私が暮らす英国ロンドンは、さまざまな極端派の中心地だ。

 街に人間味を、と市長の肝いりで設置された快適な自転車専用レーンは、野心の集まるロンドンで「自転車スーパーハイウェイ」へと変貌している。サイクリングウェアに身を包んだシティの銀行家たちが、前日の通勤タイムの記録を破ろうと疾走しているのだ。

 もちろん、iPhoneを腕に装着し、科学研究室さながらのメトリクスを用いて、身体機能を数値化する熱の入れようだ。そのデータには、近年ますます極端な注目が集まる、睡眠も含まれる。最近出版された本でも、睡眠は必要不可欠だとされている。健康、精神の安定、寿命……生活のすべてにおいて。夜更かしは自己責任で、というわけだ。

 職場では、極端なワーカホリックぶりが勲章となっている。エグゼクティブたちは、ワーカホリック度を競い合う。つい先週も、飛行機で私の後ろに座った2人のCEOが、1年間に何日飛行機に乗っているか比較し合っていた(165日と214日だった)。

 最高所得層に属する人の労働時間は、誰よりも長い。過去数世紀の間、貧困層が働き富裕層は額に汗して働くことなどなかったのが、逆転したのである。今日、貧しい人の多くは職を持たず、裕福な人ほどあくせく働いている。企業はインターンに対して、残業手当や休暇を放棄するという契約書に署名をさせ、違法であるはずの過剰労働を合法化している。

 どこへ目を向けても、何をするにも、パフォーマンスへの要求は極端さを強め、しばしば仕事の進捗管理アプリや競争心旺盛な同僚(一見すると友人、というケースもある)の監視下に置かれる。どのような形態であれ「ほどほど」を心がけることは素人と見られ、何かを習得するのに必要とされる「1万時間」を費やそうとしない怠け者の習慣だと見なされる。

 私はもうずいぶんと前に、「ほどほど」を突き詰めようと決断した。何かをする際には、「何もしない」と「頑張りすぎ」という両極の中間点を見出して臨むようにしている。人生のさまざまな課題において、ほどほどの成果を上げたいと思ってはいるが、それよりむしろ、人生のあらゆる側面で良好なバランスを取ることを最重要課題としている。

 私たちの多くは、生活にバランスがほしいと口をそろえるが、その理想の達成に向けた熱意が不十分である。程度の面でも、時間の面でも、1つの側面に偏りすぎているのだ。バランスを取るというのは、1本足で立ち続けるようなものである。常に感覚に気を配り、小さな変化に対応するための調節が必要である。