何をもって憶えられたいか

 ピーター F. ドラッカーが遺した有名なエピソードがある。

「私が13歳のとき、宗教の先生が、何によって憶えられたいかねと聞いた。誰も答えられなかった。すると、今答えられると思って聞いたわけではない。でも50になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになる」

 偉大な発明で世界を前進させた人や、人生を賭けて貧困問題の解決に当たった人は歴史に名を残している。当然、すべての人がそうなれるわけではないし、そうなる必要もないだろう。たとえ誰か一人であったとしても、自分以外の人間に影響を与えられ、その人の成長を促せたとしたら、それはすばらしい成果だと言えるのではないか。 

 私が尊敬するある経営者は、極めて多忙な身でありながら、必死に時間を捻出して大学の教壇に立つ道を選んでいた。それは、みずからの経験がこれからの未来をつくる若者たちの力になれるとしたら、それも自分にとって重要な仕事の1つだと考えていたからである。授業が終わるとどんな些細な質問にもていねいに答える様子からは、使命感にも似た想いを感じたことは印象深い。その経営者もきっと、素晴らしい経営者として、また偉大な“教師”として憶えられることだろう。

 ホロウィッツも言及するように、本書の最終章は「なぜ教育訓練が上司の仕事なのか」であり、グローブ自身も人を育てることの重要性を感じていたのだろう。残念なことに、グローブの言葉を直接聞くことはもう叶わないが、この一冊の本が世界中のマネジャーに成長を促し、そのマネジャーが次なる教師として憶えられ、自分の部下の成長に大きく貢献する。本書の存在は、そんな未来を期待させてくれる。