AIは斬新さと共感を
掛け合わせられない

 特化型AIは、いま私たちがAIと言って思い浮かべることのできる、アルファ碁や、Siriや、いわゆる投資アドバイザーなどが典型ですね。

 特化型AIの場合は、人間の仕事のうちの一部や仕事のなかの部分的なタスクを補完的に行います。たとえば、運転士、コールセンター、旅行代理店、事務の仕事などです。これによって仕事を失い、失業する人が出てきます。

 このように技術革新のために結果的に人間が仕事を失うことを技術的失業といいます。今までにも何度もそういうターニングポイントはあり、そのたびに人は機械にはできない別の仕事に移っていきました。これを労働移動といいます。

 これに対して、汎用AIは人間とだいたい同じように考え、意志決定することができます。それゆえ、平均的な労働者そのものと代替可能なのです。最悪のケースでは、2045年頃には全人口の1割くらいの人が、かろうじて、芸術活動など「クリエイティブ」な仕事、企業経営など「マネジメント」的な仕事、整体師や接客係など「ホスピタリティ」の分野で能力を発揮できるくらいで、あとはすべて汎用AIが仕事をするようになるでしょう。

 人間の仕事がAIに奪われる時代が来るのですね。先生は来るべき大失業時代のために、政府が全国民に一定のお金を支給する「ベーシック・インカム(BI)」の制度が有効であると提唱されています。

 詳しくは『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』、『ヘリコプターマネー』で述べています。後者では民間銀行が貨幣を創造する権限を取り上げて、中央銀行に貨幣発行の権限を集中させ、そこから得られる貨幣発行益のすべてを国民に還元する政策について書きました。その貨幣発行益を国民に配当するという方法で、BIの財源とすることもできます。

 いずれにせよ、AIの進化は止められず、人間の仕事がなくなるのは必至なので、早くからその事態を見据えて少額から、あるいは小規模な地域だけでも実験的にBIを導入していくなど、セーフティーネットの整備が急務だと考えます。

 同時に、「AIは人間がしたくないことだけをしてくれる」などとAIと共生するバラ色の未来を思い描いたり、その脅威の前に思考停止したりするのではなく、AIの研究にきちんと投資して、AIについて正しく知り、未来に備えることがもっとも大切なことです。

 いつかは人間と同じように考え、感じられるAIができるとお思いですか。

 それには、やはり人間とは何かを問わなければならないと思います。もっというと、人間の意識とは何か。主観とは何かという哲学的な話になります。新著の『人工超知能』も、そのことを掘り下げる糸口として書いたつもりです。

 たとえば、AIには人間と同じような形で芸術作品を生み出すことは、現段階の延長ではできないと思っています。

 芸術上の不朽の名作というようなものは、私たちにとって斬新なものであると同時に、私たちがすばらしいと思える、ある種の共感を呼び起こすものではないでしょうか。乱暴に言ってしまえば、「斬新×共感」をすぐれた芸術の一例として定義できるでしょう。

 AIが学習の結果、さまざまな芸術のパターンを知り得たとしても、それはデータから教えられたものや、すでに表現されて世にあるものを参照しているにすぎません。もちろん、そうした要素の断片を組み合わせて斬新なものを提示することはできるでしょう。しかし、それを人間の感覚に照らして、芸術的だとか、これはすばらしいという共感を呼び起こせるのかどうかをAIは確認する術をもちません。なぜなら、芸術的かどうか「感じる」ことができないからです。

 あるいは、ビッグデータの統計処理から人間の共感を呼び起こすものを提示することはできるでしょう。しかし、それはすでにあるものの二番煎じであって、斬新なものではないのです。

 全脳アーキテクチャのような方法で人間の脳を再現しようと試みたとしても、人間が自分自身すらまだ気づかない潜在的な感性や感覚をまるまるコピーできる訳ではありません。その点が全脳エミュレーションとは大きく異なるのです。

 人間にはさまざまな欲望があり、それが生命活動や表現に結びついています。ときとして、その欲望には、死への衝動など、生命の維持や種の保存という観点からは不合理なものも多分に含まれています。

 また、脳には夢を見るという不可解な機能もあるし、鬱や統合失調症といった疾患を引き起こす可能性もあります。それらは、脳の必ずしもプラスの面ではないにもかかわらず、すぐれた芸術的創作のトリガーになることもあります。そういった不可解な機能や疾患を設計主義的に実装できるのかどうか。あるいは、実装すべきなのかどうか。

 ほかにも、身体を持つことによって知りうる感覚、身体知というものはAIにどうやって組み込むのか。全脳アーキテクチャ型の設計主義では、それらの実装や再現に限界があると思います。