神経科学によれば、より長時間働いてもらう、優れたレポートを書いてもらうなど、人の行動を動機づけようとする場合は、罰よりも褒美のほうが効果的な場合がある。逆に、たとえば社外秘の情報を漏らさない、会社のリソースを私用に使わないなど、特定の行動を阻止したい場合に効果的なのは罰のほうだ。その理由は、私たちが暮らす世界の特質に関係している。

 日々の生活のなかで、チェリー・パイや恋人、昇進など、何らかの褒美を手に入れたいと思ったら、たいてい行動すること、働きかけることが必要になる。したがって脳は、褒美を得る最善の策は行動を起こすことだ、という環境に適応するよう進化してきた。何かよいことが起きると期待するとき、脳は「ゴー」サインを出すのである。このサインは、中脳の奥深くにあるドーパミン作動性ニューロンから発せられ、行動をつかさどる運動皮質へと伝わっていく。

 それに対し、毒物や水深の深い場所、信用できない人間など、悪いことを避けたいときは、何もせず、何の働きかけもしないほうがよい場合が多い。だから脳は、傷つきたくない場合は何の行動も起こさないことが(いつもではないが)最善であるという環境に適応するよう進化してきた。よくないことを予想すると、脳が「行くな」というサインを出すのである。このサインは、やはり中脳から発せられて大脳皮質へと伝わっていくが、「ゴー」サインとは異なり、行動を抑制する。完全に凍りついたようになってしまうことさえある(本当の危険がすぐそこに迫っている場合でさえ、「闘争・逃走」反応が起こる前に、この「凍結」反応が起こる場合が多い。車のヘッドライトに突然照らされた鹿のように)。

 この非対称的な脳の特質は、医療スタッフに手を洗うことを動機づけたい場合に、自分や他人が病気になる危険性よりも、ポジティブなフィードバックのほうが効果的だった理由の1つである。この他にも、社会的要因など、筆者が研究と著書の執筆を通じて見出した理由がいくつか存在する。

 人間は、褒美が手に入りそうだと思うと行動を起こすようにできている。それを示す研究は他にもある。

 神経科学者のマルク・ギタール=マシップが主導し、筆者らも協力した実験では、被験者に対して「ボタンを押すと(すなわち行動すると)1ドル差し上げます(褒美が手に入る予想)」と指示した場合のほうが、「ボタンを押すと1ドル失う(罰を受ける予想)のを回避できます」と指示した場合より、被験者がボタンを押すタイミングが早かった。それに対し、「ボタンを押さないでいれば(行動しなければ)1ドル失わずに済みます」と指示したときのほうが、「押さないでいれば1ドル差し上げます」と指示したときよりも、被験者の成績がよかった。最後の指示の場合、被験者が反射的にボタンを押してしまうこともあった。

 このような基礎研究を現実世界の状況に短絡的に当てはめて考えてはならないが、行動を動機づけようとする場合、最も生産性が高かった従業員を毎週会社のウェブサイトで発表するなど、ポジティブな期待を持ってもらうほうが、「パフォーマンスが悪いと降格や減給になりますよ」といった脅しよりも効果的だと思われる。

 恐れや不安は、行動を起こして改善することよりも、離脱やあきらめにつながりやすい。複数の研究によれば、運動や健康的な食事に対して少額の金銭的褒美を与えるほうが、肥満や病気になりますよと警告するよりも効果がある。この結果も上記の考察と一致する。

 警告の効果が限定的である場合が多いのには、もう1つ別の理由もある。筆者らの研究によれば、「これまで考えられてきたよりも肥満になる可能性は低い」と知らされるなどのポジティブな情報と、「肥満になる可能性が高い」といったネガティブな情報を比べると、人間の脳はポジティブな情報をより効率的に処理できるのだ。実際人間は、ネガティブな情報は自分と無関係だと想定し、ポジティブな情報は自分に関係が深いと考えて、楽観的な見通しを持つことが少なくない。

 私たちは、誰かが最善ではない決定を行うのを目にすると、頭のなかで無意識に早送りを行い、その人が失敗するのを思い描いて、それをするとひどいことになるよと警告したりする。しかし、これまで説明した研究を考慮すると、私たちは人を脅して行動を起こさせようとする癖を、意識的に克服する必要がある。その代わりに、目標を達成したときに手に入る褒美に目を向けさせるべきなのである。


HBR.ORG原文 What Motivates Employees More: Rewards or Punishments? September 26, 2017.

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ターリ・シャーロット(Tali Sharot)
ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン認知神経科学の准教授。アフェクティブ・ブレイン・ラボのディレクターであり、作家。著書に『脳は楽観的に考える』、The Influential Mind(未訳)など。