2人の合計から、2人の相乗効果へ

 共働き夫婦は、いまや一般的である。カナダと英国では、夫婦の3分の2以上、米国では60%の夫婦が共働きだ。互いが相手のキャリア上の最も重要な資産である、という認識が浸透しつつある。

 配偶者が働いていれば、解雇などのリスクを軽減できるだけでなく、夢への挑戦を可能にするトランポリンの役目も果たしてくれる。小説の執筆、非営利団体やスタートアップの立ち上げ、テレビドラマの脚本執筆など何であれ、30代でも60代でも、挑戦を可能にしてくれるのだ。

 これはまったく新しい、喜ばしい可能性を秘めた状況である。かつて、稼ぎ手が家族に1人であり、金銭的重圧とその精神的負担が往々にして男性の肩にかかっていた時代には、できなかったことだ。また、今日増え続けている、性別による役割を単に引っくり返しただけで、相変わらず同じモデルに執着している夫婦でも、可能ではない。1人親(多くはシングルマザー)の世帯でも同様だ。このような状態では、柔軟なやり方がほとんどできず、経済の変動が激しさを増す時代において、安定もおぼつかない。

 だが、対等な関係が前提とされる時代にあっても、非常に多くの共働き夫婦が、長期的で互恵的なメリットに向けて協力するよりも、結局は短期的なトレードオフをめぐって争うようになる。長い目でやっていくのではなく、目の前の現実に基づいて交渉してしまう。つまり、どちらのほうが収入が多いか、海外の仕事があるか、あるいは子どもが乳児かどうか、などに基づいて決定を下すのだ。保育費が片方の親の(たいていは母親の)収入を上回るという理由で、そちらが家にいて子どもの世話をするという決断を下している夫婦が、どれだけ多いことだろう。

 彼らの計算からは、漏れている要素がある。仕事を辞める親のキャリアに生じる影響、潜在的な生涯収入(離職により失われる収入は最大で100万ドルにもなりうる)、夫婦間で役割の交換や共有をする機会、などである。

 働き方は、30年間の短距離走から50年間のマラソンのように変容している。これにしたがい夫婦のキャリアも、もっと長い時間枠で考えてもよいはずだ。だが人々は、30代で下した決断によって、その後、数十年の職業上の可能性に蓋をしていることがあまりに多い。

 バトンを配偶者と渡し合うことができ、それでもレースで立派にゴールできるとわかっているなら、どれほど心強いことだろう。そうなると、たとえば育児に専念する親が、その後の人生で起業家になることが増えるかもしれない。そして、大物経営者だったパートナーは引退し、各地を飛び回るようになった配偶者のために、喜んでカバン持ちとなるかもしれない。