米国貿易・旅行事務局が発表した統計によると、2015年に米国から欧州を商用で訪れた人は190万人で、その平均年収は15万2868ドル。米国のグローバルビジネストラベル協会によれば、これらの出張者の半数が「機内でネット接続して仕事を片付けたい」と考えている。

 さらなる分析では、こうした出張者が大型電子機器の使用を禁じられた場合、有償の稼働時間(正規の労働時間)が失われることで生じるコストは年間5億ドルに上ると結論づけている。もちろん、スマートフォンでも仕事ができるかもしれないが、それで万事解決とはいかないのは明らかだ。

 生産性の損失によるコストが5億ドルとは、甚大に思える。事実、大きな損失だ。ところが、経済・産業スパイによって米国企業から毎年盗まれる金額に比べれば、たいしたことはない。FBIによると、その額は約5000億ドルに上るという。今日のグローバルなビジネス環境では、スパイ行為の技術はかつてないほどの利益をもたらす。旅行者と大型電子機器を引き離す措置は、機密情報の収集者にしてみれば、宝くじに当たったようなものなのだ。

 中国、ロシア、イラン、北朝鮮、フランス、イスラエルといった外国の諜報機関は、ビジネス旅行者にとって真の脅威である。このことは十分に裏付けられており、特に知的財産の窃盗に関する米国議会の独自調査で示されている。こうした窃盗の大半は、米国のビジネス旅行者が海外で仕事をしている際に発生する。ホテルへの密かな侵入(ノートPCやスマートフォンのメモリーが複製される)、電子的な傍受や盗聴、Eメールの監視などは、一般的かつ容易に実行可能であり、政府が公共・民間セクターの機密情報を集めるために活用している手法だ。

 こうして収集した情報は、自国の経済的な競争優位のために、次のような目的で使われる。研究開発の時間の最小化。特許法の回避。費用提案の際に不当な優位に立つ。交渉に先立ち競争相手に対する強みを得る。企業秘密を明かすよう、従業員を脅迫する。

 ビジネスラウンジでシャンパンをたしなんでいる間に、他国の諜報部員が荷物をあさり、ノートPC内の企業機密を盗んで悪用しようと狙っている――。経験の少ない海外旅行者には理解しがたいことに思えるかもしれない。しかし、それは本当に信じがたいことなのだろうか。

 ホテルの部屋でスーツケースを開けたら、「運輸保安局(TSA)がこの鞄の検査を実施しました」と記された紙切れが出てきた経験のある人々は多いはずだ。にもかかわらず、諜報部員が手荷物の受取エリアで、あなたのハードディスクドライブからダウンロードするなんてあり得ないと思えるのはなぜだろう。あるいは、発見しにくいスパイウエアをアップロードしているかもしれない。

 さらに付け加えると、知的財産と仕事の機密情報に不正アクセスするのは、必ずしも国際諜報機関とは限らない。小遣い稼ぎの機会を窺っている競合企業の人間や窃盗犯がたくさんいる。スーツケースから何かを盗まれた経験のある人ならば、こうした輩が他者の所持品を手にすることがいかに簡単かがわかるはずだ。

 これでもまだ、預け荷物にノートPCを入れるのは問題だということに納得できないだろうか。それならば、エールフランスの逸話を考えてみてほしい。その最も有名な事例の1つは、フランスの諜報機関(対外治安総局DGSE)の元長官、ピエール・マリオンが関与したものだ(それは単なる作り話にすぎない、とエールフランスは主張しているが)。

 マリオンの複数回に及ぶ公言によれば、当局は1980年代末から1990年代初めにかけて、フランスの経済的優位を図るために、米国のビジネス旅行者にスパイ行為を行っていたという。大型の技術契約が突如フランス企業の手に落ちたとき、エールフランス便のビジネスクラスのキャビン(およびコンコルドの全席)には盗聴器が隠されているという噂が立った。

 みずからの行為を正当化するため、マリオンは次のように語ったと伝えられている。「この諜報活動は、国際的な通商と技術でフランスが遅れを取らないための重要な手段なのだ。当然ながら諜報の対象は、米国および他の国々にも及んだ。我々は、防衛では同盟関係にあるが、経済的には競争相手なのだ。そのことを忘れてはならない」

 いまやDGSEは、機内のビジネス旅行客全員のノートPCが預けられた貨物室にアクセスできる、と想像してみよう。さらに留意すべきは、中東と欧州の航空会社のほとんどが国営企業であり、ゆえに、政府はいとも簡単に介入できるということだ。