『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』では毎月、さまざまな特集を実施しています。ここでは、最新号への理解をさらに深めていただけるよう、特集テーマに関連する過去の論文をご紹介します。

 2018年6月号の特集は「職場の孤独:企業に広がる“病”にどう対処するか」と題して、孤独というテーマについて議論を深める。

 いま、従業員が職場で孤独に陥ることが、企業の新たな課題として認識され始めている。孤独は心の健康を害するだけでなく、体の健康にも甚大な悪影響をもたらすため、従業員自身のパフォーマンスはもちろん、組織のそれを大きく低下させる要因なのだ。この見過ごせない課題に対して、企業はどう向き合い、何をすべきなのだろうか。

 本特集では、最新の知見を交えながら、孤独が個人と組織にいかなる問題を引き起こすかを明らかにしたうえで、その対処法までを紹介する。

 前米国連邦政府公衆衛生局長官のビベック・マーシーによる「『職場の孤独』という伝染病」では、孤独がなぜ問題かを解き明かす。ある調査では、米国の成人の4割が孤独を感じると述べている。孤独は心疾患、認知症、鬱病、不安神経症のリスクを高め、人々の創造力を狭め、推論や意思決定といった職務遂行機能を損ない、仕事のパフォーマンスを低下させる。即刻この状況に対して対策を講じなければならない。そのためには、私たちが多くの時間を過ごす家庭、学校、職場などの関与が必要である。なかでも企業は、社会的レベルで変革を推進する力があり、従業員、パートナー、顧客の間のつながりを強めるだけでなく、イノベーション・ハブとしての役目を果たすことで、他の組織にも孤独への対応を促すことができる。

『ハーバード・ビジネス・レビュー』シニアエディターのスコット・ベリナートによる「『つながっていたい』気持ちは人間の本能である」では、つながりの大切さを検証する。さまざまな研究から、孤独は個人にも組織にも悪影響があることがわかっている。孤独は人の心身を蝕み、それは組織の生産性や創造性を損なうからだ。しかし、孤独の解消は意外に簡単で、周りの弱いつながりの人(コーヒーショップの店員や、たまたま電車で隣り合わせになった人など)との交流でも、思いがけないメリットがあるという。

 スラック・テクノロジーズCEOのスチュワート・バターフィールドによる「テクノロジーは絆を深めるか」では、孤独とテクノロジーの関係を解き明かす。現代のオフィスでは、多くの人がコンピュータ画面に向かい、一昔前よりも会話はぐっと減っている。こうした環境で、同じ職場の人々とつながっているといえるのか。テクノロジーは職場の孤独にどのように作用しているのか。HBR誌シニアエディターのローラ・アミコが、スラック・テクノロジーズの創業者、スチュワート・バターフィールドに聞いた。

 シカゴ大学ティファニー・アンド・マーガレット・ブレイク殊勲教授のジョン T.カシオポと同大学精神医学・行動神経科学助教のステファニー・カシオポによる「心の筋肉を鍛えるエクササイズ」では、米国陸軍での孤独に関する研究結果が示された。筆者らの研究によると、孤独の負の連鎖は反転可能であった。簡単な訓練により、兵士たちの孤独感は軽減し、ウェルビーイングが増進したのである。本稿では、その知見を職場で応用する方法について論じる。

 ノースウェスタン大学ケロッグスクール・オブ・マネジメント准教授のアダム・ウェイツによる「社内交流イベントの負の効果」では、適切なつながり方を論じる。職場でのつながりの希薄化を懸念して、従業員同士が交流できる場を設ける企業が増えている。しかし、強制的な交流の場は、えてして人が基本的に持っている心理的な傾向のために、うまくいかない場合が多い。本稿では、その心理的な傾向について述べたうえで、仕事における結び付きを強めたいと考える企業が、取るべき施策について考える。

 予防医学者の石川善樹氏による「職場の孤独への対処法:ウェルビーイングを追求する」では、孤独への対処法が示された。組織はいかにして、従業員の孤独と向き合うべきなのか。そのカギを握るのが「ウェルビーイング」(well-being)である。本稿では、従業員の孤独を解消し、活きいきと働くうえで不可欠なウェルビーイングに着目し、特に日本企業がこれを追求するために、従業員、マネジャー、経営者それぞれの立場で何をすべきかを考察する。

 曹洞宗僧侶の藤田一照氏へのインタビュー「人は生まれながらにつながり、孤独でもある」では、仏教の視点、またグーグルやフェイスブックなど米国の先進企業で坐禅を指導してきた藤田氏の豊富な経験をもとに、孤独との向き合い方が語られる。孤独から逃げるために表面的なつながりを求めるのは、他人を利用する行為であり、それは孤独感を増す要因にしかならない。そうではなく、まず、人は生まれながらにしてつながっており、同時に孤独でもあるという事実と対峙することが始まりだと藤田氏は言う。