において、ある観点の検証が足りていない。

 それは「自分たちに欠乏している能力の見つけ方」である。

 例え話を1つしよう。あなたは原始時代に荒野を1人で生きている。すると、自分の足の速さも強みもわからない。もし、5人のチームになれれば、相対的に「自分の優れている能力」や「欠けている能力」にも気付けるようになる。一方で、あなたのいるチームにとって「不足している部分」も、他のチームと比べることで浮き上がってくる。つまり、欠乏している能力や不足しているリソースというのは、外部との比較によって発見できるのだ。この「欠乏」をオープンイノベーションによって補い合うことで、お互いにとってメリットのある取り組みが成立していく……というのが、全ての前提となるのである。

 欠乏を見つけられなかった痛手を、日本企業はすでに知っているはずだ。2000年代前半、日本の大企業は世界のIT革命から取り残され始め、イノベーションと活力を失っていく。しかし、多くの日本企業の重役からは「すでに優秀な人材は社内にいる。素晴らしいプロダクトも生み出せるはずだ」と、私自身も何度となく聞かされていた。

 時は、アップルの絶頂期が近づきつつあった。ソニーが誇っていた携帯型音楽プレーヤーの市場に、スティーブ・ジョブズはiPod(アイポッド)をぶつける。音楽の権利を持っているレコード会社、ダウンロードと管理を行うiTunesというソフトウエア、独自の著作権管理システムがひも付く「垂直統合」は一気に市場を席巻。日本企業にも「垂直統合モデル」への夢を見させた。それは同時に、自社あるいは自社グループへの「閉じた」モデルへの志向を生み、前述のような自社内の才能や技術への過信も深めていった。

 特にインターネットにまつわるオープンな技術やUX(顧客体験)デザインを、多くの日本のエンジニアや経営者は重要視せず、社内への導入に失敗した。ある大手企業から聞いた「たかがWebですから」という言葉も、私の耳には残っている。現在、「たかが」と言われたWebテクノロジーが、この20年間のイノベーションにおいて果たした役割を否定できる人はいないだろう。グーグル、フェイスブック、あるいは時価総額として世界トップに輝いたアップル。あらゆる分野でのイノベーション、コードやリポジトリの管理、クラウドベースのワークスタイルなども含めれば、この20年間でWebテクノロジーと「無関係な」急成長企業を見つけることは、ほとんど不可能といえるほどだ。

 2000年代前半における日本企業の多くに、Webの知見を持つエンジニアやデザイナー、あるいはその未来を感じることができる人材は、明らかに欠乏していた。そして、その欠乏がどれだけ致命的な遅れをもたらすかを把握していなかった。後になってみると理解はできるが、多くの場合で「何が不足しているか」は、その組織だけを見ていると把握しづらいものである。現在、日本企業の経営層がオープンイノベーションの必要性を把握し、「自前主義」からかじを切りつつある背景には、この致命的な遅れへの反動もあるといえるだろう。