こうしたグループが、グループ内のメンバーに支持されていなかったわけではない。

 たとえば、主要企業はほぼすべて、女性のネットワークグループを設置し、女性のために女性が運営している。このネットワークに所属する多くの女性は、その活動を大変気に入っている。女性同士で情報交換を楽しみ、男性優位の企業文化に対処する戦略を共有する(ただし、懐疑的な男性に言わせれば「ワイン・アンド・グチ」会合ということになる)。また一流法律事務所に勤める女性は、この種のグループは「私自身でいられる唯一の場所」とさえ言っていた。

 白人男性の多くも、ダイバーシティへの取り組みとしてこのアプローチを好んできた。各種ネットワークグループを資金面で支援するか、こうしたグループを設立すれば、「それなりのことをしている」という心地よい高揚感が得られるからだ。

 しかし現実には、こうしたネットワークのほとんどが、十分な資金援助を受けてこなかった。グループのリーダーたちはたいてい、空き時間を利用して、こうしたグループ関連の仕事をこなしてきた。しかも、グループをうまく運営することで知られるようになったからといって、社内で経営に関する重要な地位に抜擢されるということもなかった。 

 ここ数十年の間、こうした取り組みは、進展しない現状に対する都合のよい口実にされてきた。グループがいままで存続してきたおかげで、「イングループ」の男性たちは「女性(または有色の人々、あるいはLGBTQの従業員)を支援している」と前置きしてから、「最上層部での抜擢が少ないのは、当人の意思かスキル、あるいは野心が足りないせいだ」と言い訳できる。

 結局、デロイトが正しく指摘するように、こうしたネットワークが人を人為的なサブグループに分け(黒人のレズビアンはどのグループに加入すればいいのか)、権力と影響力を持つネットワークから隔ててしまう。しかも後者のネットワークこそ、リーダーたちが昇進候補を見出して、抜擢する重要な場所なのだ。

 米国の人口、および企業の人材プールがいっそう多様になるなか、「ダイバーシティ」の意味も変わりつつある。少数派と見なされてきたグループすべてを合計すると、かつてないものがそこに登場する。それは「多数派」だ。

 こうした状況において、1970年には進歩的だったアイデアが、いまはとりわけ後進的に見えてくる。なぜ、アウトグループに同化せよと命じるだけで、イングループに働きかけ方を教えないのか