やりたいこと vs. 現実にやっていること

 筆者が一緒に働いているリーダーたちはよく、こう口にする。「チームメンバーへのメンタリングとコーチングは重要だと考えています。リーダーとして私にできる最も重要なことは、チームメンバーをサポートし、彼らの成長を促すことです。私はそこに自分の存在する意義を見出し、仕事で達成感を得られるのです」

 しかし、話していくうちに、リーダーたちの実際の毎日は、理想とかけ離れていることがわかってくる。「メールとトラブルの火消しに追われてしまいます。チームのためにコーチングプランを立てて新年度に臨むのですが、実際には、さまざまな雑事に紛れて後回しになってしまいます。メンバー1人ひとりと個別に話し合う時間も思うように取れず、実際に話す内容も、木を見るばかりで森の話をすることはなかなかできません」

 コーチングとメンタリングがいくら大切だと思っていたとしても、あなた自身の行動と経験がそうした価値を反映したものでなければ、期待するような効果を上げることはできない。ジェームスが書いたように、あなたの経験は、自分が注意を向けるものによって成り立っているのだから。そして、その経験が、あなたの人生になる。

 だから、あなたの注意力が重要事項からいつもそれて、メールや会議や火消しに明け暮れていたら、あっという間に数週間はおろか、数ヵ月が過ぎ、まったく意図していなかった経験ばかりの人生になってしまうだろう。

 では、私たちはなぜ、自分の望む経験ができず、希望している人生を生きることができないのだろうか。望んでいる自分と、実際の時間の過ごし方に、こうした深い溝があるのはなぜなのか。

 ジェームスがすでに19世紀にこの問題について考えていたのだから、人が自分の目標や価値と、気を散らす事柄とのはざまで苦闘するのは、いまに始まったことではない。しかも、言うまでもなく、現代では気を散らす要因が1890年代よりもはるかに多く存在する。

 ジェームスが『心理學の根本問題』を出版した頃、電話はまだ珍しいものだった。いまでは、インターネットに接続できる電話やデバイスがいつも身の回りにあり、ジェームスが想像さえしなかった大量の情報やメッセージがあふれている。私たちの注意力を引きつけようと狙っている要因が、大幅に増えているのだ。

 ここで、先ほどのメンタリングとコーチングの事例に立ち戻ってみよう。毎朝、今日こそチームの能力向上に集中しようと考えて仕事を始めても、差し迫った仕事が多すぎて、朝の計画がもろくも崩れ去ってしまうことが多い。

 こうした忙しすぎる仕事環境では、成り行き任せにしていては、最も意義深い目的を達成することは難しい。ただ運に任せるだけではいけないのだ。多忙な環境下では、日々、何に注意を払うかについて、次々と選択を迫られる。そして、その選択によってあなたの経験は形つくられるのである。