プロのアスリートの多くは、そして人生のすべてを仕事に捧げる機会に恵まれた人は、2度死ぬ。そう言ったのは、イニエスタと同じようにサッカー界のレジェンドと呼ばれる、ジャンルイジ・ブッフォンだ。最初の死は、子どもの頃からすべてをかけて挑戦してきたゲームから引退するときだ。いずれレジェンドと呼ばれることになるとしても、最初の「死」を乗り越えなければならない。

 イニエスタの送別はよく考えられていて、感動に満ちていた。ラストゲームが始まった瞬間から9万人の観客が彼の名前を連呼し、試合終了のホイッスルが鳴ると、チームメイトとファンは気が遠くなるほど長いセレモニーを開催した。

 お祭り騒ぎが終わると、バルサは、誰もいなくなったスタジアムにイニエスタが一人残ることを許可した。数々の勝利や敗北を味わったピッチのセンターサークルに座り、イニエスタはこれまでの道のりを振り返った。彼がスタジアムを後にしたのは、午前1時のことだった。

 それは、極めて珍しく、また有意義な幕引きの光景だった。キャリアの区切りはたいていあわただしく、これといって意味のない場所で迎える(またはやり過ごす)。だからこそ、多くの人々がイニエスタの姿に心揺さぶられたのだろう。2つの人生のはざまで、じっと立ち止まり、その瞬間を生きているイニエスタの姿に。

 この空間は学術的に「リミナリティ」と呼ばれている。ラテン語で入り口という意味のlimenに由来し、境界の状況や位置を表す言葉だ。

 どんな業種であれ、キャリアの境目の「仮死状態」にあるときには、誰もが途方に暮れたり、行き詰りを感じたりする。そんなとき、私たちを導く儀式や、受け入れる空間があれば、それは仮死状態ではなく、古い自分から新しい自分への生まれ変わりを意味する重要な通過点となるのである。

 ハーミニア・イバーラとオティリア・オボダルが執筆した現代のキャリアにおけるリミナリティに関する論文によると、今日の職場では、リミナリティはもはや一過性ではなく、慢性的な事象になりつつあるという。私たちは常に新しいキャリアを求めて動いているからだ。少なくとも、潜在的には。

 職場に自分の居場所があると感じながら孤独と向き合うことなど、最近ではなかなかできない。自分の居場所を探しながら孤独を感じることのほうがよくあることだし、はるかに楽だからだ。私たちは誰もが、最終的には、そして、その過程でも一人であると、イニエスタの写真は語る。ただし、私たちはたいてい、イニエスタほどその瞬間を生きていない。

 ゲームの最中に生きがいを感じ、自分の居場所を持つことは簡単だ。だが、ゲームが終わった後も同じくらい生きいきと、自分の居場所を確認できないのであれば、それはあなたがアスリートではなく、野心や欲望、あるいは、その両方に支配された歩兵でしかないということを物語っている。イニエスタの写真は、それを思い出させてくれた。だからこそ私たちは、静寂と沈黙と悲しみの中で過ごす儀式や空間がほとんどない組織では、人として何かが欠けていると感じずにいられないのだ。

 職場では、プロジェクトや任期の終わりを締めくくる儀式や場所がないことが多い。私たちはサッカー選手と違い、自分の仕事を振り返って「試合中の苦しみ」を口にすることはない。大事にするのは喜びや満足、熱意といった前向きな感情のみだ。あるいは、前進する力になるのであれば、不満や怒りまでをも称賛する。

 仕事への愛は「与えられた仕事を愛し、愛する仕事をする」という側面だけが注目され、愛しているはずの仕事に打ちのめされたときの苦しい時間を振り返ろうともしない。情熱は、パフォーマンスに注ぎ、いつまでもゲームが終わらないことを願い続ける。