最初の実験では、シカゴの科学産業博物館を訪れた、さまざまな職業の成人181人に2種類の活動を行なうよう依頼した。1つは「フィクスト・レイバー(Fixed Labor)」と呼ばれる一連の面倒な認知テスト、もう1つは「マジック・メーカー(Magic Maker)」という名の、音楽をつくったり聞き取ったりするiPad用の楽しいゲームである。

 私たちは参加者をランダムに2グループに分け、一方には「フィクスト・レイバー」を終えてから「マジック・メーカー」で遊んでもらった。他方には逆の順序、つまり、まず楽しいゲームをやってから面倒な作業をしてもらった。参加者はゲームで遊ぶ前に、楽しさの度合いを−5から+5までの評価尺度で予想する。それから、遊んだ後にもう一度、ゲームが実際にどのくらい楽しかったかを評価した。

 結果はどうだったか。参加者たちは、活動の順序によって楽しさの度合いに大きな違いが出ると予想していた。特に、「先に遊ぶ」グループの参加者は「後で遊ぶ」グループの参加者よりも、予想した楽しさの評価がかなり低かった。しかし結果的には、順序による影響はまったく見られなかった。実際の楽しさの評価は、どちらの条件でも等しく高かったのだ。先に遊んだグループも十分に楽しんでいたのである。

 次の実験でも同じような結果となった。研究室内にマッサージチェアと足湯を用意して「にわかスパ」をつくり、259人の忙しいシカゴ大学生を招待した。学生はストレスフルな中間テスト期間の直後の週か、直前の週を選んでスパに来ることができる(結果として直前と直後の学生数はほぼ同じ、年齢・性別なども同様であった)。スパに来る前に、楽しさの程度を予測してもらい、来た後にも評価してもらった。

 テスト前にスパに来た学生は、中間テストが気になってスパ体験の楽しさが軽減するだろうと予想していたが、実際の楽しさの評価は、テスト後にスパに来た学生と変わらないという結果が出た。ここでも、直感は間違いだったのである。

 人はなぜ「先に遊ぶ」ほうが「後で遊ぶ」よりも楽しくないと思うのだろうか。ヒントは、先に遊ぶと「気が散る」という発想にある。スパの実験では、もう1つの質問をした。中間テストのことが気になってマッサージをゆったりと楽しめないと思う時間の割合を予測するよう、学生に依頼したのである。そして、スパを体験した後で、実際に中間テストのことを考えていた時間がどのくらいあったかを報告してもらった。学生は、中間テストの前にマッサージを受けたら、テストのことが気になるに違いないと考えていた(スパにいる時間の約40%は中間テストのことを考えている、というのが彼らの事前予想だった)が、実はそうではなかった。実際には、学生が中間テストについて考えていた時間は全体の20%未満だった。ほとんどの時間は純粋に楽しんでいたのだ。

 最後の実験では、「先に遊ぶ」ことのパワーを受け入れやすくしようと考えた。まず、「2つの作業をやってもらいたい」と告げ、332人の学生を研究室に招いた。1つ目の作業は、「認知マラソン」と名づけられたストレスの強い一連の作業(たとえば、ルービック・キューブ競技のような時間制限のある作業)である。2つ目は、認知マラソンという苦行に対する報酬として、お菓子を食べながら笑えるビデオを見る作業である。そしてすべての参加者に、まずご褒美の作業を先にやらなくてはいけないと指示した。参加者はみな、その後で「認知マラソン」をやらねばならないと信じていた(実際にはやらせなかったが)。この実験の主な目的は、困難な仕事をまだ終えていない状態での報酬、つまり努力しないで得た「ご褒美」はどのくらい楽しめるのかを調べることにあった。

 私たちは参加者をランダムに3グループに分けた。第1グループの参加者は「ご褒美」の作業を行ない、それがどのくらい楽しかったかを評価した。他の実験と同じく、このグループの参加者は次に待っている苦行を気にすることなく、ご褒美をとても楽しかったと評価した。そして第1グループの評価値を基準に、残り2つのグループには、第1グループの人々がどのくらい楽しんだかを推測してもらった。ただし、第2グループは他の情報を受けず単純に推測を行なう。すると楽しめる度合いは、実際に第1グループの人が感じたよりもずっと低いという推測結果が出た。他の実験の場合と同様、苦行が後に控えた状態でのご褒美は楽しめないはずだと予想していたのである。

 第3グループにも同じ推測をしてもらったが、その前に、ご褒美のプラス面を考えさせる一連の誘導質問に答えてもらった。たとえば、「おいしいものを食べるときの味覚体験を想像してみてください。味覚が10秒間続くものとします。1秒ごとにどんなことが起きますか」と問う。そして、お菓子を味わっているその10秒間を10行の空欄に見立て、1秒ごとに何を思い、どう感じているかを想像して記入してもらった(参加者は「ただ味わっている」とか「ゆったり座って喜びをかみしめている」などと記入していた)。この作業は、気がかりなことが控えている場合でも、味覚の喜びを評価しやすくするためである。

 結果は予想通りだった。誘導質問を受けてから推測したグループは、第1グループのご褒美の楽しさをより正確に予測したのである。楽しい体験を一瞬ごとに細かく分けることで、このグループは娯楽と関連したさまざまな感情(楽しさ、興奮、刺激、リラックス)を高く評価することができた。

 これらの結果が示すのは、人は気が散ることを心配しすぎて、未来の報酬のために働きすぎているかもしれないということだ――いますぐでも十分に楽しめるのに、である。私たちはみな、「お楽しみは後で」という通念に囚われている。米国の働き手は、先進国の中で労働時間が最も長く、休暇が少ない。そして、ほとんどは現在のワークライフ・バランスに満足できず有給休暇を取り損ねつつ、もっと楽しむ時間があればと願っている。

 これは問題だ。なぜなら、娯楽のプラス面の1つには、仕事の質を高める効果があるからだ。人は休暇から戻ると仕事の効率が上がり仕事の満足度も高まることが多い。満足度が高まれば、長期的な目標を目指す気力も出てくる(日本語訳はこちら)。娯楽を直感的に後回しにしていると、仕事は次々に現れるわけだから、楽しむチャンスを逃がすことになる。それが究極的には、バーンアウト(燃え尽き症候群)や仕事への不満につながるかもしれない。楽しいことを「適切な時期」までずっと先延ばしにして、結局そんな時期はいつになっても来ないと思い知るだけかもしれないのだ。