「ほぼ日」が不便さを受け入れる理由

 さて、ここまで見てきたように「ほぼ日」の組織的な特徴は、厄介な側面も持っている。

 管理や統制を減らすことで、個々人の負担は相対的に増えたり、それぞれの現場での調整や適応が必要にもなる。それでも、社員からは「大変」と形容されることはあっても、「規則があったほうが楽なのに」という考えは聞こえてこない。連載の第2回にも紹介した商品開発を束ねる部長の「この会社の人たちって、やっぱり組織がフラットなので、根本的に人からなにか言われてやるのが好きじゃない人たちなんですよ」という言葉が何よりも、この組織で働く人びとの、人となりを表しているように思われる。

 もちろん、これは社員のキャラクターの話だけではない。その効果を考えれば組織的な体系でもある。規則制定の難しさは、会議のための会議といった形式主義、部門ごとがそれぞれの利益にまい進してしまうセクショナリズムなどの弊害を避けようとする構造でもある[注]

 こうした「ほぼ日」の規則の忌避やコミュニケーション経路の不確定性は極端で、これ自体が組織の際立った固有性だが、その極端さゆえに、かえって組織一般にとって規則や権限の上下関係が果たす機能に気がつきやすい。

 組織の経営に関して語られる「風通しのよい、フラットな関係性」「権限移譲」「情報のオープン化」などの成句は、いまではどれも否定されることのほとんどない肯定的な価値として語られてきた。一方、ある一つの変化や改革が問題の万能薬であるはずはなく、変化に応じた面倒や困難は容易に想像されるにもかかわらず、負の側面はほとんど指摘されてこなかった。

 本稿のエピソードは、一つの組織の、それも断片の一つにすぎないが、「フラットな組織」だけでなく、そうでない組織にとっても、組織のあり方を考える、興味深い素材になる。それこそ、規則とは何か、他者に任せるとはどういうことか、情報の共有やコミュニケーション経路はどういう機能を持つのだろうか、といった「当たり前」と思って見過ごしてしまいやすい原理的な要素について、再考のきっかけとなる新鮮な驚きを与えてくれるからだ。

[注]こうした官僚制組織のデメリットは、古くは社会学者ロバート・マートンによって「官僚制の逆機能」として明らかにされている(『社会理論と社会構造』〔森東吾・森好夫・金沢実・中島竜太郎訳、みすず書房、1961年〕)。

 

 次回更新は、7月4日(火)を予定。