気後れするほどの雑談とは

「ほぼ日」の雑談を、一般的な雑談と分かつ最もわかりやすい点は、仕事と直接関係あるなしに関わらず、面白さ、あるいは興味深さが求められるということだ。

 調査期間中にインタビューを行った後、帰り際に、オフィスの入り口近くにある切り株に腰かけてざっくばらんに話を伺っていると、Cさんは「私はコンテンツの人じゃないから、『面白いことは言えないんです』って(いう素振りで)許してもらっているんです」と、自分自身が興味深い話題を提供できないことについて若干の引け目を話してくれた。

 他方、そんなCさんについて他の社員に聞いてみると、商品開発と管理業務の両方を手掛けるDさんは「何を言っているんですか、Cさんはキャラクターが面白いから、まったく問題ないんです」と、むしろ、そんな心配は意外かつ無用だといった様子で語った。それでも、雑談が面白くなくてもよいとは言われない。

 さらには、その場にいた別の社員は「面白い話題を提供できない人も、いい聞き手になることはできます」とつけ加える。いい聞き手になることで、その人は雑談を盛りあげる役割を担っているというのだ。たとえば、ある人の話題がすべって場がしらけそうになると、「周りの人が、すぐ別の話題を振ったりして救います」とすら言われた。

 とかく雑談には、その情報の新しさや選択や提案のセンス、自分なりの考察を含んだ観察、ほかの人とは異なる視点の導入など、「面白さ」に到達する何かが求められる――そんな暗黙の了解が横たわっている。それが日常とは異なる礼儀や、うまさを求められているのは、先述の言葉からも伺い知れるだろう。

 雑談にすらある種の基準がある、という一般的な理解からするとやや倒錯した組織内の常識は、それが仕事とも結びついているからこそだ。雑談が仕事に結びつくことそれ自体は、一般的にメディア、特に趣味の領域に関わるメディアには多かれ少なかれ同様の傾向が見られる。身の回りの出来事が潜在的にはすべて記事になる可能性があるからだ。

 ただ、この組織では、それ以上の意味を持っているようだ。それをある社員は「『ほぼ日』にいると、みんな個性が磨かれてくるんです」と表現した。雑談のなかでそれぞれが好きなものや得意な分野、特徴的な点があると、それを意識的に褒めたり、話題にしたりするという。