出すぎた杭を心から歓迎するために

 筆者がこのようなテーマで書籍を執筆した動機には、自分自身が平均とはかけ離れた存在(いわゆる落第生)であり、平均で評価される社会の中で苦しんだことも挙げている。特に後半を中心に、平均に重きを置く学校教育や企業採用への批判と提案が展開されているのは、それもあるのだろう。その提案には、とても納得感があった。

 だが、筆者の提案が多くの学校や企業で実践され、遠くないうちに主流になるかと考えた時、残念ながら、そうはならない可能性のほうが高いようにも思えてしまった。なぜなら、本書を読めば読むほど、平均という評価基準が社会の隅々で奥深くまで入り込んでいる事実を認めざるを得ないからだ。

 ただ、たとえすぐには変わらないとしても、徐々に変わっていくことへの可能性も感じさせてくれた。本書でも紹介されているように、コストコやゾーホーなど一部の先進企業は、平均ではなく個性を評価し始めているようだ。また、筆者の論点とはやや異なるかもしれないが、日本企業の中にも、ある種のハンディを抱えた人たちに対して、だからこそ発揮される能力を評価して採用する企業も見られる。そうした動きは圧倒的少数ではあるものの、新たな評価基準が社会に浸透する明るい兆しと言えるのではないか。

 平均的であることより個性を大切にしようという主張そのものは、目新しいものではない。「出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない」という言葉もあるように、真に突出した才能は歓迎されるべきという前提は、一定程度、社会で共有されているようにも思える。ただし、そうは言っても現実には、出すぎたがためにより強く打たれることもあるだろう。私たちが世間の外れ値となった才を心から歓迎するためには、平均という評価基準を安易に用いる危うさを理解し、平均思考なるものを捨て去ることが第一歩になるのかもしれない。